ブラジル被爆者平和協会のホームページ
(旧称:在ブラジル原爆被爆者協会)
在外被爆者関連の情報、
ブラジルの話題も満載



  在ブラジル被爆者裁判  


 (2011年7月18日更新)


2011年7月8日(金)に広島市に提出した
ブラジル被爆者平和協会の「抗議・要請文」を
掲載しました。

広島市長へのブラジル被爆者平和協会抗議・要請文








全面勝訴!判決はこちら!


在ブラジル被爆者「手帳」申請却下処分取消請求訴訟

メール・FAX送付のお願い

7月31日(木)11 時30分 (広島地裁)



在外被爆者を支援するつどい

2008年7月31日(木)午後6時半〜
在ブラジル被爆者 盆子原国彦さんをお迎えして集会を持ちます。

盆子原さんがつどいに寄せられたメッセージです。
在ブラジル原爆被爆者協会理事 盆子原国彦

広島、長崎に原爆が投下されてから63年目の暑い夏がまたやってきました。

私は、2005年に在ブラジル・在アメリカ被爆者裁判を支援する会のお招きで、当時の在外被爆者が置かれている現状と、今後の課題についてお話しする機会を与えられ、広島に来ました。あの時は、被爆者健康手帳の取得や健康管理手当などが、
在外被爆者本人が日本に来て申請すれば認められるようになっていました。しかし、病弱で日本に来られない被爆者が多いのだから、一日も早く在外被爆者の居住地から各種申請、健診治療が出来るようにしてもらいたいと訴えました。

あれから3年。その後次々と在外被爆者がおこした裁判が勝訴しました。2007年には最高裁で2つの在外被爆者裁判が
勝訴しました。これらの裁判の結果、勝訴した事項だけが日本政府により援護対象にされてきました。また、年間14万5千円を上限とする在外被爆者の医療助成事業が、2005年度から厚生労働省の法外事業(被爆者援護法によるものでない)として行われています。しかしこれは、国内被爆者への医療援護の実情と対比してみますと、その足下にも及びません。

1957年に原爆医療法、1968年に原爆特別措置法が制定され、被爆者に対する援護が実施されてきました。これら2法は被爆者の被害の特殊性に着目し、被爆者に対する援護・救済を実施することにしたものです。しかし、1974年に外国に居住する被爆者に対し、時の厚生省は局長通達402号で在外被爆者の援護を拒否いたしました。1994年には新しく「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」が制定されましたが、この時にも在外被爆者問題は検討されず、それ以後も402号通達は生きたままで、この間に老いた在外被爆者は何の援護もなく苦しみながら数多く亡くなりました。

日本国憲法の14条には「すべて国民は、法の下に平等であって、政治的、経済的、又は社会的関係において差別されないと」とうたっています。しかし、この50年間、私達外国に住んでいる被爆者は、被爆者を援護するための法律がありながら、その枠外に置かれ、差別され続けてきました。これが日本国政府が在外被爆者に行ってきた行為です。

今回、在外被爆者が海外で被爆者健康手帳の取得申請が出来るようにする改正被爆者援護法が、6月11日、参議院本会議で可決され、成立しました。私はこの議会の様子をビデオで見ていましたが、誠にあっけなく賛成多数でこの法案は成立しました。

私達、韓国、米国、ブラジルの被爆者代表は、何年間も毎年のように厚生労働省に陳情のために訪日し、係官に怒られ、馬鹿にされながら、要請書を手渡し続けて参りました。
その結果何が認められたでしょうか? 何年間も裁判をし、勝訴した事柄だけが改善されてきました。今回、世界の約35カ国に住む約4300人の被爆者手帳を持つ被爆者、日本に行けなくて手帳の取れなかった被爆者、「被爆者はどこにいても被爆者」、しかし差別され続けて来た在外被爆者の今までの苦しみ、悔しさ、これは一体なんだったのかと、改めて思い返し、誠に酷いものだと、あらためて怒りがわいてきました。

このたびの改正被爆者援護法には、初めて在外被爆者を援護対象にすることが明記されました。この改正法では被爆者手帳を取るための来日要件は撤廃され、今年中には施行されます。今後、私達は、いまだ海外では認められていない原爆症認定申請ができるようにして頂くため、また、現地で日本国内と同等の医療援護が受けられるよう、残された問題に取り組んでいく覚悟です。

最後になりましたが、東京、大阪、広島、長崎と、海外在住被爆者の権利を擁護するために、自分のことのように取り組んで下さいました日本に住んでおられる多くの方々に、改めて感謝し、お礼を述べさせていただきます。本当に長い間、有り難うございました。今後ともよろしく御願いいたします。



