郭貴勲「被爆者援護法」裁判
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本案前の抗弁について
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準備書面本文 |
原告は、原子爆弾が投下された際、広島市の区域内に在った者であり、一九九八(平成一〇)年五月二〇日、被爆者健康手帳(被爆者健康手帳番号・公費負担医療の受給者番号〇二〇一六三二)の交付を受けた。
被告大阪府は、原告に対して、同年八月分以降、健康管理手当の支給を行わない。
右不支給が、原告につき被爆者たる地位を失わせる行政処分によるものであれば、原告は、その違法な行政処分の取消を求める。
右不支給が何らの行政処分によらないものであれば、被告大阪府は、被爆者たる地位を有している原告に対して、違法に健康管理手当の支給を打ち切ったのであるから、原告は、右被爆者たる地位の確認と健康管理手当の支給を求める。
すでに原告準備書面ウ一四頁以下に述べたとおりである。
援護法には「被爆者」たる地位を出国によって失わせる規定はない。
従って、出国により「被爆者」たる地位を失わせることは許されない。
これが、他の医療費・手当・年金等の支給を定める法律と比べても、動かしがたいことは、原告準備書面カに主張の通りである。
被告らは、「法はそれを制定した国家の主権が及ぶ人的・場所的範囲において効力を有するのが原則」(被告第五準備書面五頁、乙五・一六〇頁以下)、あるいは「法は、国家の主権の及ばない外国においては適用されないのが原則」(被告ら第七準備書面一頁)などと主張して、「たとえいったん取得された被爆者援護法上の『被爆者』たる地位といえども、その者が外国に出ることによって同法が適用されなくなるために当該『被爆者』たる地位が失われるのは法の解釈上当然のことである」と主張する(第六準備書面六頁等)。
被告第五準備書面における「法は・・・人的・場所的範囲において効力を有する」という原則は、被告らが、「国家主権が及んでいる」(すなわち日本国籍を有している)森田等に対しても、出国によりその「被爆者」たる地位を失わせると主張したために、被告第七準備書面では「外国においては適用されない」原則に変わってしまった。
かかる恣意的な主張は、被告らの主張がどのような「原則」とも何ら関わらないことを示している。以下、念のために被告ら主張が「原則」ですらないことを明らかにする。
国家の本質は地域、所属員、固有の支配権の三要素で構成され、固有の支配権(統治権)の構成要素は、対人高権、領土高権、および権限高権の三要素である(佐藤幸治『憲法』四二頁)。そして、他にも同様な最高の支配権力たる国家が存するのであるから、これら国家間においては互いに独立し、平等である。従って、国家は互いに不干渉義務を負う。
このような観点から、国家の主権、すなわち支配権は人的場所的範囲内に及び、それ以外には及ばないということになる。人に対する法令の効力もこのことが考慮され、法令は(国籍を問わず)その効力のおよぶ地域内にあるすべての人、及び(地域を問わず)その所属する国民のすべてに及び、それ以外には及ばないことが「原則」となるかのようである。
しかし、このような原則は、対他国家不干渉義務の論理的帰結であるから、右義務に相反しない限りでは、かかる原則に従うべき根拠はない。何らの義務を課すことなく、単に給付のみを与える法律について、このような原則を論じる余地はない。
加えて、そもそも、前記「原則」は、国家の主権が及ばない人的・場所的範囲を対象とする法を制定してはならない、あるいは制定することができないという原則ではない。
一国における主権者の法律制定権を拘束するものは、より上位の法規(一般には憲法と条約)以外にない。上位の法規(一般に憲法と条約)に反しない限りは、主権者がいかなる法規を定めることも、可能である。仮に効力を及ぼすことが困難な範囲をも適用対象とする法律が制定された場合には、どのようにその法律の執行を行うのかという点が問題となるに過ぎない。
そして、制定された法律が、誰を適用対象としているかは、その法律の規定によって決せられるしかない。
被告らは、属地主義という表現や国家の(領土)主権の及ばない外国には国法は適用されない「原則」について述べるが、近時の行政法の基本書は、このような限界について論述すらしない(前掲藤田、前掲芝池等)。
行政法あるいは他の日本国の法律の適用を受けていた者が、日本国籍の有無にかかわらず、日本国の領土外に出た場合(ちなみに平成一○年の日本人出国者数だけでも一五、八○六、二一八人、人口の約一一・五%にものぼる)、外国で日本法の適用を受けるかどうかは法例による国際私法の問題であり、行政法の適用を受けうるかどうかについては、各個別の法律や政令等の規定や解釈による。領土外で法律の適用がなくなるのが「原則」だ等と一般的に論じることは理論的でも、現実的でも、実益のあることでもない。
結局、被爆者援護法においても、いったん取得した「被爆者」たる地位が、出国により失われるか否かは、援護法の規定の定めるところによるしかなく、法律の規定を離れて、いったん取得した権利が出国により失われる原則など考える余地がない。
近代公法学の出発点は、広い意味での「法治主義」の要請、ないし「法律による行政」の要請であるというのが、伝統的な考え方であり(藤田前掲書四八頁以下)、わが国の行政法の基本原理の重要なものは、法治国家原則である(田中二郎『新版 行政法 全訂第二版』四○頁ほか)ということに異論はないであろう。
