第1 原判決の問題設定は正しい
いったん取得した地位が出国により失われるか否かについて,「この法律は海外でも適用する」とか「この法律は海外では適用しない」(すなわち海外適用の可否)という規定の方式は日本国法にはない。問題は,「海外適用の可否」について明文の規定がないことではなく,「出国により地位を喪失する」との規定がないことである。
1 控訴人による原判決批判の立論
原判決は,「被爆者が日本に居住も現在もしなくなった場合に『被爆者』たる地位を喪失する(または喪失させることができる)旨の明文の規定は一切存在しない。」従って,「(地位を喪失させるという)解釈を許容するためには,明確な法理論上の根拠,あるいは,当該法律の規範構造から疑義のない程度に明白であるなど,特段の合理的理由が必要である」と結論した(30頁)。
これに対して,控訴人も,「いったん,取得した被爆者健康手帳の交付を受けた者が,日本国内に居住も現在もしなくなることにより,被爆者援護法第1条に定める『被爆者』たる地位を失うか」否かが争点であることは認める(準備書面(1))。
しかし,控訴人は,原判決が争点の把握を誤っているとして次のようにいう。
「原判決は,本件を被爆者に対していったん付与した権利を解釈によって剥奪することができるかという問題として捉えているように伺われるところ,本件で検討されるべきは,解釈による権利の剥奪の可否ではなく,被爆者援護法が被爆者に対して保障している権利の内容がどのようなものと解釈されるかと言う問題である」。「被爆者援護法が被爆者に対して保障している権利の内容がそもそもどのようなものであると解釈されるか(いかなる範囲の者に対して付与される権利であると解釈されるか)・・・・海外適用の可否については法律によっては必ずしも明文規定は設けられていないのであるから・・・・明文規定の存否だけではなく,当該法律全体の法構造・立法者意思・法律の性格などから,国会がどのような立法政策を採ったのかを検討し,その適用範囲を合理的に解釈することを要する・・・・原判決のように海外不適用の明文規定が存しないことを重視しすぎることは,適切な解釈態度とはいえない。」(控訴理由書6〜7頁)
2 「海外適用の可否」として論じる虚構
しかし,控訴人による原判決批判の立論には,その前提に虚構がある。
第1に,被爆者に対する援護措置が講じられたのは,被爆者に対して権利を認めることが出発点なのではなく,被爆者に対する何らかの援護が必要との認識が出発点である。そのため,援護法においても,まず「被爆者」の認定が最初になされ,『被爆者』に対して,各種の援護措置がなされるのである。すなわち,各種援護措置(これを請求するのが権利である)を受けられる者が「被爆者」とされるのではなく,「被爆者」が各種権利の主体となるのである。したがって,問われるべきは「被爆者」か否かであり,さらには,その『被爆者』の中でどのような援護措置を受けられるのか(医療給付であるのか,健康管理手当であるのか),ということである。控訴人の主張は,「被爆者」に認められる権利(各種援護措置)から,逆に「被爆者」の範囲を確定しようとするものであり,明らかに論理が矛盾しており,法構造を無視している。
第2に,原判決が論じたのは,「(出国による)地位の喪失」である。「権利の剥奪」として捉えていないし,解釈による権利の剥奪の可否など検討していない。
(ちなみに,控訴人は,「被爆者」が出国した場合に手当が打ち切られることの根拠らしきものについては,縷々述べている。しかしながら,「被爆者」たる地位を失うことの根拠については述べていない。)
第3に,控訴人は,「権利の内容がどのようなものか」と「いかなる範囲の者に対して付与される権利であるか」とを同義であるかのようにいう。しかし,「いかなる範囲の者に対して付与されているか」とは,権利の範囲ではなく,権利の主体である。
第4に,控訴人は,「権利の内容がどのようなものか」,「いかなる範囲の者に対して付与される権利であるか」を論じるにつき,これが,「海外適用の可否」の問題であるとした上で,「海外適用の可否」につき明文がないから,解釈によって決するしかないという。
しかし,本件の争点は,控訴人も認めるとおり,「いったん,取得した被爆者健康手帳の交付を受けた者が,日本国内に居住も現在もしなくなることにより,被爆者援護法第1条に定める『被爆者』たる地位を失うか,否か」であって,「(被爆者援護法の)海外適用の可否」などではない。また,原判決が「規定がないこと」を指摘したのは,「被爆者が日本に居住も現在もしなくなった場合に『被爆者』たる地位を喪失する(または喪失させることができる)」旨の明文であって「海外不適用の明文」ではない。
本件を海外適用の可否として論じようとする立論には上記のとおり,二重,三重の虚構がある。
3 「海外適用の可否」を明文で規定する法令などない
(1) 「海外」「国外」及び「適用」を定める法令の例
国は,援護法につき「海外適用の可否については法律によっては必ずしも明文規定は設けられていない」,あるいは「海外不適用の明文規定が存しないことを重視しすぎることは,適切な解釈態度とは言えない」という。
後記の別表は,総務省行政管理局法令データ提供システムによる,「海外」あるいは「国外」と「適用」をキーワードとする検索結果の内,主な法文を列挙したものである。これらの法文の内には,「海外」の語が法律の適用範囲に関わって用いられている法令は一編もない。唯一,所得税法と刑法典においてのみ,「国外」の語が法律の適用範囲に関わって用いられている。
(2) 所得税法の用例
所得税法第二条は,「国内 この法律の施行地をいう。 国外 この法律の施行地外の地域をいう」と定める。
これは,国内外をまず措定した上で,適用の有無を区別する規定ではない。適用がある場所を国内と呼び,適用がない場所を国外と呼ぶのである。被爆者援護法について,控訴人が主張している「海外適用の可否」とは,論理が逆である。
(3) 刑法典の用例
刑法第2条は,「この法律は,日本国外において次に掲げる罪を犯したすべての者に適用する」,同第3条は,「この法律は,日本国外において次に掲げる罪を犯した日本国民に適用する」と定める。
刑法2条,3条がこのような規定となっているのは,刑法第1条が,「この法律は,日本国内において罪を犯したすべての者に適用する。」と規定して,適用対象を「日本国内において罪を犯した者」に規定する原則規定を設けたためである。
(そもそも刑法も「日本国外において○○した者に適用する」という定めであって,当該法律の全般的な「海外適用の可否」について定めた規定ではない。刑法第2条,第3条をもっても法律の「海外適用の可否」について,定めた例と見ることはできない。)
(4) 「海外適用の可否」について定める日本国法はない
所得税法・刑法,いずれの例も,法律の「海外適用の可否」について定めた例ではない。「海外適用の可否」について明文規定を設けるような日本国法は存しないのである。
控訴人は,援護法が,「海外適用の可否については法律によっては必ずしも明文規定は設けられていない」という。しかし,「海外適用の可否」について,明文規定で定めるような例は,およそ日本国法にはないのである。
4 援護法にないのは「出国により地位を喪失する」という明文である
控訴人は,「海外不適用の明文規定が存しないこと」を理由に,「いったん,被爆者健康手帳の交付を受けた者が,日本国内に居住も現在もしなくなることにより,被爆者援護法1条に定める『被爆者』たる地位を失うか」につき,解釈で決するしかなく,(恣意的な)解釈の結果,これを失う,と立論する。
しかし,すでに述べたとおり,日本国法においては,「いったん取得した何らかの地位が日本国内に居住も現在もしなくなることにより喪失するかどうか」も含めて,法律の「海外適用の可否」として規定する立法形式はない。
その理由は,日本国法が,「海外適用の可否」を定めるまでもなく,海外適用されることがないからではない。