2007年8月2日(木)
在北米の被爆者陣啓三さんを迎えて行いました。



    在外被爆者の手当に時効不適用の判断
     −在ブラジル被爆者裁判、最高裁で勝訴判決−

 本日、最高裁は、在ブラジル被爆者裁判において、原審の広島高裁判決を支持して広島県の上告を棄却し、在ブラジル被爆者の勝訴が確定しました。
 この裁判は、一審の広島地裁では敗訴でしたが、二審の広島高裁で逆転勝訴し、ようやく本日の勝訴判決を迎えました。思えばこの裁判の提訴は2002年であり、本日まで5年に近い時日を要しました。これは大変長い時間であり、この間に、残念ながら原告の向井昭治さんは亡くなられました(06年12月)。
 この裁判は、もともと在外被爆者への被爆者援護法の適用を求めて提訴されましたが、2002年12月に大阪高裁において在韓被爆者の郭貴勲さんの勝訴が決まったのちは、在外被爆者の手当受給権に対する時効の適用の是非が争点となっていました。厚生労働省と被告広島県は、不払いになっている在外被爆者の手当についても地方自治法236条の時効が適用されると主張しました。これに対して、私たちは、1974年の402号通達以来、長年にわたり、違法に在外被爆者を排除し続けてきた厚生労働省とこれに追随した都道府県・広島市・長崎市が時効の適用を求めることは非常識であり、権利の濫用または信義則違反であると主張してきました。
 こうして最高裁で勝訴が確定し、厚生労働省による在外被爆者排除政策は弾劾されました。私たちは厚労省の責任を厳しく問うとともに、次のことを要求いたします。

 @厚生労働省は、在外被爆者に対し、不払いになっている1997年12月以前の手当を、直ちに支払うこと。
 A厚生労働省は、402号通達以来の違法行政の誤りについて謝罪し、抜本的に清算すること。

   2007年2月6日

           在ブラジル・在アメリカ被爆者裁判を支援する会
                 代表世話人  田 村 和 之


裁判のお知らせ
 


在ブラジル被爆者 手帳裁判

2006年7月27日、広島地裁に提訴
(クリックしてください)




在外被爆者は訴える
2006年8月1日(火)18:30〜
広島市中区福祉センター5階ボランティア研修室

渡辺淳子さん(在ブラジル原爆被爆者協会)の
訴えを掲載しました。


                   2006年2月16日

広島県知事 藤田 雄山 殿

             在ブラジル・在アメリカ被爆者裁判を支援する会
 代表世話人         
         田 村 和 之

    2月8日広島高裁判決に対する上告決定に抗議し、その撤回を求めます。

 本日、私たちの上告しないようにという強い要望(2月10日提出)にもかかわらず、2月8日の在ブラジル被爆者裁判広島高裁判決に対して、広島県は「上訴せざるを得ないと判断し」た(以下では「上告決定」という)と発表しました。
 発表されたところによれば、上告決定の理由は、このたびの広島高裁判決と2003年2月27日福岡高裁判決(いろゆる廣瀬方人裁判)とで判断に食い違いがあるので、あらためて上級審の判断を求める、ということです。
 しかし、在ブラジル被爆者裁判と廣瀬方人裁判とでは、事案に大きな違いがあります。廣瀬氏は、「健康管理手当の支給関係においては、長崎市民としての実態があったものと認めることも十分可能であった」(福岡高裁判決)事案あり、このことを重視して同高裁は、時効の主張が「信義則にもとると評価できる特段の事情があるとまでは判断し難い」と判示したのでした。
 これに対して、在ブラジル被爆者裁判は、文字どおりの在外被爆者裁判であり、在ブラジル被爆者が「権利を行使することができなかったのは、被控訴人(広島県)が支給義務があるのに、402号通達に従って本件健康管理手当を支給しなかったためであり、被控訴人が控訴人らの権利行使を妨げたのと同視することができる」という事案です。このように事案が大きく異なるのですから、司法判断が異なるのは当然のことです。
 それにもかかわらず、司法判断が統一されていないと強弁して上告を決定したのは、長期間にわたり在外被爆者の権利を否定してきた自らの責任を隠蔽するだけでなく、長い間原爆二法・被爆者援護法の適用外とされて放置され、いま人生の最終盤にさしかかりつつある在外被爆者の援護を、取り返しのつかないほど先に送ってしまうことを意味します。広島県は上告して、いたずらに裁判の長期化をはかるのでなく、すみやかに広島高裁判決に従って未払いになっている手当を支払い、奪われた在外被爆者の権利を回復させるべきです。
 以上の趣旨により、本日の上告決定の発表に抗議し、その撤回を求めます。     以上

         
完全勝訴!
在ブラジル被爆者裁判高裁判決
2006年2月8日
PDFファイル
WORDファイル
皆様のご支援ありがとうございました。
国と広島県は判決を厳粛に受け止め、上告を断念せよ!