法治国家原則の具体的内容としては、法律の法規創造力の原則、法律の優位の原則、法律の留保の原則があげられ、憲法四一条等が根拠とされる〈藤田前掲書五二頁ほか)。
さらに、憲法上の比例原則(憲法一三条第二文)、平等原則(憲法一四条一項)といった法原則が個々の行政活動を直接に規制する規範であることも学説・判例上認められてきている(藤田前掲書一○○頁、芝池前掲書五九頁)。
また、特に給付行政の側面では、法冶主義の形式的適用をチェックする原則として私人の側の信頼保護の原則も主張され(芝池前掲書六一頁ほか)、裁判上も認められるに至っている(最判昭和五六年一月二七日民集三五巻一号三五頁ほか)。
そこで、問題は、適法かつ適式な行政処分によって一旦取得された被爆者援護法上の「被爆者」たる地位、あるいは、健康管理手当受給権者たる地位を、法律の明文の根拠なく、失権処分によって、ないしは被告らの主張によれは、失権「処分」などはなく、「出国という事実」の発生によって失わせることが許されるのか、そのことが法律による行政の原理や他の憲法上の諸要請、信頼保護の原則等から許容されるのか否かである。
行政法の基本書において、再度の行政処分以外に一旦なされた行政処分の効力の消滅が論じられているのは、行政処分の取消、徹回、そして、附款の各項目においてである。
以下、順次項目を改めて論じる。
行政行為の「取消」には、職権取消と争訟取消があるとされる。本件の被告らの行為で問題となる職権取消とは、行政行為の相手方その他私人の側からの法的な請求をまたず、行政庁の側から自発的に、行政行為が違法又は不当であったことを理由としてこれを取り消すこととされ、取消が制限される場合を除き、職権取消一般を定める法律上の明文の規定は無いが、法解釈論上一般に、行政行為を行った行政庁が自らその行政行為が違法又は不当であったと考える場合には、原則として常に取り消すことができるし、また、取り消さなければならないとされている(藤田前掲書二一○頁)。
これは、もともと違法の瑕疵がある行政行為をその違法性を理由に効力を失わしめることであり法律による行政の原則から、一般に是認されている。本件は、一且適法かつ適式に各行政処分がなざれた場合であり、この取消を検討すべき場合ではない。
次に、「撤回」とは、行政行為はもともと適法に行われたのであるが、後発的に何らかの事由が生じたたあに、今後共その行政行為の効果を存続させるのは公益上望ましくなく、そのために将来に向かつてその効果を失わせることであるとされる(藤田前掲書二一一頁)。
取消と撤回は、両者いずれについても、今回の行政手続法では、「不利益処分」(同法二条四号〉にあたるものとして、原則として、同法第三章に定める手続規定の適用を受けることになったが、行政行為の原始的瑕疵か後発的瑕疵かで区別され、失効に遡及効があるか将来効のみかの相違がある。
原告について「被爆者」たる地位の認定等の行政処分には、原始的瑕疵は無いのであるから、後発的瑕疵に基づく行政処分の撤回として許されるのかが問題となる。
この問題は、公益上の必要性すなわち事情変更により一度行った行政行為が公益に適さなくなった場合(例運転免許の取消)や撤回によってより大きな公益が得られる場合等には、公益に即した行政を行う責任から撤回が成し得なければならないとされる一方で、法治国家原則はもとより行政庁が自由に行政行為を被回して差し支えないとすると法的安定性や私人の側の信頼を著しく害するので、この両者の要請の調整の問題とされてきた。
すなわち、この問題は、円滑な行政や公益上の必要性と法治国家原則、法的安定性の保護、私人の側の信頼の保護等との調整を図るべく、
@ 私人に不利益な内容を持つ行政行為(権利・自由を剥奪・制限しあるいは義務を課するもの)は自由に撤回できる。
A 私人に対して授益的な行政行為(権利・自由を与えあるいは義務を免ずるもの)は「相手方自身の責めに帰すべき事由が無い眼り、原則として撤回することは、出来ない。法律上撤回しうることが定められている場合にのみ撤回しうる。
さらに、授益的な行政行為てあっても、これを撤回する必要性が公益上極めて大きい場合には撤回することが許されるが、撤回による損失を補償することが必要である。
と解されている〈藤田前掲書二一四頁以下。芝池前掲書一七七頁以下)。
本件処分についてみる限り、受益的な行政行為であり、法律上、出国によつて撤回しうることが規定されていないのであるから、撤回できないのが原則と解すべきである。出国を免許取消事由のような私人の帰責性ある行為と解することができないことはいうまでもなく、法律の規定にはないが撤回をすべきほどの公益上の極めて大きな必要性があるとも考えられない。それがあるというなら、被告らにおいて主張・立証されるべきであるし、それがなされたときには損失補償がなされるべきである。
したがって、原告の出国によって一且取得された「被爆者」たる地位や健康管理手当受給権者たる地位が失われることを行政行為の「撤回」によって正当化することはできないと考える。
法律が行政庁にある行為を行うことを授権する場合に、同時にこの行政行為に必要に応じて「条件を付すことができる」等と定めることがある。
この場合にいう「条件」が行政法学上「附款」とされるものである。
理論的には、狭義の条件、期限(確定期眼、不確定期限)負担、撤回権の留保等をいうと一般的に解されている(藤田前掲書一九一頁、芝池前掲書一八八貢)。附款は行政行為の成立時に行政行為に付されるもので、一種の行政庁の裁量権の行使であると解されており、法治国家原則、比例原則、平等原則等の拘束を受けることに争いはない(法律自らが行政行為に付加する条件や期限は「法定附款」と呼ばれ、行政行為の本来の内容であり、ここで論じる附款ではない。例えば本件健康管理手当の文給が五年間と期限が付されているのは法定附款である)。