「海外適用の可否」を定めるまでもなく,およそ日本国法が海外適用されることがないなら,刑法第1条は不要である。また,「海外不適用」の条文を待つまでもなく,日本国法が海外適用されず,国外居住者への給付があり得ないなら,国民年金法附則5条1項各号の「日本国内に住所を有する」あるいは「日本国内に住所を有しない」の規定,児童手当法4条「日本国内に住所を有するとき」の規定,児童扶養手当法4条2項1号「日本国内に住所を有しないとき」の規定,特別児童扶養手当等の支給に関する法律第3条第3項1号「日本国内に住所を有しないとき」の規定等も,本来,明文で規定する必要はない。
これらの規定が設けられているのは,これらの規定を設けない限り,日本国内に住所を有しなくなっても支給が続けられることとなるから,これを明文で規定したのである。
すなわち,「出国したら失権する」と言う規定の存しない限りは,給付(これらの法律において失権するのは地位ではなく給付)を打ち切られることがないことが当然の前提とされているのである。
原判決は,「被爆者が日本に居住も現在もしなくなった場合に『被爆者』たる地位を喪失する(または喪失させることができる)旨の明文の規定は一切存在しない。」従って,「(地位を喪失させるという)解釈を許容するためには,明確な法理論上の根拠,あるいは,当該法律の規範構造から疑義のない程度に明白であるなど,特段の合理的理由が必要であるというべきである」とした(30頁)。
これに対して,控訴人は,「海外適用の可否については法律によっては必ずしも明文規定は設けられていない」,あるいは「海外不適用の明文規定が存しないことを重視しすぎることは,適切な解釈態度とは言えない」とした。
控訴人の主張は,日本国法の立法形式を無視した,およそ論じるに値しない主張である。
本件の問題は,海外適用の可否について明文規定がないことではなく,あくまでも,出国によって,地位を喪失する明文がないことである。
出国によって地位を喪失する明文がない以上,いったん取得した地位を出国によって喪失することが許される余地はない。
第2 被爆者援護法はなぜ「被爆者」たる地位を出国により喪失させなかったのか
被爆者援護法が,「被爆者」たる地位を出国により喪失させないこととしたのは,長年のさまざまの論議をへて確定された被爆者援護法の趣旨,目的に基づくものだった。
1 原爆医療法・原爆特別措置法はどのような性格を持っていたか
孫振斗最高裁判決は,原爆医療法の法的性格について,「特殊の戦争被害について戦争遂行主体であった国が自らの責任によりその救済をはかるという一面を有するものであり,その点では実質的に国家補償的配慮が制度の根底にある」,「国家補償の趣旨を併せもつ」と判示するとともに,「被爆者の置かれている特別の健康状態に着目してこれを救済するという人道的目的の立法」と判示した。
これは,第2審判決が,「原爆医療法は……被爆者の健康の保持及び向上を目的としているが,原爆特別措置法は……生活面の施策を講じて,その福祉の向上を図ったもので,両者相まって被爆者の福祉の向上を目的としていることは明らかであり,両者がその性格を異にするものとは認められない」としたうえで,原爆2法の法的性格を「立法の沿革,立法目的等に立入って検討」した結果より導かれた判示である。
第2審で行われた検討内容とその結果は以下のようなものである。
(1) 原爆医療法の制定経過について
1956年12月12日,衆議院本会議は,「原爆障害者の治療に関する決議 昭和二十年八月広島市及び長崎市に投ぜられた原子爆弾は,わが国医学史上かつて経験せざる特異な障害を残し,十年後の今日,なお多数の要治療者をかぞえるほか,これによる死者も相継ぎ,障害者はきわめて不安な生活を送っており,人道上の見地から考えてもまことに憂慮にたえないとともに,国としてこれらの特異な被害者の治療等につき医学的見地から深い研究をすすめる要がある。よって政府は,すみやかに,これらに対する必要な健康管理と医療とにつき,適切な措置を講じ,もって障害者の治療について遺憾なきを期せられたい。右決議する。」という「原爆障害者の治療に関する決議案」を全会一致で,次の通り採択した。
また,1957年2月22日の衆議院社会労働委員会において,神田厚生大臣は原爆医療法の提案理由を,次のとおり述べた。
「昭和二十年八月,戦争末期に投ぜられました原子爆弾による被爆者は,十余年を経過した今日,なお多数の要医療者を数えるほか,一見健康と見える人におきましても突然発病し死亡する等,これら被爆者の健康状態は,今日においてもなお医師の綿密な観察指導を必要とする現状であります。しかも,これが,当時予測もできなかった原子爆弾に基くものであることを考えますとき,国としてもこれらの被爆者に対し適切な健康診断及び指導を行い,また,不幸発病されました方々に対しましては,国において医療を行い,その健康の保持向上をはかることが,緊急必要事であると考えるのであります。これらにつきましては,政府といたしましても昭和二十九年度以降若干の予算を計上して,広島長崎両県に居住する一部の人に対し逐次精密検査及び研究治療を行って参ったのでありますが,被爆者の現状にかんがみますれば,今後全国的にこれが必要な健康管理と医療とを行い,もってその福祉に資することといたしたいと考え,ここに原子爆弾被爆者の医療等に関する法律案を提出した次第であります。」
以上のような経緯をへて,1957年3月31日,原爆医療法が制定されるに至った。
(2) 原爆特別措置法の制定経過について
日本人被爆者が日本政府に原爆被害に対する損害賠償を求めて起こしたいわゆる「原爆裁判」において,1963年12月7日に東京地裁で下された判決は,「広島長崎両市に対する原子爆弾の投下行為は国際法に違反するものである」と判示するとともに,次のように付言した。
「不幸にして戦争が発生した場合には,いずれの国もなるべく被害を少なくし,その国民を保護する必要があることはいうまでもない。このように考えてくれば,戦争災害に対しては当然に結果責任に基づく国家補償の問題が生ずるであろう。現に本件に関係するものとしては『原爆医療法』があるが,この程度のものでは,とうてい原子爆弾による被害者に対する救済,救援にならないことは,明らかである。国家は自らの権限と自らの責任において開始した戦争により,国民の多くの人々を死に導き,傷害を負わせ,不安な生活に追い込んだのである。しかもその被害の甚大なことは,とうてい一般災害の比ではない。被告がこれに鑑み,十分な救済策を採るべきことは,多言を要しないであろう。」
この東京地裁判決が契機となって,国会では,被爆者に対する日本国の責任に基づいた援護施策の拡充を求める論議が,活発化した。
そして,1964年4月3日の衆議院本会議で,「原爆被爆者援護強化に関する決議案 広島,長崎に原爆が投下されて十八年余を経たが,今日なお白血病その他被爆に起因する患者,死亡者の発生をみており,その影響が存続していることは憂慮に耐えないところである。原爆被爆者に関する制度としては,昭和三十二年に原子爆弾被爆者の医療等に関する法律が制定され,被爆者の健康管理及び医療措置が行なわれているが,原爆被害者に対する施策としては,なお十分とは認めがたい。よって政府は,すみやかにその援護措置を拡充強化し,もって生活の安定を図るよう努めるべきである。右決議する。」という「原子爆弾被爆者援護強化に関する決議案」が全会一致で採択された。
つづいて,第51回国会では1966年6月21日の衆議院社会労働委員会において,第55回国会では1967年6月8日の衆議院社会労働委員会,7月11日の参議院社会労働委員会において,「わが国が世界唯一の原爆被爆国である事実にかんがみ,原爆被爆地において,旧防空法等による国家要請により,防空等の業務に従事中死亡又は身体に障害をこうむった者に対し,昭和四十三年度を目途として援護措置を講ずること」という内容の「戦傷病者戦没者遺族等援護法の一部を改正する法律案に対する附帯決議」が,全会一致で採択された。
そして,1968年5月20日に原爆特別措置法が制定されたのである。
(3) 原爆医療法の性格