在ブラジル原爆被爆者協会 加入者数

(2005年3月30日現在)

加入者数 140人
男女比 男性67人 女性73人
年齢構成 60歳未満   1人
60〜70歳 53人
70〜80歳 62人
80〜90歳 21人
91歳以上   3人
平均年齢 72.36歳

(厚生労働省健康局総務課への提出文書より)


在外被爆者は訴える
2005年8月2日(火)18:30〜
広島市中区福祉センター5階ボランティア研修室

盆子原国彦さん(在ブラジル原爆被爆者協会)の
訴えを掲載しました。




在ブラジル被爆者裁判 裁判の流れ:

森田隆さん 追加提訴(7人の方)
2002年3月1日広島地裁に提訴(訴状)

第1回口頭弁論 2002年5月9日広島地裁



第2回口頭弁論
  2002年8月22日広島地裁
  森田隆側 準備書面提出)

第3回口頭弁論
  2002年11月7日(木)広島地裁

    森田隆さん本人尋問(陳述)



 (1月 進行協議 予定)





第4回口頭弁論 予定
   2003年2月6日(木)11:00〜広島地裁


進行協議 予定
   2003年3月6日(木)16:00〜
   (傍聴できません。)






2002年7月31日、7名、追加提訴(訴状)







追加提訴(2人の方)(訴状)(12月3日提出)
 
第1回口頭弁論 (追加提訴7人)
  2002年12月3日(火) 16:00〜
   森田綾子さん陳述




第2回口頭弁論 予定(追加提訴7人)
  2003年2月4日(火)10:20〜広島地裁





第3回口頭弁論 予定
  2003年3月6日(木) 15:30〜
  森田綾子さんほか追加提訴7人と
  堀田さんほか追加提訴2人の
  口頭弁論が一緒に行われます。


2003年11月6日16:00〜
 時効に関する準備書面提出

2004年8月5日 結審

2004年10月14日()10時 広島地裁。判決

原告控訴


控訴審


在ブラジル被爆者訴訟控訴理由書050207(PDF)

第1回口頭弁論
2005年2月17日(木)10:00〜
広島高裁

国側準備書面
2005年4月17日付け

第2回口頭弁論
2005年4月28日(木)10:30〜

ブラジル・在アメリカ被爆者裁判ニュース

第3回口頭弁論
2005年6月16日
証拠提出(広島高裁で勝訴した三菱元徴用工被爆者訴訟の402号通達の違法性認定について)
森田さん証人尋問を求め、裁判所が証人採用を決定

準備書面提出
2005年8月23日
国側4月17日付け準備書面への反論050822(PDF)

第4回口頭弁論
2005年8月25日(木) 13:30〜
森田隆さんの証言

国側準備書面
2005年10月12日付け

第5回口頭弁論
在ブラジル控訴審準備書面051027(PDF)
2005年10月27日11時〜広島高裁
(最後の口頭弁論になると思われますので傍聴をよろしくおねがいします。)


第6回口頭弁論 
在ブラジル控訴審準備書面060119(PDF)
2006年1月19日(木)10時
広島高裁


2006年2月8日
午前11時10分
広島高裁 判決!
完全勝訴!

最高裁

2007年2月6日(火)最高裁で勝訴判決!




支援する会:

呼びかけ人

支援する会について

森田隆さんとブラジルの被爆者の皆さんを支援してください! 
 在ブラジル被爆者裁判を支援する会結成集会 3/2(土)を行いました

在ブラジル被爆者・森田隆さんの健康管理手当の支給を求める裁判の提訴にあたって
(支援する会代表世話人 田村和之)




資料倉庫:


森田さんのプロフィール

提訴にあたって
(森田さんより寄せられた文章)



書籍紹介
ブラジル・南米被爆者の歩み 森田隆・森田綾子 編・著


田村先生、足立弁護士がブラジル、アメリカに行って調査された報告の記者会見レジュメです。
 ブラジル、アメリカの被爆者調査について



森田さんのニュースです

郭貴勲「被爆者援護法」裁判第8回口頭弁論での森田さん・倉本さん陳述書
 証人尋問に先立って裁判所に提出した森田さんと倉本さんの
陳述書をご紹介します。ブラジルとアメリカの被爆者がおかれてきた
状況の一端を知ることができます。

厚生労働省 「在外被爆者に関する検討会」
第3回 検討会 10月4日 議事録
森田さんの証言が掲載されています。
 


「被爆者はどこにいても被爆者!」
−在外被爆者への援護を要求する集会−

三カ国代表を迎えて
2003年 4月25日(金)  18:00〜 
広島市中区八丁堀3-1 幟会館 2F
参加費500円



「被爆者はどこにいても被爆者」
ー在ブラジル被爆者を支援しよう!ー

2002年8月1日
向井春治さんを招いて行われました。