本件は、いずれかの附款による行政処分の効果の消減に当たり得るだろうか。
被告らは、出国という事実を理由としていることから、これを将来到来が確実な事実(渡日治療に来ている被爆者が国籍の有無にかかわらずこれにあたることが多いと考えられ、確定期限の被爆者の場合と不確定期限の被爆者の場合とがあろう)、あるいは、到来が不確実な事実(在日本の被爆者の場合)として解するのが相当であろう。そして、行政処分の効果をかかる出国の事実という期限ないし条件にかからしめるわけであるが、それが法律の規定により定められていない場合であるから、行政庁はそのような附款を当初の「被爆者」認定の行政処分等に当然に付し得るのか否か、それが法律による行政の原理、比例原則、平等原則、信頼保護原則等から許容されるのかが問題となる。
条件、期限は、文字通り、行政行為の本来の効果を制限するものであるから(「失権の取扱」と被告大阪府がいうとおり)、そのようなことを法律が許しているのか否かという解釈問題になるのであり(藤田前掲書一九三頁)、換言すれば附款は行政庁の一種の裁量権の行使の場合であるから裁量が認められている場合にのみ付すことが許容され、かつ、比例原則、平等原則、信頼保護原則等による限界があると解される(芝池前掲書一九三頁等)。
以下、さらに検討する。
被爆者援護法は、その前文に明記されているように「被爆後五○年のときを迎えるに当たり、我らは、核兵器の究極的廃絶に向けての決意を新たにし、原子爆弾の惨禍が操り返されることのないよう、恒久の平和を念願するとともに、国の責任において、原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ、高齢化の進行している爆者に対する保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じ、あわせて、国として原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記するため、」制定された法律である。
戦争被害の中でも「放射線による健康被害」という「特殊の被害」について、「国の責任において」総合的な援護対策を講じようとする趣旨の法律であることから、一旦、「被爆者」と認定されて各種の援護がなされ得ることが決定された者について、「出国」といった場所的移動程度の形式的問題で、「被爆者」たる地位を失わせて援護を打ちきることが、法律上、予定あるいは許容されているとは、立法の趣旨からは、到底考えられないし、人道上も許容されるべきではない。
比例原則から考えてみよう。まず、出国を附款とする規制の目的は何であろうか。これが明らかになれば、援護の打ち切りという現在とられている手段が、右の目的達成のための必要最小限度の不利益を課すものか、否かを論じることができる。しかし、そもそも、場所的移動は国内であれ(憲法二二条一項)、国外であれ(憲法二二条二項)、人が自由になし得る基本的人権の一つであり、現に毎年、被爆者を含む多くの人々が日本国から出国し、日本国に入国している。出国を規制することを目的とすることはできない。したがって、比例原則から許される必要最小限度の手段とは言えない。
また、場所的移動によって生じる可能性のある二重払いの危険回避などを規制目的として考えることは一応可能である。しかし、場所的移動による二重払いの可能性は、国内・国外を問わず生じるものであるし、地位を失わせるよりも軽い危険回避手段をとることで十分目的を達成することができる。出国の場合のみ一律に「被爆者」たる地位を失わせることはその手段としてはとうてい必要最小限度のものとは言えない。
平等原則から考えても、失当である。場所的移動はいずれも憲法上の基本的人権である。国内的移動は自由にできるのに、国外への移動を行えば、「被爆者」たる地位を全く失わせることは、明らかに均衡を欠いて合理性のない不平等な取り扱いである。
私人の側の信頼保護の原則の観点からも、苦労をして証人等を集め「被爆者」たる地位を取得しながら、疾病が治癒する等法律に規定されている消滅事由が発生したのならともかく、基本的人権の行使でもある場所的移動程度のことで、「被爆者」たる地位を奪われるのだとしたら、ようやく援護されるという信頼を著しく損なうものであるし、法的安定性も害し、認定という行政処分はその程度の効力しかないのかと慣りすら感じる。
したがって、以上により、いずれの観点からも出国を附款として「被爆者」たる地位等を失わせることは、許されないと解する。
被告らは、「我が国に居住も現在もしない者に対して医療の給付及び各種手当の支給をする手続を定めた規定が存在しない」とか、「いずれの都道府県知事の管轄下にも属しておらず、これらの者に対する支給等に係る規定は、被爆者援護法には何ら設けられていないのであるから」等と述べて、同法の「適用」がない旨縷々主張する。
では、これらの規定がないことを根拠に、本件の附款を許容する余地が些かでもあるだろうか。
先に述べたように被爆者援護法の立法の趣旨は、被爆後五○年の節目に当たり、原子爆弾投下により生じた放射能による健康被害に起因する特殊の被害に対して、国の責任において総合的な援護対策を講じようとするものであった。この立法趣旨から、瑣末な手続要件が欠けていることを論じること自体が、そもそも、いかに立法趣旨からかけ離れ、非人道的なことか。しかも、海外送金の手続規定等などなくても、原告がそうであるように、被告らとしては、従来どおりわが国にある「被爆者」の振込口座(甲三)に送金を続けることで足りるのであり、右の意味での手続き規定は不要である。