以上のような原爆2法の制定経過を検討した結果,第2審判決は原爆医療法の性格について,「原爆被爆者のおかれた特殊事情,とりわけその危険不安な健康状態に対し,人道上の見地から医学的解明を行い,必要な健康管理と医療等の措置を講ずるのが国の責務であることを明らかにしたものということができ,一般市民の戦争犠牲者の中から,とくに原爆被爆者のみを対象としてかかる立法をしたということ自体の裡に,同法が通常の社会保障法と異なる特異性を有することを看取できる」と判示したのである。
2 被爆者援護法はどのような性格の法律か
孫振斗最高裁判決を受けて設置された「原爆被爆者対策基本問題懇談会」は1980年12月11日,「原爆被爆者対策の基本理念及び基本的在り方について」と題した意見書を,園田直厚生大臣に出した。
意見書は,「原爆被爆者対策の基本理念」について,「最高裁判所の判決も述べているように,従来国のとってきた原爆被爆者対策は,原爆被害という特殊性の強い戦争損害に着目した一種の戦争損害救済制度と解すべきであり,これを単なる社会保障制度と考えるのは適当でない。また,原爆被爆者の犠牲は,その本質及び程度において他の一般の戦争損害とは一線を画すべき特殊性を有する『特別の犠牲』であることを考えれば,国は原爆被爆者に対し,広い意味における国家補償の見地に立って被害の実態に即応する適切妥当な措置対策を講ずべきものと考える」と述べた。
その結果,被爆者が戦争で被った特殊な被害に対する戦争遂行主体である日本国の補償責任を,その立法趣旨においても,具体的な援護施策においても明確にする被爆者援護法の制定議論が国会で始まり,政府案が国会に上程された。
被爆者援護法政府案に関して,1994年11月29日の衆議院厚生労働委員会で,桝屋委員(現厚生労働副大臣)が,被爆者援護法の政府案前文に書かれた「国の責任について」という文言について,孫振斗最高裁判決や基本懇意見書との関係を質問した。
これに対し,井出厚生大臣は次のように答弁している(甲67)。
「『国の責任において』という表現を盛りこむのは,(略)被爆者対策に関する事業の実施主体としての国の役割を明確にし,原爆放射能という,ほかの戦争被害とは異なる特殊な被害に関し,被爆者の方々の実情に即応した施策を講ずるという国の姿勢を新法全体を通ずる基本原則として明らかにしたものでございます。」
また,谷政府委員は,「(基本懇意見書にある)広い意味での国家補償の見地ないしは基本懇が言っている考え方そのものについて,別に私どもはもちろんこれを否定するものではございませんけれども,この法律そのものの中に国家補償という言葉は使わなかったということでございます」。
つまり,被爆者援護法は,孫振斗最高裁判決と基本懇意見書をふまえて制定されたものであり,@前文に「国の責任において」という文言が明記され,A各種手当ての所得制限規定が全廃され,B原爆死没者に対する「特別葬祭給付金」の支給が新設されるなど,原爆2法が有していた国家補償的性格と人道的目的を強化した法律として制定されたのである。
3 被爆者援護法の趣旨,目的から,「出国により喪失させる」と定めなかった
以上で見てきたように,被爆者援護法が「社会保障と国家補償の性格を併有する特殊な立法」(原判決)であり「被爆者が今なお置かれている悲惨な実情に鑑み,人道的見地から被爆者の救済を図ることを目的としたもの」(原判決)であることは,原爆医療法制定時以降の度重なる論議をへて確定されたことであり,疑義を差し挟む余地はない。
被爆者援護法上の各施策は,被爆者一人一人が抱える医学上いまだ完全な治療方法の見いだせない「特殊の戦争被害」に着目し,「戦争遂行主体であった国が自らの責任によりその救済をはかる」ことを目的として,実施されるものなのである。
そうである以上,被爆者援護法の適用要件としての権利主体である「被爆者」たる地位は,被爆者の居住関係によって喪失させられうる性質のものではない。
このことは,孫振斗最高裁判決が「原爆医療法があえてこの種の規定(国籍条項)を設けず,外国人に村しても同法を適用することとしているのは,被爆による健康上の障害の特異性と重大性のゆえに,その救済について内外人を区別すべきではないとしたものにほかならず,同法が国家補償の趣旨を併せもつものと解することと矛盾するものではない」と判示しているとおりである。
したがって,原判決が判示するように,「立法当時から,すでに国外に居住する被爆者に対する対応が問題とされており,しかもその問題の解決がすでに法文の解釈上から明らかなものとなっていたとはいえない状況下において,あえて,日本に居住も現在もしなくなることにより『被爆者』たる地位を失権させる旨の規定が設けられなかったことに徴するならば,被爆者援護法は国外居住者を排除する趣旨ではないと解する方がむしろ自然であるとさえいえる」のである。
これに対して,控訴人日本国は「政府案が在外被爆者を適用対象としていなかったからこそ,日本共産党に所属する岩佐委員は,年金化すれば在外被爆者に対しても支給がされることになる旨を指摘し,日本共産党は,その趣旨も含めて,在外被爆者も含む全被爆者に対する年金支給を内容とする修正案を提出したのである。政府案が『あえて』明文規定を設けなかったとする原判決は,全く根拠の基づかない一方的な推論といわざるを得ない」(控訴理由書19頁)と反論している。
しかし,甲61号証にあるように,日本共産党が提出した修正案は,疾病にかかっているかどうかの健康状態には関係なく,すべての被爆者に,国家補償として被爆者年金を支給することを,趣旨とするものであった。そして,その修正案の否決は,外国に居住する被爆者に支給されることを理由としてなされたのではない。鈴木(俊)委員が述べているように,「国の戦争責任に基づく国家補償を前提としたものであり,他の戦争犠牲者との均衡などの面で基本的な問題を含んだものであ」ることを理由に,なされたのである。
また,「国家補償」や「被爆者年金」を明記しようとした修正案は否決されたものの,いったん取得された「被爆者」たる地位が,出国によって喪失させられないことまでは,国会で議論さえされていないし,否決されてはいない。
ここにおいても,控訴人は明らかに事実に反する主張をしている。
第3 控訴人の主張は,立論の前提が虚偽に満ちている。
1 控訴人は,控訴理由書では行政法の原則について触れることができなかった
控訴人は,原審においては,いったん取得した地位を出国により喪失させる根拠の第1に,控訴人がいうところの「法の原則」あるいは「行政法の原則」を,挙げていた。
しかしながら,控訴人が原審で挙げた原則は,「法はそれを制定した国家の主権が及ぶ人的・場所的範囲において効力を有するのが原則である」(被告第五準備書面),「法は,国家の主権の及ばない外国においては適用されないのが原則である」(被告第七準備書面),「行政法は,・・・日本国内においてのみ効力を有するという原則(属地主義)」(被告第九準備書面)などとその内容を転々し,ついに,控訴理由書では,その原則自体が消え去ってしまった。
いったん取得した地位が出国により喪失する根拠として,控訴人が原審で挙げていた第1の理由が控訴理由書から消えてしまったという,そのこと自体が,出国により喪失させようという控訴人の主張がいかに根拠のないものであるか如実に物語っている。
原判決のいうとおり,「被爆者援護法のようないわゆる給付行政に関する国法に関しては,属地主義を厳格に適用すべき必然性はなく,むしろ,性質上,給付を受ける側の人的側面に着目することが多く,属人主義的な立場(人的範囲を限定する反面,場所的範囲を日本国内に限らない立場)を採る法制も十分合理性を有するものであって,実際,特に明文がなくとも海外適用を認める法制例は多数存在している(遺族等援護法など)。したがって,被爆者援護法が行政法であるからといって,属地主義の原則が,当然の前提として被爆者援護法の解釈に影響を与えるものではなく,法律の効力がいかなる人的場所的範囲に及ぶかは,それぞれの制度における個別的な立法政策の問題というべきである。」(原判決31頁)。
