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(2003年4月28日更新)
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この間の取り組み 在韓被爆者・郭貴勲さんへの上告をやめて,即刻、在外被爆者に被爆者援護法を適用するよう求める電話・ファックス・メール攻勢のお願い(ご協力ありがとうございました。終了しました。) ホームページに要請のメールを転送してくださったかたがた、ほんとうにありがとうございました。 あつくお礼をもうしあげます。 |
おかだだいさんのページ、在外被爆者裁判傍聴記に
郭裁判の報告があります。
阪南病院労働組合のホームページに報告集会の
ようすがのっています。
当時、師範学校の学生だった郭貴勲(カクキフン)さんは、1944年の朝鮮人徴兵令により20歳で徴兵され、西部第二部隊に配属、朝鮮から広島へ連れて来られ、1945年8月6日、日本軍軍人として被爆させられました。現在韓国に在住、74歳。 |
〜郭さんの裁判〜 郭さんは1998年5月に来日し,大阪府の病院に入院して被爆後障害の治療を受けたさい,大阪府から「被爆者健康手帳」を交付され,「健康管理手当(月額約3万4千円)」の支給が認められた。ところが7月に韓国に帰国すると,大阪府は手帳を失権させ,手当ての支給を打ち切る処分を行った。 郭さんは1998年10月1日に,国と大阪府を相手に,処分取消と200万円の損害賠償を求める裁判を,大阪地裁に提訴した。 |
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第1審(大阪地裁)の流れ 提訴 1998年10月1日
第1回口頭弁論 1998年11月18日 大阪地裁
第2回口頭弁論 1999年1月13日 大阪地裁
第3回口頭弁論 1999年3月12日 大阪地裁
第4回口頭弁論 1999年5月7日 大阪地裁
第5回口頭弁論 1999年7月9日 大阪地裁
第6回口頭弁論 1999年10月1日 大阪地裁
第7回 証人採用を決定する裁判 1999年10月22日(金)
倉本さん、森田さん証人採用される
第8回口頭弁論 1999年11月12日(金) 大阪地裁
倉本さん、森田さんの証人尋問
倉本さん・森田さん陳述書
第9回口頭弁論 2000年2月9日 大阪地裁
第10回口頭弁論 2000年3月15日 大阪地裁
(2000、10、24更新)
原告の主張、これでわかる!
原告第7準備書面(2000.5.13更新)
第11回口頭弁論 2000年5月12日 大阪地裁
第12回口頭弁論 2000年7月14日 大阪地裁
(郭さん本人尋問)
第13回口頭弁論 2000年10月6日 大阪地裁
(10月25日更新)
結審 2000年12月22日 大阪地裁
判決 2001年 6月1日(金)13:10〜(午後1時10分)
大阪地裁 806号法廷
全面勝訴!
日本政府、高裁に控訴 2001年6月15日 第1回弁論 2001年10月24日 大阪高裁第9民事部 第3回弁論 2002年2月5日 大阪高裁 平成14年(行タ)第3号 裁判官忌避申立事件 裁判官忌避申立理由書 裁判のようすをおかだだいさんが報告されています。 その後、申し立ては却下されました。
高裁 判決要旨 |
郭裁判 資料倉庫地裁郭貴勲さん陳 述 書(第1審) 訴 状(第1審) 陳述書(1998年11月18日)(第1審) 倉本さん・森田さん陳述書 原告第7準備書面( 判決 高裁 国側の控訴理由書 求釈明書、第一準備書面) 郭さん側2001年12月14日付準備書面(2) 〃 (表1)「海外」と「適用」を規定に含む主な法令 郭さん側2月4日、準備書面 その他 金大中大統領への要請書(1999年12月) 金大中大統領への要請文(2000年4月) |
支援の呼びかけ
リンク
阪南中央病院労働組合
郭貴勲さん被爆者援護法裁判を支援するページ