また、そもそも、給付を受ける手続規定がないことを根拠に援護の打ち切りを正当化できるかというと、それは、やはり成し得ないと解する。
なぜならば、本件は原爆被害という「特殊の被害」、戦争終結のため世界中の人々に代わって被爆者が被った「特別の犠牲」に対して、なされるべき「正当な補償」(憲法二九条三項参照)の問題であるから、手続規定の有無などにかかわらず、予防接種禍補償事件と同様に憲法上の補償請求権があると解される。すなわち、戦争終結という「公共の利益のために特定の個人が特別の犠性を強いられる結果が生じているという点において、憲法二九条三項における損失補償を必要とする状況と共通の状況が出現していると評価できる」のであり、財産権についての特別の犠牲には補償があるなら、勿論のこと生命、身体に対する特別の犠牲に補償がなされることは理の当然であり、「憲法が一三条、一四条一項、二五条一項、二九条の各条項を規定する趣旨に照らした二九条三項の規定の勿論解釈により」(大阪地裁昭和六二年九月三〇日・判時一二五五号四五頁)、損失補償としての諸援護対策を、憲法上の根拠をもって、受給できるものと解すべきだからである。
よって、以上のいずれの検討によっても、法治国家原則、法律による行政の原則等の行政法学の考え方からは、一且適法・適式に認定された被爆者援護法上の「被爆者たる地位」や「健康管理手当受給権者たる地位」は、いずれも、出国によって、喪失、消滅せしめられることはなく、原告の請求が直ちに認容されるべきであると解する。
被告らは、
「@我が国に居住も現在もしない者に対して医療の給付及び各種手当の支給をする手続きを定めた規定が存在しない、
A被爆者援護法上の各種手当は、同法の法文上、都道府県知事が給付することとされているが、わが国に居住も現在もしない者は、都道府県知事の管轄下に属していないのであるから、都道府県知事が我が国に居住も現在もしていない者に対して被爆者援護法の各種手当を支給することは予定されていない、
B法の立法過程から我が国に居住も現在もしない者には適用しないことを明確に肯定して立法された」
ことを理由として、
「被爆者援護法の解釈も、我が国に居住も現在もしないものに対して被爆者援護法を適用する根拠はない」と主張する(被告第七準備書面二頁)。
しかし、本件訴訟の争点は、「いったん取得された被爆者援護法上の被爆者たる地位が、外国に出ることによって失われるか、否か」である。被告らの右主張は、本件訴訟における主張としては(そこで理由として述べられている主張の当否を問うまでもなく)、それ自体意味がないと言わざるを得ない。
ただ、念のため、被告らの右主張の@ABについて順次、次の通り反論する。
被告らは「我が国に居住も現在もしていないものに対して医療の給付を定めた規定が存在しない」と主張する。
しかし、被爆者援護法はその第一七条および第一八条において、「厚生大臣は、被爆者が、緊急その他やむを得ない理由により、指定医療機関以外の者から医療を受けた場合において、必要があると認めるときは、医療費を支給することができる」(第一七条)、「厚生大臣は、緊急その他やむを得ない理由により被爆者一般疾病医療機関以外の者から医療を受けたときは、一般疾病医療費を支給することができる」(第一八条)と定めるのみであって、特に国外における医療費支給を排除した手続規定とはなっていない。
現に、厚生省がこの規定に基づいて、国外における医療費を被爆者に支給した例もある。
次に被告らは「我が国に居住も現在もしていないものに対して、各種手当の支給をする手続を定めた規定が存在しない」と主張する。
しかし、海外送金の手続規定等などなくても、従来どおりわが国にある「被爆者」の振込口座(甲三)に送金を続ければ足る。また、すでに主張したように、戦傷病者戦没者遺族等援護法や労災保険法においては、海外送金の手続規定が存在しなくとも、被告国は年金や医療費の海外送金を行っている。
よって、手続規定がないことを根拠に、出国により被爆者たる地位を失わせなければ解釈上困難が生ずるとする被告の主張は、失当である。
被告らの前記Aの主張によれば、被爆者援護法上、被爆者の居住または現在する都道府県知事が各種手当を支給すると規定しているかのようである。しかし、被爆者援護法上「居住または現在する地を管轄する都道府県知事が支給する」と定めた規定は存在しない。
被爆者援護法上、被爆者健康手帳の交付は「その居住地(居住地を有しないときは、その現在地とする)の都道府県知事に」申請することとされているが(第二条)、諸手当の支給は、ただ単に「都道府県知事が」「認定を受けた者に対し」支給すると規定されているのみである(第二四条ないし二八条)。
一方、他の社会保障法においては、支給要件として「日本国に、あるいは福祉事務所の所管区域内に、住所を有すること」を規定した法律もあるが、被爆者援護法にはこのように、国内・国外を問わず居住地または現在地の変更により手当の支給を打ちきる規定はない。
思うに、被爆者援護法上の諸手当の財源は国庫であり、居住地または現在地をどこに移しても最終的な負担者が変わらない以上、居住地または現在地の移転(居住または現在する都道府県知事の変更)が手当支給を制限する事由とはなりえないのである。
この点は、孫振斗第一審判決の次の論旨に明らかというべきである。すなわち、「『その居住地(居住地を有しないときは、その現在地とする)』とあるのは、・・・生活保護法第一九条の規定におけるそれと同じく、法所定の措置を受けうべき者と措置実施責任機関とを連結するための管轄を定める法規定にすぎない。・・・管轄特定のための技術的規定をたとえば児童手当法が手当支給のための積極的要件の一つとして、日本国民であることのほかに日本国内に住所を有するときに支給するとし、児童扶養手当法、特別児童扶養手当法が手当支給の消極的要件の一つとして、日本国民でないときのほか日本国に住所を有しないときに支給しないとするときの、手当支給の要件としての住所地の意味するところは明確に区別されるべきものである」。