控訴人のいうような原則が実際に存するのであれば,先に挙げた国民年金法附則5条1項各号の「日本国内に住所を有する」あるいは「日本国内に住所を有しない」の規定,児童手当法4条「日本国内に住所を有するとき」の規定,児童扶養手当法4条2項1号「日本国内に住所を有しないとき」の規定,特別児童扶養手当等の支給に関する法律第3条第3項1号「日本国内に住所を有しないとき」の規定等,児童手当法4条「日本国内に住所を有するとき」の規定,児童扶養手当法4条2項1号「日本国内に住所を有しないとき」の規定,特別児童扶養手当等の支給に関する法律第3条第3項1号「日本国内に住所を有しないとき」の規定等はおよそ必要がないはずである。
2 医療給付と各種手当の支給は一体ではない
(控訴理由書8頁以下「被爆者援護法の給付体系(医療給付と各種手当の支給との関係)について」の項の虚偽)
控訴人は、「医療法が在外被爆者を適用対象としていない」,あるいは「医療給付と各種手当の支給が一体である」と主張して,いったん取得した地位が出国により喪失するという。しかし,これは,いずれもその前提を偽るものである。
(1) 医療法と特措法の制定経緯に関する控訴人主張の虚偽
@ 控訴人の主張
控訴人は,「在外被爆者は医療法から適用除外されていた。特措法からも適用除外されていた。そして,被爆者援護法からも除外されている」,という。
A 「在外被爆者」への「海外適用」として論じる虚構
しかし,「在外被爆者」なる概念自体,控訴人がその謬論を推し進めるために生み出した,法律上どこにも存在しない概念であることは第1準備書面で述べた通りである。
B 援護法制定経緯に関する虚構
「被爆者」に対する給付が, 控訴人のいうところの「在外被爆者」に対して適用されないことなど,どの法律の法文上も,どこにも明らかではない。
原爆医療法2条は
「この法律において『被爆者』とは,次の各号の1に該当する者であって,被爆者健康手帳の交付を受けたものをいう。
原子爆弾が投下された際当時の広島市若しくは長崎市の区域内又は政令で定めるこれらに隣接する区域内にあった者
原子爆弾が投下されたときから起算して政令で定める期間内に前号に規定する区域のうちで政令で定める区域内にあった者
前2号に掲げる者のほか,原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者
前3号に掲げる者が当該各号に規定する事由に該当した当時その者の胎児であった者」と定めるに過ぎない。
この規定をもって,控訴人が主張するように「『被爆者』の定義から『在外被爆者』は当然に排除されている」と解することは到底できない。
1968年に原爆特別措置法が制定された。
控訴人は,「被爆者特措法の適用対象者は,少なくとも原爆医療法の適用を受ける者であることが前提である・・・『被爆者』には在外被爆者が含まれないのであるから,当然のことながら,被爆者特措法の適用対象者にも在外被爆者は含まれない」というが,これは,その前提自体,上述の通り誤っている。
そして,1994年に被爆者援護法が制定された。
これについても,控訴人は,原爆二法の適用対象に「在外被爆者」を含まないから,援護法の適用対象にも「在外被爆者」を含まないという。しかし,その前提が誤っていることは上述と同じである
(2) 医療給付と各種手当支給の一体的実施に関する控訴人主張の虚偽
@ 控訴人の主張
控訴人らは,「建物の1階部分に当たる医療給付を受けることが全く予定されていない在外被爆者が,建物の2階部分に当たる各種手当の支給のみを受けるというのは,被爆者援護法の法構造に沿わない」という。
A 控訴人の論理の脆弱
控訴人らは,医療と手当の二階建て論:「医療保障から始まっている。医療をするためには指定医療機関,日本内しか監督が及ばない」という主張している。
しかし,「1階」「2階」とは一体なんだろうか。「建物の1階・2階」などという,およそ法論理とは考えられない比喩を持ち出さざるを得ないところに,控訴人らの論理の虚構が露呈している。
B 医療給付と各種手当の支給は一体ではない
1957年,原爆医療法は,被爆者に対する援護として,すべての被爆者に対する健康診断と原爆症認定を受けた被爆者に対する医療の現物給付を規定して制定された。
1960年に原爆医療法は,主に2つの点で改正がなされた。
第1に,特別被爆者の制度が設けられた。これは,被爆者のうち,爆心地から2キロ以内で被爆した被爆者,原爆医療法8条1項の原爆症認定被爆者などを特別被爆者として,一般被爆者と区別し,また,被爆者健康手帳もこれに対応して,2種類に区分させ,特別被爆者については,一般疾病医療費の給付を国費から支給されるようにした(同法14条の2)。
第2に,原爆医療法8条1項の原爆症認定被爆者に対しては,治療期間中,医療手当が支給されることになった。この医療手当が,特措法で規定された各種手当のはじまりといえるものであった。
原爆特別措置法は,被爆者に健康管理手当をはじめ各種の手当の支給をすることを内容としている。原爆特別措置法の手当は,被爆者の受けた障害が今の医学では完治しえないものであることから,生活面においても大きな困難を抱えていることに鑑みて,生活保障の目的で支給されるものとして制定された。
そして,例えば,健康管理手当は「都道府県知事は,原爆医療法第14条の2第1項に規定する特別被爆者(1960年の医療法改正で,爆心地から2キロ以内で被爆した者を特別被爆者とし,一般疾病医療費の支給が行われるようになった)であって,……厚生省令で定める障害を伴う疾病にかかっているものに支給する」と定めるに過ぎない。「一般疾病医療の支給を現に受けている」ことは要件ではない。
被爆者援護法では,治療期間中に支給すると明記されている手当は,医療特別手当だけであり,その他すべての手当について,治療期間中であることは要件ではない。健康管理手当は,「被爆者であって,省令で定める傷害を伴う疾病にかかっている者に対し,支給する」として,申請手続きにその疾病を証明するための健康診断書が必要なだけである。診断書を書いてもらう限りで,指定医療機関にかかればよい。保健手当は,健康状態とは関係なく,2キロ以内で被爆したことが証明されれば,一生涯健康診断書を出さずとも受給しうる。また,特別手当は,原爆症認定被爆者が治療の結果,原爆症が治癒した後に受給しうる手当である。さらに,原爆小頭症手当は,原爆小頭症であると診断されれば,要医療状態になくとも死ぬまで永続的に手当を受給しうる。加えて,葬祭料という医療とは全く無関係な給付金が存在している。
医療給付と手当支給が一体であるを理由に,いったん取得した地位が出国により喪失するとすることは到底できない。
3 立法者意思について控訴人主張は厚生労働大臣答弁に反している
(控訴理由書16頁以下「立法者意思に関する誤り」の項の虚偽)
原判決後,厚生労働大臣は,繰り返し立法者意思に言及した。それらは,本件控訴理由書における控訴人の主張と明確に相反している。
(1) 控訴人の主張
控訴人は,「被爆者援護法制定時の審議経過,原爆法の制定経過等からすると,被爆者援護法を在外被爆者に適用しないという立法者意思はきわめて明確」と主張して,一見その主張に沿うように見える事実を縷々述べる。
(2) 厚生労働大臣は,原判決後,立法者意思についてどのように述べたか
@ 大臣臨時記者会見概要(H13.6.15(金)12:12〜12:40
厚生労働省記者会見場)
「その被爆者援護法が制定されます当時の関係されました皆さん方,あるいはまた政府関係者の皆さん方のご意見もいろいろとお聞きを致しました。しかし,その当時海外に居住する皆様方のことをどうするかという深い議論がその当時されてなかった,されずにあの法律が成立をしたという経緯がございます。」(甲73)
A 01.6.15.衆議院厚生労働委員会における金子哲夫議員の質問に対する坂口大臣の返答
