在外被爆者への援護法適用訴訟関連情報へ戻る
第3回「在外被爆者に関する検討会」記録
10月4日(木) 厚生労働省省議室
(厚生労働省ホームページより)
01/10/04
第3回在外被爆者に関する検討会議事録
第3回在外被爆者に関する検討会(平成13年10月4日)
厚生労働省健康局総務課
出席者:
伊藤 千賀子 委員
兼子 仁 委員
岸 洋人 委員
小寺 彰 委員
土山 秀夫 委員
堀 勝洋 委員
○森 亘 委員
○:座長
参考人:
崔 日出 氏 (元(社)韓国原爆被害者協会会長)
倉本 寛司 氏 (米国原爆被爆者協会名誉会長)
森田 隆 氏 (在ブラジル原爆被爆者協会会長)
議事次第
議題
(1)在外被爆者からの意見聴取
(2)その他 第3回在外被爆者に関する検討会議事録
(開会・15時00分)
事務局
傍聴の皆様にお知らせいたします。傍聴にあたっては入室の際にお渡しした注意事項
をよくお守りくださいますよう、お願いいたします。
それでは定刻になりましたので第3回在外被爆者に関する検討会を開催させていただきます。本日は委員全員のご出席をいただいております。
議事の進行に先立ちまして本日の会議資料の確認をさせていただきたいと思います。
お手元の資料の中の資料一覧に沿って確認させていただきたいと思います。
資料1が崔日出氏のレポートでございます。資料2でございますけれども、倉本寛司
氏のレポート。資料3が森田隆氏のレポート。資料4が広島市の主な在外被爆者支援事
業。この資料につきましては第2回検討会の補足資料ということでございまして、広島
市長から事業の詳細を提供いただいたものでございますのでご参照いただければと思います。
また、今回、倉本様と森田様よりそれぞれの著書が委員の方々に配付されておりま
す。冊数の関係がございますので、委員の方々のみの配付とさせていただいておりま
す。よろしくお願いいたします。
もし、不足等がございましたら事務局までお申しつけください。
それでは検討会の進行を森座長にお願い申し上げたいと存じます。森座長、よろしく
お願いいたします。
森座長
さて、本日は第3回ということになりましょうか。在外被爆者に関する検討会でござ
います。それぞれお忙しい中、あるいは遠方からもお出かけいただきましてありがとう
ございます。
それでは議事に入ることにいたします。ただいま事務局からも申しましたように、今日の一番のメインは3名の方々からご説明を願うことです。もう既に、資料の説明の折
りにお名前が出ましたが、改めてお三方を紹介していただけますか。
事務局
ご紹介いたします。それぞれの国の被爆者の方々のために長年、ご尽力いただいてお
ります3名の方にお出でいただいております。
韓国の釜山から元社団法人韓国原爆被害者協会会長の崔日出様。
北米のサンフランシスコから米国原爆被爆者協会名誉会長の倉本寛司様。
南米のサンパウロから在ブラジル原爆被爆者協会会長の森田隆様。
森田氏
森田です。よろしくお願いします。
事務局
以上、3名の方にお出でいただくにあたっては、韓国政府、日本原水爆被害者団体協議会にご協力いただきましたことを申し添えます。
森座長
どうもありがとうございました。お三方、どうぞよろしくお願いいたします。
それではこの辺りで議事に入り、ご説明を伺うことにしてよろしゅうございますか。
事前に何かご注意でもあれば承りますが、よろしいですか。
私どもが持っております全体の、言わば持ち時間にも限りがございますので、大変恐
縮でございますが、お一方、15分程度を目安にそれぞれご説明いただければ、と思いま
す。まず、崔さんからお願いしてよろしゅうございますか。
崔 氏
皆さん、こんにちは。私は韓国原爆被害者協会元会長、崔日出と申します。
この度、在外被爆者に関する検討会に韓国被爆者の実相と要望を伝え、意見を述べる
機会が与えられたことに対して関係者の皆様方に深く感謝いたします。一方、今回の検
討会で満足な結果が望まれますよう、お願い申し上げます。
まず、先に結論から申し上げます。在外被爆者にも援護法の適用の実現です。大阪地
裁の判決を尊重して日本国内の被爆者と同じく、在外被爆者にも援護法の適用を強く要
望いたします。
被爆1世は健康に暮らす基本的な権利まで奪われたまま、この世を去っております。
もう時間がありません。韓国の被爆者は三重の苦難を受けながら半世紀が過ぎ、今日ま
で来ました。そのひとつは日本の過酷な植民地政策によって多くの人たちが祖国を離
れ、それぞれの仕事を求め居住を広島、長崎に移した故に、さらに日本の侵略戦争に数
百万の若い人たちが軍隊や軍需工場、炭鉱、建設現場などに強制連行され、その一部が
被爆されました。
2つめは韓国被爆者は戦後、国に帰りましたが、韓国では原爆投下は祖国解放と独立
をもたらしたという歴史的認識が強く、被爆者の被害を話すことさえも許されない社会
状況と、まもなく起こった朝鮮戦争で何の関心もなく放棄されてきました。
3つめは日本では1957年から原爆医療法が制定され、さらに援護法が制定するまで日