要するに、被爆者援護法上の「居住地」とは、手帳の交付申請をし交付を実施する責任機関を特定するための技術的な規定に過ぎないのであり、手当支給要件を定めたものではないのである。
被爆者援護法の立法過程において(被告ら第一準備書面九ないし一三頁、同第五準備書面二ないし四頁で言及している国会での論議においても、それ以外の国会論議においても)、いったん法の適用を受けた者が出国した場合に失権することについて、議論されたことは一切なかった。
したがって、被告らの前記Bの主張は、出国により「被爆者」たる地位を失わせなければ解釈上困難が生ずると解する理由足り得ない。
被告らは、被爆者援護法を日本国に居住も現在もしない者に適用することについては、法の解釈上ないし行政実務上、困難な問題が生ずると主張し、@被爆者健康手帳交付事務に伴う確認事務、A医療特別手当等の受給要件認定、B一般疾病医療費支給の適正確保、C葬祭料支給および各種手当の支給終了の各場面で行政実務上困難な問題が生ずると主張している。(被告第七準備書面四頁以下)
しかし、右いずれの主張も、1と同じく、本件訴訟の争点とは無関係な場面をことさらにとりあげて主張していたり、被爆者援護法特有の問題ではないにもかかわらずこれをあたかも被爆者援護法特有の問題点特有であるかのように主張しているなど、きわめて恣意的な主張といわざるをえない。
以下、個別に反論する。
A 被告らは、被爆者援護法を日本に居住も現在もしない者に対しても適用することを肯定した場合、日本国外で被爆者健康手帳を交付すべきものと解釈することになるが、日本国外での交付事務を都道府県知事が行うことを想定した規定は、被爆者援護法上まったく存在しないのであるから、都道府県知事が日本国外での交付事務を行う権限について被爆者援護法の解釈・運用上困難な問題が生ずる、また右交付事務を、行政実務上、在外公館で行うものと仮定した場合、在外公館がそのような権限を有すると解釈することが困難であり、実務上も困難である、と主張している(被告第七準備書面六頁)。
しかし、右主張は、本件訴訟が外国での手帳交付申請の是非ではなく、日本でいったん交付された被爆者健康手帳が外国に出ることによって失効するのかどうかを争っている事件であることをあえて看過した主張である。本件において、在外公館で認定交付事務を行う場合を仮定してその困難性を主張することはまったく無意味である。
B したがって、右主張については反論する必要がないと考えるが、念のため、被告らのいう実務上の困難性が存在しないことについても次の例をあげておく。
そもそも、日本国内で被爆者健康手帳交付申請をする場合であっても被爆地である広島市・長崎市以外の都道府県では申請者が被爆者であるかどうかの確認は困難である。そこで各地域の行政窓口では、受理した手帳交付申請用紙を広島市・長崎市に送付して、申請者の被爆の事実に間違いがないかどうかを確認してもらい、そこで右両市から不明な点が指摘されれば、それを被爆者本人に問いあわせて確認したうえで手帳交付を行っている。要するに、認定事務については、被爆地以外の自治体のみで認定することは経験的・地理的に困難なのであり、広島市および長崎市が検討・調整しなければ正しい認定ができないのである(乙第一三号証)。
すなわち、かかる被爆者認定事務の困難性に差が生ずるとするならば、申請を受けた自治体が被爆地であるかないかの点しかなく、日本国内で行うか在外公館で行うかによっては、その困難性に差異はない。在外公館における認定事務をことさら特異な事態であるかのごとく主張する被告の右主張は失当である。
さらに、在韓被爆者渡日治療の際には、厚生省、広島市および長崎市の役人が事前に韓国に行き、対象者の被爆の事実を確認した上で、渡日患者を選定し、来日と同時に被爆者健康手帳を交付したという事実もあるし、ブラジルの医師団派遣では、厚生省の役人も同行して、検診希望者の被爆の事実を確認した上で、検診を行ったという事実もある。かかる事実に鑑みても、日本国外で被爆の事実を確認することがことさらに困難であるとは到底いえない。
A 被告らは、被爆者援護法は「被爆者の原子爆弾による特殊な健康被害が現に継続することを前提として医療の給付及び右各手当の支給を認めている法律であることから、特殊な健康被害が現に継続する事実を同法所定の各種手当ての受給要件とし、かつ、『都道府県知事』がその事実が存在することを明確に確認できる手続を同法施行規則等において用意しているものであるが、日本に居住も現在もしない者に対して右医療特別手当や健康管理手当を支給することとした場合、都道府県の認定を申請するに際し添付された診断書等の記載内容の確認等、当該申請者の健康状態の事実調査に関する事務処理が困難となる場合が想定されるし、仮に支給事務を行政実務上在外公館で行うと仮定した場合、被爆者援護法上、在外公館が右事務を行う権限を有すると解釈することは困難である」と主張している(被告第七準備書面九頁から一〇頁)。
しかし、前にも述べたが、本件訴訟は、そもそも、日本でいったん認定された手当の受給権が外国に出ることによって失権するかどうかが争点なのであり、外国での手当受給申請の是非を争点としているのではないのであるから、外国での認定申請を前提とした法律解釈や行政実務上の困難性をいう右被告の主張は、まったく争点を踏み外した無意味な主張である。仮に、本件訴訟の争点に則して困難性を主張するのであれば、いったん受給権を認定した手当を出国することによってうち切らなければならないほどの困難性は何なのか、ということのはずであるが、この点の主張はまったくなされていない。