「その当時の皆さんのいろいろなお話を今お伺いをしている訳でございますが,法制局の皆さん方のその当時のこの法律をつくるにあたってのお話もお伺いをしましたけれどもその点の外国に居住する皆さん事についてのあまり深い議論というのはなかったというふうに,お聞きをいたしております。そういうことで法律はできあがっていってしましました。しかし法律はその立法者のその当時の立法の意思とは別にその時代時代の背景によってその法律の意味というのは新しく生まれてくるというふうに言われておりますから,現在的な社会的な背景の中で,新しい意味合いをもっているのかもしれません。しかし,今のままでは,諸外国の人たちに対してどうするかということが明確でない,しかし,この諸外国に住む人たちのことを考えなくていいかというとこれはやはり国内に住む人たちと同じようにやはり考えていかなければならない,このことの議論をなければならないと私は思っております。したがいまして,その被爆者たる用件の明確化とそして外国に住む皆さん方の問題をどうしたら一番いいかということを早急にひとつ議論をしてできればもう半年くらいの間に今年の暮れくらいまでには議論を終わって,早く皆さん方にお答えをするようにしなければならないのではないかと考えているしだいでございます。」(甲74)
(3) 控訴人は,厚生労働大臣の答弁が誤っていると主張するのか
控訴人の主張は,明らかに厚生労働大臣の繰り返しの発言・答弁に反している。
控訴人は,厚生労働大臣答弁が誤っていると主張するのであろうか。そう主張するのであれば,そのように明確に主張されたい。
4 援護対策は国の責任である
(控訴理由書21頁以下「日本に居住又は現在する者に対する給付を予定している
被爆者援護法の規定の存在について の判断の誤りについて」の項の虚偽)
控訴人は,第1に「規則」によって「法律」を解釈し,第2に「規則」について,自己の主張する結論を何の根拠もなく前提している。加えて,援護法上,援護対策が国の責任であるという事実に目を閉ざしている。
(1) 控訴人は意図的に「法律」「政令」「規則」を混同している
控訴人は,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(以下「法律」)・原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律施行令(以下「施行令」)・原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律施行規則(以下「施行規則」)に定める(あるいはそもそも定めていない)内容を漠然と包括して「被爆者援護法上」あるいは,「被爆者援護法によれば」などとと表現する。法律(狭義の法律)の意義が問われているときに,政令や規則と混同して漠然と法律と呼ぶことは,議論を意図的に混乱させるものである。そもそも,一般に,法律(狭義の法律)の意義を,下位の法令である,政令や規則によって決しようとするのは,正しい解釈態度ではない。控訴人は,特に,控訴理由書中の「日本に居住又は現在する者に対する給付を予定している被爆者援護法の規定の存在についての判断の誤り」の項において,ことさらに,「法律」「施行令」「施行規則」を混同して「被爆者援護法」と呼んで,誤った結論を導き出そうとしている。これに対して,以下では,「法律」「施行令」「施行規則」を区別して論述する。
(2) 各種給付を行う「都道府県知事」を「居住・現在する地の都道府県知事」とする規定はない
@ 法律・施行令・施行規則の明文はどうなっているのか
法律の定めるところによれば,都道府県知事は被爆者に対して手当等を支給する(同法24条ないし28条,31条,32条)。また,都道府県知事は健康診断等の健康管理を行う(同法7条ないし9条)。これらの手当等の支給に要する費用は,都道府県の支弁とされる(同法42条)。
施行令3条1項,2項は「被爆者健康手帳の交付を受けた者は,他の都道府県の区域に居住地(居住地を有しないときは,その現在地とする。以下同じ)を移したときは,30日以内に,新居住地の都道府県知事にその旨を届け出なければならない。 2 都道府県知事は,前項の届出を受理したときは,旧居住地の都道府県知事にその旨を通知しなければらない。」と定めている。
施行規則4条2項3項は「2 都道府県知事は,居住地変更の届け出を受理したときは,被爆者健康手帳に新居住地に転入の旨を記載し,かつ,被爆者健康手帳交付台帳に必要な事項を記載した上,被爆者健康手帳を当該被爆者に返還するものとする。 3 令第3条第2項の通知を受けた都道府県知事は,被爆者健康手帳交付台帳から,当該被爆者に関する記載事項を抹消するものとする。」と定めている。
施行令・施行規則によれば,「被爆者」が他の都道府県の区域に居住地・現在地を移したときには,給付する都道府県知事も移る。しかし,国内に居住地がなくなったときに,給付する都道府県知事がなくなるとは,法律・施行令・施行規則は定めていない。
法律・施行令・施行規則の文言から,「被爆者に各種給付を行う『都道府県知事』とは,『当該被爆者が居住又は現在する地を管轄する都道府県知事』を意味することが明らか」であるとは到底言えない。かえって,給付を行う「都道府県知事」が,「当該被爆者が居住または現在する地を管轄する都道府県知事」であると定めた条項は全くないのである。
A 規則改正で何が変わったか(申請時と受給時の知事は「同一」か「別異」か)
控訴人は,原判決を「申請時と,各種給付の受給時とを別異に解さなければならないのかについては,全く明らかにしていない」と非難して,申請時の都道府県知事と各種給付の受給時の都道府県知事とが,いずれも居住現在地の都道府県知事でなければならないかのように主張する。
しかし,控訴人は,「知事の同一と別異」を論じるにあたって,74年改正以前の規則について全く触れていない。この点で重大な虚構がある。
原審原告第2準備書面37頁以下で詳説したとおり,この規則改正以前は,手当の認定申請を行った都道府県から移転した被爆者は,旧居住地の都道府県知事知事に対して失権を届出し,新居住地の都道府県知事に対して新たに認定を申請することと定められていた。ところが,規則改正によって,都道府県を越えて移転しても失権届は必要ではなく,新居住地の都道府県知事に「居住地変更届」を提出すれば足ることとなった(このフローチャートにつき甲59。ただし,甲59は法律・規則の規定にはない「国外」についての「失権の取扱」を記載している)。
言葉を換えれば規則改正以前は,手当の認定申請を受ける都道府県知事と手当を支給する都道府県知事は厳密に同一の知事でなければならないとされていた。ところが,規則改正後は,手当の認定申請を受ける都道府県知事と手当を支給する都道府県知事とは別異であってもよいこととなった。各種給付をする都道府県知事が,申請時の知事でなければならない法律上の根拠がなかったように,各種給付をする知事が居住現在地の知事でなくてはならない法律上の根拠もないのである。
そもそも,規則改正は,「被爆者」はどこに行っても,どこにいても「被爆者」であることを規則の上でも明確にした。場所の移動によって,喪失などしないことを明確にしたのである。
控訴人は「援護法上・・・は明白」などと主張する。しかし,402号通達がなければ,規則改正後は,法律・施行令・施行規則の上では,いったん手帳を取得した被爆者は,例え出国しても,手当を打ち切られることがなくなったのは疑いがない。
B 出国した「被爆者」に都道府県知事が手当を支給するのに特段の読替えがいるか
控訴人は,「被爆者援護法上,被爆者に対して各種手当を支給する都道府県知事は,当該被爆者の居住地又は現在地の都道府県知事とされている」から,「当該被爆者が居住も現在もしない都道府県が解釈によって経費を支弁することは全く予定されておらず・・・在外被爆者に対する支給を被爆者援護法が予定していたのであれば,当然読み替え規定を置くはずである」という。
しかし,そもそも「被爆者援護法上,被爆者に対して各種手当を支給する都道府県知事は,当該被爆者の居住地又は現在地の都道府県知事とされている」という主張は,法律・施行令・施行規則に全く根拠を持っていない。