本の被爆者は治療と援護を受けてきましたが、韓国被爆者は日本政府からも半世紀が過
ぎた今まで放棄されております
。 私は当時、12歳、小学校6年生で爆心地から1.3
km離れた広島市東観音町、姉の家の 中で姉と姪、私と私の弟、4人が被爆しました。倒れた家の中で助けに来た義理の兄に
助けられ避難することができました。2、3分、遅かったら皆、焼け死になったと思い
ます。大阪商船で休暇中であった19歳の兄は爆心地から500
m、八丁堀の福屋付近で被 爆し、全身火傷で24日目、8月30日に死亡しました。
国に帰って父は2年目、母は5年目に同じく癌といろいろな病名で亡くなりました。
私も2年間、寝たきりの闘病生活を送りながらやっと回復することができました。弟は
当時のショックで、言葉と知能の障害を一生、背負っております。私の身近な親戚の中
で親、兄弟、従兄弟など、14名が死亡、行方不明になり、兄弟2人だけが生き残り、私
たちと一緒に国に帰りました。
韓国の被爆者は公式的な調査によっては明確な数字がよくわかりません。2つの統計
がありますが、そのひとつの統計は広島5万、長崎2万、合わせて7万になっておりま
す。爆死が4万、生存者が3万、国に帰った人が2万3千、日本に残留した人が7千。
もうひとつの統計はこれは1945年12月末に日本内務省警保局の方から出した統計です
が、広島は7万、長崎3万、合わせて10万になっております。7万にしても当時、被爆
者の全体が69万1,500 人と調査ではなっておりますから、韓国人の被爆者はその1割、
10%です。 今、日本の被爆者は30何万と聞いております。韓国の被爆者は登録会員が2,200
人で す。生存者が1万人ぐらい、まだ、生きていると思っても0.3
%しかおりません。その 原因は今までろくな治療と援護を受けることなく放棄された当然の結果と思います。15
年前に協会の会員と家族を相手に調査した表がありますが、帰国後5年の間に重症者の
70%が死亡しました。軽症者は32%。無傷な人でも病死と、また、韓国戦争で44%が死
亡しております。
現在、登録している人数は2,204 人ですが、毎年、50人から70人、亡くなっておりま
すが、今年は100 名ぐらい死亡すると思います。新しく広島、長崎で手帳を取ってくる
人がだんだん難しくなって、去年までは30人から50人、手帳を取って加入をしますが、
死亡する人が多いので2,300 から2,200 人に減っております。
終わりに、ドイツの戦後補償は真の謝罪と同時に補償を十分にしました。今もまだ賠
償財団を設置して補償を続けております。日本政府も日韓条約の認識に安住することな
く、韓国被爆者にも援護法の適用と国際社会に通用する過去清算で日韓の間の慈善友好
を維持し、両国の信頼関係を回復するきっかけになりますよう、祈念いたします。以
上。
森座長
ありがとうございました。おっしゃりたいことはたくさんおありだろうと存じます
が、時間の配分などをお考えの上、簡潔になさったものと思います。いかがでございま
しょうか。委員の方々から何かご質問でも。
一番はじめには確か歴史的なことを云われ、次に原爆が投下された以後の、韓国の国
内事情についてお触れになりましたね。その後の、日本からの被爆者に対する援護が韓
国の方まで十分に及んでいないということをおっしゃって、ご一家、あるいはご一族の
いろいろな体験を語られた。いくつかの数字などもお挙げになり、最後に要望を述べて
締めくくられたと思います。非常に要領のいいお話を頂戴しましたが、いかがでしょう
か。何かご質問でもございませんか。
まず、岸先生から。
岸委員
ちょっと1点、教えてください。毎年、新しく被爆者手帳を取られる方が30人から50
人ぐらいですか、日本にせっかく渡ったのに被爆者手帳を受けられないという方もかな
りいらっしゃいますか。
崔 氏
はい。今、2,200 人の中で今まで手帳を取った人は、私、協会の会長をしていたとき
は700 人ぐらいおりましたが、そのうちにもう4、5年経っておりますから100
人ぐら いが死亡しました。今、手帳を持っている人は600
人ぐらいしかおりません。
手帳を取れない理由はいろいろあります。健康の問題もありますし、また、手帳を取
るために旅費をもって広島とか長崎に行って申請して1週間ぐらい滞在しなければいけ
ないですから、そのお金の問題とか、いろいろなそのような問題で手帳を取るに来るの
が来れない人が随分多いのです。
岸委員
ありがとうございました。
森座長
では、伊藤さん、どうぞ。
伊藤委員
韓国の医療制度でございますね。医療制度についてご説明をいただきたいと思いま
す。一般の医療と高齢者でございます。さきほどから亡くなる方が多いとのことです
が、これは日本とて同じことでございまして、平均で70歳ぐらいにおなりになっている
と思います。したがいまして、そういう高齢者の医療制度はどのようになっているかと
いうことをお聞きいたします。
崔 氏
だいたい国民医療保険ですね。あれは自分の収入によって保険費を毎月、支払いま