B よって、右主張に対しては反論する必要がないと考えるが、念のため、次のとおり反論する。
そもそも、いったん受給権が認定された手当は、健康管理手当の場合には三年ないし五年、医療特別手当の場合は三年、保健手当の場合は他の手当を受給しない限りは死ぬまで、原子爆弾小頭症手当も死ぬまで、それぞれ再申請する必要がないのであるから、その間は、国外での事務処理はない。このことだけをみても、いったん日本において受給権が認定された手当が受給者が出国することによってうち切られなければならない理由および必要性はまったくないことが明らかである。
さらに、本件訴訟においては、国外での認定申請の可否を問題としているものではないが、仮に、被告の右主張にかかる国外での認定申請を考えた場合でも、例えば、労災保険法の場合に、外国の医師がその国の言葉で書いた診断書を日本に送付することによって、手当の継続が行われていることに照らせば、在外公館に提出された診断書等を広島市や長崎市に送付して認定要件の確認業務を行えばすむのであるから、何らの困難性もない。被爆者の少ない地域において認定申請がなされた場合には、厚生省や広島市・長崎市に不明な点を照会することによって行政事務を進めていることに照らせば、在外公館において認定申請を受理する場合には、申請書類を厚生省や広島市・長崎市に送付したり不明な点を照会することによって問題は解決するはずである。
被告は、被爆者援護法上、被爆者自身の故意の犯罪行為による疾病の場合、被爆者の負傷・疾病が闘争や泥酔、著しい不行跡、重大な過失による場合、正当な事由なく療養に関する指示に従わなかったときには、一般疾病医療費の全部または一部を支給できないことができると定めているところ、日本に居住も現在もしない者については、右事由の存否を確認することが行政実務上困難であると主張している(被告第七準備書面一〇頁〜一一頁)。
しかし、右主張が日本に居住も現在もしない者について手当の支給を打ちきることの合理的な理由となりうるのであれば、医療費の支給を定める他の法律においても、受給者が日本に居住も現在もしなくなった場合には、すべからく医療費の支給を打ち切る扱いとなっているはずであるが、そのような事実は一切ない。
すなわち、例えば、健康保険法にも被爆者援護法と同様の「故意の犯罪行為による疾病の場合、正当な事由なく療養に関する指示に従わなかったときには医療費の全部または一部を支給しないことができる」とする規定があるが、健康保険組合では被保険者が海外に出て治療を受けて海外で医療費を支払った場合でも医療費の支給を行っている。また、被爆者が国外で支払った一般疾病医療費の支給を、様式第八号の用紙(一般疾病医療費支給申請書)によって申請したところ、厚生省がこの支給を認めた事例もある。
さらに、労災保険法では、労働災害にあったものが、その後国外に出た場合には、その者が国外で受けた治療費を国外から請求し、労働省が右治療費を国外にある被災労働者の銀行口座に振り込むという方法が行われている。
したがって、被告の右主張は、日本に居住も現在もしない者に対して手当の支給を打ち切る理由とはなりえない。
被告は、「被爆者」が死亡した場合には、葬祭を行う者に対して葬祭料が支給されるほか、各種手当の支給は当然に終了するところ、日本に居住も現在もしない外国人については、戸籍法および住民基本台帳等の適用がないのであるから、行政実務上、その死亡の事実を明確に確認することができない場合もありうるが、右困難は、仮に在外公館等で右実務を行うこととしても解消されるものではなく制度上実務上問題がある、と主張している(被告第七準備書面一一頁〜一二頁)。
しかし、死亡の事実は戸籍もしくは住民票によって原始的に確認されるのではない。戸籍および住民票は死亡の事実を確認した結果が記載されているにすぎない。死亡の事実を確認するという作業は日本国籍の者であろうと日本国籍を有しない者であろうとおよそ人である限りにおいて必ず起こりうることであり、通常、医師の死亡診断書もしくは証明書によってその死を確認しているのである。
被告は、日本に居住も現在もしていない者のうち外国籍の者はその死亡の事実を確認するのが困難である、と主張しているのであるが、日本に居住も現在もしていない者のうち日本国籍の者であっても戸籍に死亡の事実が記載される前には必ず真実死亡したかどうかの事実確認を経ているのであり、通常は外国医師の死亡診断書によるしかない。したがって、死亡した場所が国外である以上、その死亡確認の方法が外国籍の者と特に異なるという事実は存在しないのであり、外国籍の者のみの死亡の事実の確認が困難である事情は存しない。
結局、被告の右主張は、戸籍を盾に外国籍の者を特異に扱っているにすぎず、まったく理由になっていない。
また、そもそも、本件訴訟において、被告は、日本国籍の者であるか外国籍の者であるかは区別なく、日本に居住も現在もしない者には手当の支給を打ち切る、と主張していたはずであり、かつその当否が本件訴訟の争点であったにもかかわらず、ここにおいてのみ、日本に居住も現在もしない者に対する手当支給の打ちきりの理由として「外国人」であることを掲げる被告の主張は、まったく混乱しているといわざるを得ないし、そこに外国人排除の思想が見え隠れしているといわざるを得ないのである。
したがって、右被告の主張に対しては、反証をあげる必要すらないと考えるが、念のため、次のとおり反論しておく。