法律・施行令・施行規則,いずれの文言によっても,また全てを総合しても,「各種手当を支給する都道府県知事は,当該被爆者の居住地又は現在地の都道府県知事」とは定められていないし,そう読みとることもできない。そうである以上,いったん手帳を取得して出国した被爆者を管轄地域外にあると考える根拠はない。また特に,被爆者援護法が規定する「都道府県知事」又は「都道府県」を,当該被爆者の最後の居住地又は現在地の都道府県知事又は都道府県と読み替える必要もない。
従って,国が直接手当を支給できる旨の規定がないのも当然である。
(3) 各種届け出義務も居住・現在を前提していない
原判決は,「届出義務等についても・・・届出をする際には,『被爆者』は日本に現在している必要があるものと解すれば足りるのであり,これが課されていない手当もあり,いったん取得した『被爆者』たる地位を失権させる根拠となり得ないことは明らかである。」と判示した。
これに対して,控訴人は「被爆者援護法は,被爆者が支給決定後も,継続して日本に居住又は現在していることを当然の前提としているというべきであって,届出の提出時だけ日本に居住又は現在していればよいなどという解釈は,あまりに不合理である。」という。
しかし,この非難は,「被爆者がその後に,各種手当の支給や健康診断等の給付を受けるのも,居住地又は現在地の都道府県知事から」,「被爆者が各種届出を提出すべき先も,居住地又は現在地の都道府県知事」という,すでに上述した,何ら,法律・施行令・施行規則に根拠のない,控訴人に独自の解釈を前提している。
それが誤っている以上,控訴人の原判決への非難は当たらないというべきである。
その余の,原判決に対する非難も,給付には日本国内での居住・現在を要するという誤った前提に立ったものであるから,その非難が誤っていることもまた同様である。
(4) 援護対策が国の責任であることを法律は明記している
控訴人は,「被爆者に各種給付を行う『都道府県知事』とは,『当該被爆者が居住又は現在する地を管轄する都道府県知事』を意味することが明らかであり,このことからも,被爆者が日本国内に居住も現在もしていないという事態は,被爆者援護法上予定されていないといえる」(控訴理由書22頁),あるいは,「被爆者援護法上,被爆者に対して各種手当を支給する都道府県知事は,当該被爆者の居住地又は現在地の都道府県知事とされているのであって,その管轄地域外にある在外被爆者に対して,都道府県が各種手当に係る費用を支弁することを定めた規定は存在せず」(控訴理由書24頁)などと主張する。これらの主張が,何ら法律・施行令・施行規則に根拠のない主張であるかは上述の通りである。
しかし,これらの主張は,援護対策が国の責任であることを故意に隠蔽している点で,根本的に誤っている。
被爆者援護法は,「国の責任において・・・被爆者に対する保健,医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じ,あわせて,国として原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記するため,この法律を制定する。」(前文),「国は,被爆者の健康の保持及び増進並びに福祉の向上を図るため,都道府県並びに広島市及び長崎市と連携を図りながら,被爆者に対する援護を総合的に実施するものとする。」(6条)と明記している。厚生省保健医療局企画課は,「国の責任」の意義について,「被爆者対策に関する事業の実施主体としての国の役割を明確」にしたものであると説明している(甲76)。
この「国の責任」の趣旨からは,各種給付を行う都道府県知事は,国が責任を負う援護対策を実施する機関に過ぎない。
原判決は,「法律」3章2節・4節の都道府県知事に関する定めは,「法所定の援護と援護の実施主体とを連結するための管轄を定めている技術的規定」,「施行令」3条1項の届出義務は,「日本国内における居住地の移動の際,管轄の混乱が生じることを避けるために規定された技術的規定」,「規則」32条・60条の届出義務等についても,「これらの届出をする際には『被爆者』は日本に現在している必要があるものと解すれば足りる」とした。原判決の論じたとおり,これらの規定は,出国により失権することの根拠とはなしえないのであるた(原判決35頁)。
都道府県知事の管轄地域外にある「被爆者」に対しては手当を支給することができない,などと法律・施行令・施行規則に基づかない主張をして,国の責任を否定しようとする控訴人は,本末を転倒した解釈をしているというしかない。
5 無拠出の社会保障法原則に関する二重の虚構
(控訴理由書27頁以下「被爆者援護法の法的性格について」の項の虚偽)
法の明文を離れて「非拠出の社会保障法の原則」などないし,そもそも援護法は
無拠出の社会保障法ではない。
(1) 法の明文を離れた「非拠出の社会保障法の原則」などない
控訴人は,「非拠出制の社会保障法であるにも関わらず,日本に居住も現在もしない者を適用対象としている法律は存在しない」という(控訴理由書28頁)。
しかし,厚生労働省も,自らがまとめた第2回在外被爆者に関する検討会資料5において,「本人の拠出を受給の要件としない,児童手当,特別児童扶養手当,特別障害者手当等の社会保障制度の給付は,国内に居住する者のみが支給対象となることを法律上明確に規定している」(甲68)と認めている。
仮に,控訴人の主張の通り,「非拠出の社会保障制度の給付において,国内に居住する者のみが支給対象」であるとしても,それは,非拠出の社会保障法の原則によって当然にそうなるのではない。国内に居住する者のみを支給対象とすると,法律上明確に規定されているからである。非拠出の社会保障法の原則から,当然に,国内に居住する者のみが支給対象となるのであれば,児童手当,特別児童扶養手当,特別障害者手当等で,法律上明文で支給対象を限定する必要もない。
従って,仮に被爆者援護法が非拠出の社会保障法であるとしても,国内に居住する者のみを支給対象とすると法律上明確に規定されていない以上,その支給対象を国内に居住する者に限ることができないのは言うまでもない。
(2) 援護法の性格は社会保障法ではない
しかし,そもそも,被爆者援護法は,純然たる社会保障法ではない。
この点は,被爆者援護法制定時の,政府委員の答弁からも明らかである。
桝屋委員「この『国の責任において,』と言うことは,まさに基本懇の「広い意味における国家補償の見地に立って」と言うことと全く同じなんだということなのかどうか」
谷(修)政府委員「・・・広い意味での国家補償の見地ないしは基本懇が言っている考え方そのものについて,別に私どもはもちろんこれを否定するものではございません・・・」(甲67)。
援護法の前身たる原爆医療法について,孫振斗最高裁判決は,行政側の主張を排斥して,国家補償的性格があることを明確に認めていた。被爆者援護法が国家補償的性格を有することは,法制定時に政府も認めていた。被爆者援護法が純然たる社会保障法であるかのように描いて,非拠出制の社会保障法の原則について論じる控訴人は,議論の前提を偽っている。
(3) 「一般の戦争被害者に対する対策との均衡」の問題ではない
なお,控訴人は,最高裁平成9年3月13日判決などを挙げて,いわゆる戦争被害に基づく補償請求について論じている。しかし,本件は,憲法29条3項に基づく補償請求ではない。控訴人の引用には何の意味もない。
また,「被爆者に対する援護措置は,結局は,国民の税負担によって賄われることになるところ,ほとんどすべての国民が何らかの戦争被害を受け,戦争の惨禍に苦しめられてきたという実情においては,被爆者の受けた放射能による健康障害が特異なものであり,『特殊の戦争被害』というべきものであるからといって,他の戦争被害者に対する対策に比し著しい不均衡が生じるようであっては,その対策は,容易に国民的合意を得難く,かつまた,それは社会的公平を確保するゆえんでもない」ともいう。
国は,旧植民地の人々に対して,「国民」として戦争被害を強いながら,「国民」ではないとして,一切の援護措置から排除しようとしている。しかし,そもそも,税負担しているのは,「国民」だけではない(これは常識に属する事実である。原判決も正しく「社会構成員の税負担」と表現している)。
