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在韓被爆者郭貴勲裁判・第1回口頭弁論報告

                  (1998.11.18 1:10〜 大阪地裁806号法廷)

郭貴勲さんのプロフィール

1924.7.1   日本植民地支配下の朝鮮に生まれる。
1944.9.6   朝鮮人に対する「徴兵令」の適用の第1期徴用で日本軍に徴兵される。 1945.8.6   爆心地より2キロメートルの近距離で原子爆弾に被爆する。
1945.9     祖国に帰国。
1967.7     「韓国原爆被害者協会」の創設者の一人となる。
         以降,湖南支部長,副会長,会長を歴任し,在韓被爆者補償運動に尽力。


郭貴勲さんの提訴にいたる経過

1998.5.20  来日して大阪の阪南中央病院に入院し,大阪府知事より被爆者援護法に
         基づく被爆者健康手帳を取得

 ●被爆者援護法第1条 ●  この法律において「被爆者」とは,次の各号のいずれかに
                  該当するものであって,被爆者健康手帳の交付を受けた
                  ものを言う。 1.一次 被爆者, 2.二次被爆者, 3.体内
                  被爆者など
         日本国籍を持つ者であることを援護法適用の条件としていない

 ●被爆者援護法第2条 ●  被爆者健康手帳の交付を受けようとする者はその居住地
                  (居住地を有しないときは,その現在地とする)の都道府県
                  知事に申請
         日本国内居住を援護法の適用の条件としていない

1998.6.18  大阪府知事から「運動機能障害」のため被爆者援護法に基づく
        健康管理手当の5年間の受給を認定される。

1998.7.1   大阪府知事に対し韓国帰国後も健康管理手当を支給するよう要望。

1998.7.5   韓国に帰国。

1998.7.23   大阪府保健衛生部医療対策課長より「日本国の領域を越えて
         居住地を移した被爆者については,昭和49年7月22日付
         衛発第402号厚生省公衆衛生局長通達により,被爆者援護法の
         適用がないものとして失権の取扱をするものと解されているため,
          出国された日の属する月の翌月分以降の健康管理手当については
         支給できません」との回答。

1998.8     健康管理手当打ち切り。 (郭さんは6月と7月の2カ月分のみ受給)

1998.10.1   大阪地裁に提訴。


第1回口頭弁論報告


原告代理人より : 訴状陳述
被告代理人より : 答弁書陳述
郭貴勲さんより : 提訴にあたっての意見陳述(陳述書をご覧ください)


原告主張(訴状) 被告 被告主張(答弁書)
【処分取り消し】
被爆者援護法に基づき、「手帳の
交付により取得された被爆者たる地
位」と「5年間の健康管理手当受給
権」を失権するという処分を取り消
せ。
大阪府知事 被爆者援護法には失権の取扱をするとの行政処分は存在しない。健康管理手当を支給しないのは,8原告の出国により,原告の健康管理手当受給権者としての地位を当然に喪失したためで,行政処分は存在しない。
【損害賠償】 1978年の孫振斗最高裁判決で「原爆医療法」の国家補償法的性格が判 示され,1994年には「原爆医療法」と「原爆特別措置法」を1本化し国家補償法的性格をいっそう強めた 「被爆者援護法」が制定された。しかし,その後も1974年の通達で「失権」処分をするのは,被爆者援護法  の運用を誤ったものであり,かつ内 外人平等を定めた憲法14条,国際人権規約に違反である。そうした違法 行為によって原告の受けた精神的苦痛に対し双方連帯して200万円を支払え。 日本国
大阪府
1974年の通達は現時点においても効力を有している通達である。

●1974年7月22日衛発第402号
  厚生省公衆衛生局長通達 ●

「特別手当受給権者は,死亡により失権するほか,同法は日本国内 に居住関係を有する被爆者に対し適用される者であるので,日本国 の領域を越えて居住地を移した被爆者には同法の適用がないものと解されるのであり,従ってこの場合にも特別手当は失権の取扱となること」
(予備的主張) 【地位確認】
 被爆者援護法に基づく被爆者であることの地位の確認。
日本国

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