すなわち、例えば、労災保険法にも葬祭料の給付が定められているが、外国で死亡した場合には、所定の用紙に必要事項を記載して外国から送付すれば外国に住む遺族に葬祭料が支給されている。したがって、日本に居住も現在もしていない被爆者についても、葬祭料の支給申請書に必要事項を記入し、死亡診断書または死体検案書を添付することにより支給が可能である(様式第二十九号用紙)。
以上主張したとおり、いったん認定を受けた者が出国した後も諸手当を支給した場合には何らの実務上の困難性はないのであり、被告らの主張は失当である。
孫振斗裁判は、不法入国した孫振斗氏が被爆者手帳の交付を申請したのに対して、福岡県が、「(原爆医療法の趣旨は)日本国の領域内に成立している地域社会の福祉向上を図ることにあるのであって、日本国内の地域社会において社会生活を営んでいない、いわゆる地域社会との結合関係(居住関係)を有しない者については、同法は適用されない」と主張して、これを却下したためのその取消を求めた事案である。
従って、右訴訟における唯一の争点は、「地域社会との結合関係が被爆者健康手帳の交付の要件か、否か」であり、その前提として、法の趣旨が問われたのである。
右争点につき、地域社会との結合関係は被爆者健康手帳の交付の要件ではないとしたのが、最高裁判決である。
この最高裁判決を捉えて、「最高裁昭和五三年判決も、被爆者援護法と同趣旨の法律である原爆医療法について本件における被告らの主張と同様に解している」(被告第七準備書面二頁他)と主張する被告の誤りは、すでに原告準備書面イ一三頁以下、同オ一一頁以下で指摘の通りである。
なお、被告は、右判決を担当した最高裁調査官の「同法(原爆医療法)は外国人被爆者にも属地的に適用されるものと解されており、従前からの行政実務の取扱も同様であった」との論述を引用して、被告主張に添うかのように言う(被告第五準備書面三頁)。
右引用部分が、被告の主張に何ら関わらないこともすでに原告準備書面オ一三頁に指摘の通りであるが、「属地」の意義につき、さらに付言する。
一九六九年五月八日の衆議院社会労働委員会で、本島百合子議員(民社党)が日本国籍を有しない在日被爆者に原爆二法が適用されるかについて質問したところ、村中厚生省公衆衛生局長は、「適用については、居住の本拠が日本にあることが前提になっている。つまり属人主義ではなく属地主義の建前を取っている」と答えて、日本国籍を有しない在日被爆者に保護が及ぶと答弁した。ここで言われる「属地」には、「日本国籍を有することを要しない」という以上の意味はない。
ちなみに、「居住の本拠が日本にあることが前提」という右答弁は、孫振斗最判で明確に否定された。本件においても、被告らは援護法立法時における厚生省の答弁を、出国による失権の根拠に挙げる(被告第一準備書面五頁)。しかし、そのようなものが根拠足り得ないことを孫振斗最判は明確に示している。
四〇二号通達以後、外国から日本を訪れた被爆者が取得した被爆者健康手帳の取り扱いは、以下のような変転と混乱を重ねている。
一九七四・七・二二 四〇二号通達
「同法は日本国内に居住関係を有する被爆者に対して適用されるものであるので、日本国の領域を越えて居住地を移した被爆者には同法の適用がないものと解される」
一九七四・七・二五 辛泳洙さん、外国から日本を訪れた被爆者として最初の手帳取得
一九七七・五・三〇 【甲一九】(広島市)徐錫佑さん初めて手帳取得
一九八四・一〇・一六 【甲二〇】(広島市)申亘秀さん初めて手帳取得
三年の更新期間を過ぎているので手帳は更新されているが、交付日は初取得時のまま。したがって、おそらく手帳番号も交付時と同じ番号。(=手帳は一九七七年五月三〇日取得の「被爆者」たる地位に基づいて交付されている)
一九九四・五・六 【甲二〇】(広島市)申亘秀さん再来日
手帳の表紙裏に「この手帳は、日本国内に居住する期間のみ有効です」のゴム印
一九九五・一一・三〇 【甲一五】通知:短期滞在者の手帳への留意事項の記入等につ いて
一九九六・六・二九 【甲二一】(広島市)金末錫さんが初めて手帳を取得
手帳の表紙裏に「滞在予定期間」のゴム印
三年の更新期間を過ぎているので、手帳は更新されているが、交付日は初取得時のまま。したがって、おそらく手帳番号は初取得時と同じ番号。(=手帳は初めに取得した「被爆者」たる地位に基づいて交付されている)
一九九七・六・二六 【甲一九】(広島市)徐錫佑さん再来日
手帳の表紙裏に「滞在予定期間」のゴム印
一九九八・五・二〇 原告が手帳を取得
一九九八・一〇・一二 【甲二二】(大阪府)原告再来日
手帳の表紙裏に「この手帳は、日本国内に居住する期間のみ有効です」のゴム印および「滞在予定期間」。手帳交付日と滞在予定期間の初日が同一(=手帳は一九九八年五月二〇日取得の「被爆者」たる地位に基づいては交付されていない)
一九九七・七〜 手帳の三年間ごとの更新制度が廃止。手帳は死亡時まで有効。
一九九九・一〇 【甲九】(広島県)森田さんに「申立書」の提出と引き替えに手帳を交付するという。前年までは「申立書」はなく「滞在予定期間申告用紙」に記入したが、引き替えに手帳を交付するという条件はなかった。
一九九九・一一・四 【甲一八】(広島県)森田さん、「申立書」と引き替えに手帳を取得。短期滞在者ではない森田さんの手帳に「滞在予定期間」のゴム印。手帳交付日と滞在予定期間の初日が同一(=手帳は以前に取得した「被爆者」たる地位に基づいては交付されていない)
以上、手帳には、元来、期間に関する記載欄はなかった。ところが、一九九四年頃から「有効期間」を記入するためのゴム印が押印されるようになり、それが、一九九六年頃から「滞在予定期間」を記入するためのゴム印に変わった。