また,何をもって,「被爆者に対して,他の戦争被害者に対する対策に比し著しい不均衡が生じる」というのか。それがなぜ国民的合意を得難いのか。社会的確保の公平に反するのか。これらについて,控訴人は全く具体的に語るところがない。それらのことは,控訴人指定代理人が論じるべき事ではない。まさに,「立法裁量」によって決せられることである。
そもそも,控訴人は,「一般の戦争被害者に対する対策と被爆者に対する対策の不均衡」について論じている。しかし,本件で問われているのは,両者の「対策の不均衡」の問題ではない。被控訴人を「被爆者に対する対策」の対象とするかどうかなのである。
なお,それらと関わりなく,本件控訴については,全く世論の支持するところではなく,控訴人の主張は,およそ「国民的合意」ともかけ離れている。
6 控訴人らの主張は,孫振斗裁判の行政側主張と全く変わっていない
非拠出の社会保障を理由に法の適用対象を社会構成員に限ろうとする控訴人の
主張は,孫振斗裁判の当時の主張と全く変わるところがない。しかし,これは,
孫振斗裁判の1審,2審,最高裁判決で明確に退けられた。
(1) 孫振斗裁判各審級において行政側はどのような主張をしたか
@ 1審における主張
「原爆医療法および原爆特別措置法は,いわゆる社会保障法であるところ,本来社会保障制度はその社会の構成員の福祉の増進をはかることを目的とするものであるから,外国人が右二法の適用を受けるためには,当該外国人が日本国内に現在するというだけでは足りず,少なくとも適法に在留する者で,かつ,日本社会の構成員として社会生活を営んでいること,換言すれば日本国内に居住関係を有することが必要である。したがって,一時的旅行者のように日本国内に居住関係を有しない外国人については,前記二法は適用されないと解すべきである。」
A 2審における主張
「社会保障制度,とくに無拠出性のそれは,扶助の原理=社会連帯の観念を基盤とし,給付に要する費用は国家の一般財源に依存し,究極的には国家の構成員の総体が租税という形で負担することになるのであるから,社会連帯の観念をいれる余地がなく,当該社会の構成員でない(居住関係を有しない)外国人にはそもそも適用がないのである。」
「原爆二法が社会保障法である以上,社会保障制度の本質に由来する限界を内包するのは当然である。これを同法の適用対象者の範囲についてみれば,原爆医療法三条所定の被爆者健康手帳の受交付権利者は,日本国内に居住関係を有する原子爆弾の被爆者でなければならないことは当然の前提であり,外国人をとくに除外はしていないけれども,同法の適用を受ける外国人は日本国内に居住関係を有する者に限られるものと解すべきである。」
B 最高裁における主張
「原爆医療法の法的性格は社会保障法であり,社会保障法である以上,明文の規定をまつまでもなく,同法の適用対象者たる外国人は日本社会の構成員として,日本国内に居住関係を有する者に限定されるべきであると考える。」
「原爆医療法が社会保障法に属するものとすれば,同法三条に基づき被爆者健康手帳の交付を受け得る外国人は,日本国社会の構成員として日本国内に居住関係を有している者に限定されるべきである。そのことは,社会保障制度の本質からして当然のことというべきである。」
(2) 各判決は,行政側の主張をどのように退けたか
@ 1審
「同法が日本人被爆者のみならず外国人被爆者に対しても適用されることを予定した法律,すなわち外国人被爆者に対しても権利主体としての法的地位を与えた法律と解される前段判示のとおりであってみれば,同法はこの点においてすでに他のいわゆる社会保障法とも類を異にする特異の立法というべき側面を有するものということができるから,同法がいわゆる社会保障法たる一面を有することの一事から,同法において外国人被爆者が権利主体たりうるためには,当該外国人が日本国内に適法に在留し,かつ,日本社会の構成員たることを要するとの制限的解釈が当然に導かれるわけのものではなく,結局のところ,同法固有の立法目的や法文に則して,外国人被爆者に対し被告主張のような居住関係による制約があるかどうか確定すべきこととなる。」
「同法の立法目的を掲げた右一条の法文から,同法は,その適用要件としての権利主体たる地位を,『原子爆弾の被爆者のうち,日本社会の構成員である者に限る』法意である,と制限的に解釈すべき手がかりを発見することは困難である。」
「直接的にも間接的にも原爆医療法の適用要件としての権利主体たる地位を,『原子爆弾の被爆者のうち日本社会の構成員である者に限る』法意であるとうかがわせるものは何も存しない。」
A 2審
「原子爆弾による被爆は,戦争という全く個人の責任に帰することのできない国家の行為によって生じたものであり,しかも,その被爆者は,原爆特有の放射能,熱線,爆風等の傷害作用により,一般被災者の場合と比較して,肉体的にも精神的にも社会生活の面でも,より一層悲惨かつ不安定の状態におかれた点に顕著な特異性があり,原爆二法は,かかる意味での戦争犠牲者の救済を目的としたものと考えられる一面があるので,これを純然たる社会保障法として性格づけてしまうことにはなお問題が残るものといわなければならない。」
「原爆医療法は一面社会保障法の性格をもちながらも,他面,被爆者に対する国家補償法的性格をも併有する一種特別の立法というべく,この点,同法を純然たる社会保障法として性格づける控訴人の所論は採用しがたい。そして,原爆医療法の法文中に,同法の適用を日本社会に居住関係を有する構成員に限る趣旨の規定がないことは原判決の判示するとおりであるから,控訴人のこの点の主張は結局においてその理由がない。」
B 最高裁
「原爆医療法は,このような特殊の戦争被害について戦争遂行主体であった国が自らの責任によりその救済を図るという一面を有するものであり,その点では実質的に国家補償的配慮が制度の根底にあることは,これを否定することができないのである。」
「同法が被爆者の置かれている特別の健康状態に着目してこれを救済するという人道的目的の立法であり,その三条一項にはわが国に居住地を有しない被爆者をも適用対象者として予定した規定があることなどから考えると,被爆者であってわが国内に現在する者である限りは,その現在する理由等のいかんを問うことなく,広く同法の適用を認めて救済をはかることが,同法のもつ国家補償の趣旨にも適合するものというべきである。」
「同法を外国人被爆者に適用するにあたり,不法入国者を特に除外しなければならないとする特段の実質的・合理的理由はなく,その適用を認めることがよりよく同法の趣旨・目的にそうものであることは前述のとおりであるから,同法は不法入国した被爆者についても適用されるものであると解するのが相当である。」
このように,各判決は,「社会保障法であるから,居住関係が必要である」との行政側の主張を,法文にない要件は認められないとして,ことごとく排斥した。
さらに,行政側は,原爆医療法には国家補償的性格はないとも主張したが,その点について,最高裁判決は,原爆医療法の意義にまで踏み込んで,明確に否定した。
(3) 控訴人はいつまで誤りを続けるのか
本件での控訴人らの主張は,孫振斗裁判における行政側の主張と同一である。社会保障的性格から,演繹的に「居住または現在が必要」と明文にない要件を導く主張は,孫振斗裁判におけるそれと何ら異ならない。(ただ変わった点は,「居住関係」という同一の言葉を用いながら,これに孫振斗裁判の当時は明確に排除していた「現在」をも包含するに至ったことである)。
そして,振斗最高裁判決は,社会保障法であることを理由に「居住関係」を要求するのは,原爆医療法が国家補償的性格からも誤っていると明確に判示した。この最高裁が指摘した国の主張の誤りは,被爆者援護法においても変わることがない。被爆者援護法が,その効力存続要件として,「居住関係(居住または現在」を要求していないことも原爆医療法と同様である。
控訴人は,現在,被爆者援護法には海外適用の明文規定がないからと主張して,被控訴人の請求を争っている。
