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郭貴勲「被爆者援護法」裁判第8回口頭弁論(その1)

倉本・森田陳述書へ

一一月一二日・証人尋問に先立ち、大阪地裁に署名提出!

四カ国の被爆者が東京で一堂に会した一〇月二二日以降、見事な秋晴れが続いていた天候も、この日にいたってとうとう崩れ、朝から雨模様となった。だが幸い「大雨」の予想は外れ、午後からは雨もあがりつつあった。
 裁判に先立ち、しとしとと降る小雨の中を、郭貴勲さん、倉本さん、森田さん、弁護士、市民の会では、各国で集めた「日本を出国した被爆者にたいし、法律によらずして被爆者援護法を不適用とする厚生省の取り扱いを正すこと」を求める署名を抱えて、裁判所に提出した。
 大阪地裁に提出した署名は、一〇月二二日に厚生省に提出したものと同様のものだが、市民の会にはその後もたくさんの署名が寄せられ六九四一名分の署名が集まった。したがって、裁判所に提出した署名は、韓国三三〇七名、アメリカ一一七九名、ブラジル二七七〇名、市民の会六九四一名の合計一四一九七名であった。(市場淳子)


一一月一二日・第八回口頭弁論・倉本さん、森田さんの証言行われる

 一一月一二日一時半より、大阪地裁八〇六号法廷において、郭さんの「手帳」裁判八回口頭弁論が開かれ、二人の在外被爆者の重要な証言が行われた。読者はすでにご承知だろうが、一人は米国原爆被爆者協会の名誉会長である倉本寛司さん(七三歳、米国籍)、もう一人は在ブラジル原爆被爆者協会の会長森田隆さん(七五歳、日本国籍)である。お二人ともそれぞれの地で被爆者の組織を作るため、当初より今に到るまで尽力されてこられた方々だ。この日の法廷は、東京、長崎より計五名もの方々が駆けつけてくれたこともあって、約五〇席の傍聴席が全て埋まり、数名は床に座って見守らねばならぬ程の盛況。
 お二人の証言は郭さんの裁判にとって本当に重要な内容を持っていたばかりでなく、海外にすむ日本人(日系)被爆者が在韓被爆者と法廷においてスクラムを組んで日本政府(実質的に)と相対したという点で、被爆者運動の歴史の上でも真に記念すべきものだったのではなかろうか。
 弁護団から質問に立ったのは、倉本証人に安由実弁護士、森田証人には新井邦弘弁護士、共に在日韓国人の若い弁護士である。
 初めに証言台に立った倉本さんは、在米の被爆者の中に長崎市や広島市から支給された「健康管理手当」の返還を迫られている人々がいることを語った。
 「一〇年くらい前に在サンフランシスコ総領事館から私あてに電話がかかってきたことがありました。長崎市がデンバーにすむ被爆者に健康管理手当を支払っていたことに気付き、長崎市から厚生省に問い合わせがあった結果、厚生省↓外務省↓総領事館というルートで問い合わせがあり、総領事館では何のことかわからずに私に問い合わせがあったのです。」
 これは長崎からデンバーに嫁いだ娘のところに度々会いに行っていた被爆者が、デンバーにいる間にも振り込まれていた手当は「違法」であるから返せといわれた事例である。
 「私は非常に理不尽に思いましたので、在サンフランシスコの日本総領事に相談しましたところ、その方は返還しなくても済みました。…中略…ちなみにこの総領事は、被爆者健康手帳を総領事館で発行できないことを問題にして、何とか総領事館で発行できるように厚生省にも働きかけくれた人物ですが、実現されませんでした。」
 また、もっと悲惨な例として、カナダに移り住んだ被爆者夫婦が、広島市からそのまま振込まれていた手当の返還を迫られていることをあげ、「九八年の一月広島県の職員が夫の入院する病院にやってきて、末期ガンで苦しむ夫にカナダ在住中に支給を受けた健康管理手当を返還するように求め、滞日中の手当は返還請求分と相殺するので支給しないと言い、返還の念書を書かせたそうです。…中略…その後この妻は夫の死亡後一ヶ月に千円づつ返還していたのですが、請求額は一万二、三千ドルにものぼり、到底返還できないので妻は日本にいるのが辛くなり、カナダに帰りました。」

 この様に倉田さんの証言では、厚生省の出した七四年通達が、全ての在外被爆者の権利を制限していることが明らかになる。これは国側の答弁書に見る「(被爆者援護法は)我が国に居住も現在もしていない外国人には適用されない」と言う内容とは食い違っている。
 二番目に証言台にたった森田証人は、在ブラジルの被爆者が一人を除いて日本国籍であること、にもかかわらず九六年厚生省に交渉に行ったところ「日本を出たような人には支給できない。税金払ってないんだから。ブラジル政府に頼んだらどうか」と言われたこと、また「八六年に健康管理手当の振り込みを受けていた口座に入金がないことに気づき、広島市の原爆被害対策課に照会したところ出国すると支払われないのですよと言われました。…中略…-私達はそのような扱いには何の根拠なく恣意的で不可能であると反発しましたが、法律で決まっているんだから(実はそのような法律などない)仕方がないの一点張りでした。」と、七四年通達がここでも日本国籍の被爆者を縛っている現実を明らかにした。
 また森田さんは「九八年に日本に帰国した時に、戦傷病者戦没者遺族等援護法に基づき、障害年金の裁定請求を行っています。しかし一年たっても結論はまだ出ていません」と述べ、最後に「在ブラジルの元日本軍人で軍人恩給を貰っている人を複数知っています」と証言された。すると裁判官席より、その送金はブラジルにある本人口座への、銀行振り込みによって行われているのかとの質問。森田さんは「具体的なことは知りません。しかし受け取っている人がいるのは確かです」と断言された。

 二人の証人に対する被告側の反対尋問は、倉本さんの「手帳」が東京都交付となっていることや、森田さんの返還を求められている手当の期間が妻の綾子さんと異なっていることの理由など、枝葉的なことで終わり、傍聴席も肩すかしの感を抱かされた。
 裁判長より被告に対して「戦傷病者の傷害年金とくらべて、被爆者の手当を海外に送金することが立法技術上、運用上困難だという理由について、くわしく説明してください」と促されたのも、被告側の手詰まりの姿を浮きぼりにするものだった。
 閉廷後参加者一同は弁護士会館に移り、報告集会をもったが、この中で証人の森田さんの「在外被爆者に対して厚生省が本当に冷たい対応しかしてこなかったのは事実。韓国の被爆者には日本人以上に真っ先にしてあげるのが本来なんです。この戦いが目的を完遂できるよう私達も頑張ります」との発言に、みな大いに力づけられた。
 次回の裁判は、二月九日四時から大阪地裁八〇六号法廷であります。


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