また、手帳が表す「被爆者」たる地位についても、当初は、はじめに取得した「被爆者」たる地位であった(従って手帳番号は初取得時から変わらない)ものが、一九九六年頃から手帳の再取得の度ごとに異なるかのような(従って手帳番号も再取得の度ごとに異なる)ものとなった。
援護法施行規則八条は死亡による失権の場合につき手帳の返還を定めている。被爆者たる地位の主体が死亡した場合にさえ手帳の返還を定めているのに、右規則は被告のいう出国による失権の場合に手帳の返還を求めていない。その理由は、出国による失権を予定していないからとしか考えられない。
行政が前記のような混乱した取り扱いを余儀なくされるのは、援護法と規則の定めに反した取り扱いを強いて行っているからに他ならない。
被告らは、健康管理手当受給者の出国の事実を如何にして認識しうるのかとの点につき、
@ 支給期間の満了前に支給期間が満了する旨及び認定申請を促す旨の通知書を郵送し、これが「居住者不明」等の理由により返還された場合、これを端緒として出国を確認することが行政実務上可能となっている。
A 滞在予定期間終了前に通知文を送付し、滞在予定期間の延長に関する本人からの申出がないかを確認することにより、可能であると主張する。
しかしながら、居住者不明等の理由で郵便物が返還されるのは、受取人が海外に出国した場合に限らないことは言うまでもない。海外に出国したのでなく、国内(更には同一都道府県内、市町村内であっても)で居住地を移転した場合にも起こりうることであり、このような場合にまで出国したものとみなして支給を停止するようなことは、断じてあってはならない。
また、受給者本人が海外に出国していても、郵便物は同居人が受け取れば、返還されることがないのであるから、このようなことによって受給者の出国を認識することが行政実務上可能であるなどとは到底言えない。
更に、滞在予定期間の延長に関する本人からの申出がないかを確認することによって、受給者の出国を認識しうるとの主張も明らかに失当である。
即ち、本邦への入国時の予定を変更して、滞在予定期間を過ぎても滞在することになった場合であっても、在留資格上、何らの問題もない場合(例えば、森田隆さんのように、日本での滞在ビザを必要としない被爆者の場合)であれば、行政機関に対し、滞在予定期間延長の申出を要求しうる法的根拠は全くない。従って、受給者が延長を申し出ないことを何ら問責し得ないところ、かかる申し出がなければ、日本に滞在(「現在」)しているにもかかわらず、支給が停止されることとなり、被告らに主張に沿わない運用が結果として生じる。
逆に、入国時に申告した滞在予定期間前に日本から出国した場合、日本に現在していないのに支給が継続される。
また、入国時に、ビザの有効期間満了までを滞在予定期間として申告していたところ、ビザの延長を行った場合、あるいは期間経過後も不法に滞在している場合、被告らは右期間経過後は支給を停止するのであろうが、被告らの主張によっても、日本に現在する者には被爆者援護法上の健康管理手当は受給しうるのであるから、かかる運用は不当な結果を生じる。
以上のとおり、被告らが、受給者の出国を認識しうる端緒ないし手段は甚だ乏しく、これを前提に実務を運用するなら、手当支給の取扱いにつき著しい不平等を招くことは不可避となることが明らかである。
そもそも、このようにほとんど正確に認識し得ない出国の事実により、手帳を「失権扱い」し、手当の支給を停止することを法が予定している、と解釈すること自体が、誤っていると言わざるを得ない。
被告らは、「たとえいったん取得された被爆者援護法上の『被爆者』たる地位をいえども、その者が外国に出ることによって・・・当該『被爆者』たる地位が失われる」(被告第六準備書面五頁)と主張する。
しかし、被告国と都道府県が、被爆者が出国していることを明確に認識しながら、その被爆者に対して、被爆者援護法に基づく給付を行った否定できない例がある。
特別葬祭給付金の支給である(特別葬祭給付金の趣旨は原告準備書面イ一八頁)。
広島市社会局原爆被害対策部援護課は、一九九五(平成七)年七月から一九九七(平成九)年七月までの間に、合計七一八件の在外被爆者による特別葬祭給付金請求があり、うち七一六件を認定したことを認めている(甲三〇・一二頁)。
特別葬祭給付金の給付は国債の交付によって行われるところ、厚生省・広島市は「国債の受け取りと現金化は日本にいる代理人が行える」(甲三〇・八頁下段)、すなわち、当該被爆者が、出国していても、給付を行うと明言している。そして、現に大多数の特別葬祭給付金の申請者は、申請のため数日間のみ滞日し、帰国後に給付を受けている(甲三〇・九頁上段)。
広島市は、特別葬祭給付金の申請を目的とする、短期滞在による手帳取得の申請が、一九九五年七月一日から一九九七年六月三〇日までの間に五〇〇件あり、うち四七〇件を認定したことも認めている(甲三一・一五頁)。手帳取得後、国債が給付されるのは、数ヶ月を経過してからである。広島市は(従って厚生省も)、出国後の給付をもっぱらの目的とする大量の手帳申請が存することを認識し、これを是としている。
これら在外被爆者に対する特別葬祭給付金の給付が、当該被爆者が日本に居住も現在もしないのに、行政がそれと知らずに給付した過誤払いではあり得ないことは明らかである。
すなわち、被告は、特別葬祭給付金の支給については、被爆者の出国を知りながら、「被爆者」たる地位を認めているのに、本件原告に対しては、出国を理由に「被爆者」たる地位を否定している。そこに違法な恣意が存することは否定できない。