国は,孫振斗裁判においても,明文規定がないという理由で,手帳を交付せず,最高裁まで争った。しかし,今では,控訴人は,本件と違って,孫振斗事件では,明文規定があったと主張する(原審第11準備書面10頁)。控訴人は,本件においても,最高裁でその主張が退けられるまで,明文がないと主張し続けるのであろうか。
第4 本件において広島地裁判決と同様の結論を採ることはできない
広島地裁判決は,本件とはまったく異なる争点を設定した,別異の裁判であり,本件と同様の事案として捉えることはできない。広島地裁判決自体が,予備的主張に関する判断の脱漏をはじめ粗雑な論理構成となっており,控訴人の主張の正しさを裏付けない。またこの不十分な広島地裁判決の立場に立ってみても,控訴人の主張は正当性を欠いている。
1 本件は広島地裁判決とは事案が異なる
控訴人は,広島地裁判決を引用しながら,広島地裁判決と同様の結論が採られるべきであると主張する(控訴理由書31頁以下)。
その前提には,「広島地裁判決は,本件と同じく,在韓被爆者に対する原爆二法等の適用が争われた事案」という認識がある。
しかし,広島裁判は,戦時中,広島にあった三菱重工の二つの工場に強制連行され,強制労働中に被爆したソウルと京畿道平澤郡出身の元徴用工被爆者46名が原告となり,国と三菱を被告として損害賠償を請求した裁判であった。
この裁判においては,「(原告が)国民徴用令にもとづき朝鮮半島から日本に強制連行され,当時の三菱重工株式会社において強制労働に従事させられ,また昭和二○年八月六日には原子爆弾投下により被災したにもかかわらず,被告らはなんらの救援活動をせず,母国への送還義務も履行しなかったこと。更に被告国は,原告らが受けた原子爆弾被爆被害に対して何らの援護・補償措置をとっていない」ことを問題として,「強制連行による損害賠償請求」「戦後原爆被害放置(立法不作為以外の点)についての損害賠償請求」および「立法不作為を理由とする損害賠償請求」が求められた(判決中,事案の概要の項)。
他方,被控訴人が本件で争点にしているのは,「いったん取得された被爆者援護法上の被爆者たる地位が,日本に現在も居住もしなくなったことによって,当然に失われるか,否か」という一点だけである。
広島裁判と本件には,なんの共通点もない。
2 広島地裁判決は判断を誤っている
(1) 広島地裁判決はいったん被爆者としての地位を得た者について判断していない
広島裁判では,原告に,被爆者援護法上の被爆者の地位を取得した者と取得していない者が両方含まれていたところから,原告らは被爆者法の適用に関して,二種類の主張をしていた。
すなわち,主位的には,在韓被爆者が韓国内に居住する状態で,被爆者援護法の適用を求め,そして,予備的に,日本に来て被爆者健康手帳の交付を受けた在韓被爆者が日本を出国することにより,右手帳が「失権」扱いされることの違法をも指摘した。にもかかわらず,広島地裁判決は,原告らの予備的主張についての判断をせずに,その判断を脱漏させた。
したがって,この広島地裁判決は本件にとって意味のある判断ではない。
(2) 広島地裁判決は現代社会では通用しない粗雑な論理である
広島地裁判決は,「国民の税によって賄われる国の給付を外国居住の外国人が権利として請求できるといった法制度は通常では考え難いのであるから,当該法律がそのようなものであるとするためには明確な根拠を必要とする」といい,控訴人もこれを引用する。しかし,この論理は二重に誤っている。
まず第1に,日本国に居住し,納税義務を負うものは日本国民に限られない。日本社会を構成する在日外国人も含まれるのは常識であり,広島地裁判決は,この日本社会の現実を見ずに,日本社会は日本国民のみによって構成されるという謬論にとらわれている。植民地支配の歴史的経緯を経て,現在もなお日本国籍を取得せず,民族的アイデンティティを保ちながら日本に在住する約65万人の在日韓国・朝鮮人が存在すること,これらの人々が地方選挙権も行使できない状態でありながら税負担をしていることを広島地裁判決は看過している。
そして第2に,広島地裁判決は,被爆者に対する援護措置が,被爆という特殊な被害を日本で受けた被害者の救済であるという点に関して,全く判断を避けている。
3 控訴人の主張は広島地裁判決の立場からみても正当性がない
控訴人が広島地裁判決のなかで本件と同じ事案と指摘した,まさにその箇所において,広島地裁判決は,控訴人の解釈を否定している。
すなわち,広島地裁判決は,以下のように述べる。
「当該法令の適用対象者が誰であるかは,それぞれの法律の規定によるのであって,法律の性格論から演繹的に導かれるわけではない。また法治主義を採用している日本国憲法の下では,いかなる場合にいかなる処分をするかは法律によって定められているのであって,行政庁はその法律を誠実に執行する義務がある(憲法73条1号等)から,行政庁が当該法令の適用に際し,その法令の規定を離れて,あるいはその法律が行政庁に委ねた裁量権の範囲を逸脱濫用して当該法令を適用することは許されない」。
法の明文規定によらずに法の執行,適用は行うことができないという明快な主張である。これは,「被爆者援護補がいかなる範囲の者に対して適用されるかは,明文規定の存否だけではなく,当該法律全体の法構造,立法者意思,法律の性格などから合理的に解釈することを要す」るという控訴人の主張と明白に相反している。
控訴人が,広島地裁判決を引用しながら,これに反する主張を行うことは,詭弁というしかない。
第5 控訴人の主張は憲法14条に反している
原判決は,「(控訴人らの主張によれば)日本に居住しているものと現在しかしていない者との間に,容易に説明しがたい差別を生じさせる(しかも,日本に居住している被爆者が長期間海外旅行に行く場合と短期間国外に住居を移す場合との間で不合理な区別をすることにもなる。)ことになるから,憲法14条に反するおそれもあ」ると判示した。
これに対して,控訴人らは,次のように反論する。
すなわち,「被爆者援護法に基づく給付が我が国社会の構成員の税負担を財源として,特殊な健康被害に対して保健・医療・福祉に渡る援護措置を講じるものであること,被爆者に対して援護措置を講ずるに当たっては,法的救済が認められていない他の一般の戦争被害者との均衡を考慮する必要もあることなどからすれば,在外被爆者のように現在の日本社会と何らのかかわりを持たない者に対して,健康保持の施策を及ぼさないとする立法政策は極めて合理的であって,憲法14条に違反しないことは明らかである。」(控訴理由書34頁)。
しかし,日本国内で受けた放射能による健康障害が特異なものであることを理由としていったん取得した「被爆者」たる地位について,単に,出国したことを理由に,この者は日本社会と何らのかかわりを持たない者であるとし,何らの「健康保持の施策を及ぼさない」ことが「極めて合理的」といえるか。否,極めて不条理というべきである。
また,本件は,一旦被爆者援護法上の被爆者たる地位を取得した者が,これを出国という事由のみにより喪失するかという問題である。そもそも法的救済がない他の一般の戦争被害者との均衡はそもそも問題とならない。
さらに,長期間海外旅行に行く場合は日本社会の構成員にとどまり,短期間であっても住所地を国外に移せば日本社会の構成員ではなくなると区別することに,どのような合理性があるか。
住所地の移動の有無を一義的に画する客観的な基準もない。
そもそも,孫振斗裁判の当時は,国は「日本社会の構成員」から,違法なあるいは一時的な入国者を排除していた。ところが,現在ではこれを含めている。控訴人は,日本社会の構成員とは何かという被控訴人の求釈明(求釈明書3頁)にも答えることができなかった。控訴人の恣意は明らかである。
また仮に,日本社会の構成員たる長期海外旅行者と日本社会の構成員でない短期海外居住者の別を,観念的には一義的に決することができたとしても,前者につき被爆者たる地位を認め,後者につき被爆者たる地位を喪失させると区別することが,容易に説明しがたい差別であって,憲法14条に反することとなるのは,原判決指摘の通りである
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