す。国の方に。そうしたら病院に入院するとか、通院するときに普通、自己負担が30%
です。入院したときはいろいろ精密な検査がありますから、そういうのは全然、保険に
入れません。日本ではいろいろ精密な検査とか、それは保険で入れますが、韓国では入
れないものが相当多いのです。ですから、30%と言っても自分が負担するお金が相当割
合に多い方です。 65歳、70歳、高齢者の人に特別な支援はありません。だが、その人が家族なしで一人
暮らしで支える人がない、そういう老人たちは国の方から福祉面で生活援護費を少し出
します。ですから、それを貰って生活しているのです。その援護を出しているお金が27
万ウォンぐらい、27,000円ぐらいしか貰っておりませんから、被爆者の中ではだいたい
そういうような個人負担をもって30%、支払います。
92年度ですか、人道的な立場によって日本から40億円というお金が出てきました。そ
の中で被爆者に対しては保険に適用する30%、それはその中で負担しております。で
も、MRIとか、精密な検査とか、それは今でも個人負担をしております。
月に手当として10万ウォンをやっております。その10万ウォンというのは韓国では指
定病院がソウルといったら2、3か所、釜山でも2か所ぐらい、それで各道、日本では
県ですが、それに1か所ぐらいしか指定病院がないのです。だけれども、その指定病院
に行くとすれば相当な交通費がかかります。そういう面で10万ウォン貰ったのを全部医
療に使うというのはもう全然、それは不可能です。交通費とか、薬屋に行って薬を貰う
薬代。韓国では漢方薬を老人たちはよく使いますから、そういうところに10万ウォン、
援助していますが、そのお金も2,200 人になったら全部、切れてしまいます。そういう
状態になっております。
森座長
よろしゅうございますか。指定病院というのは例えば国立とか、県立とかの、いわば
公的な病院なのですか。
崔 氏
はい。主にそういう病院をしております。個人的な病院に行って治療をしたら、ま
ず、30%、それを自分が支払います。支払った後に協会の方に申請したら、その項目を
見て保険以外の薬代、そういうものは出してくれません。保険に適用する安い薬代と
か、そういうものをその中で支払っております。十分な支援というものは考えられませ
ん。
森座長
土山先生、どうぞ。
土山委員
大変抑えた調子でおっしゃいましたけれども、悲惨な境遇にあられるということはよ
くわかりました。
今、お話になられました日本からの基金のことなのですけれども、日本に来られて被
爆者健康手帳を取得されて、健康管理手当を貰われた方が一旦、韓国にお帰りになると
打ち切りと。そういう方々は個人として健康管理手当を貰うのではなくて、基金の中か
ら今、おっしゃったような程度のものしか支給されないという格好ですので、本来的に
一番望まれるのは本当は健康管理手当の趣旨である個人のいろいろな体力増進とか、あ
るいは保険薬の購入とかに自由に使えるお金の方がよりいいということになるわけです
ね。
崔 氏
そうです。それが根本的な解決の問題だと思います。
土山委員
わかりました。ありがとうございました。
堀委員
今日、ご用意いただいたペーパーを見ますと、2つのことが書かれています。ひとつ
は在外被爆者に対する援護法の適用で、2つめは爆死した人々、あるいは亡くなった韓
国人被爆1世たちの補償問題です。1点目はわかるのですが、2点目は何か具体的なお
考えがあるのでしょうか。
崔 氏
レポートの中に2つめの問題がありますが、これは過去清算の問題です。韓国の被爆
者は主に日本の植民支配によって受けた被害でありますから、どういう形でも過去清算
しなければいけないのではないかと私たちは思っております。ですから、被爆者もそう
いう面で被爆されて被害を受けたのですから、過去清算の問題がまだ残っているのでは
ないかと考えております。
過去清算の問題は私たちがもうどういうふうに出すというよりも、日本自身が過去に
対していかに反省するか、いかに清算をするかというような問題、日本政府の問題と私
は思っております。その基準は被害国民が満足に、ああ、これならいいというような、
満足に受け入れられて容赦する心が生じなければできないと思います。そういう観点で
これも2つめは書いたのですが、今、私が一番要望しているのは日本人と同じく被爆者
に対して援護法の適用をしてくだされば随分助かるというような考えで要望をいたして
おります。
森座長
よろしゅうございますか。さて、他にいかがでございましょうか。ご遠慮かと思いま
すが、よろしいですか。小寺先生もよろしいですか。兼子先生も。どうぞ。
伊藤委員
もう1点、お訊ねしたいのですが、さきほどの10万ウォンでございますね。個々の人
に差し上げていらっしゃる。これは2,200 名に対してでございますか。
崔 氏
そうです。
伊藤委員
私はよくわからないのですが、1か月の平均収入、どれくらいでございますか。被爆
者ではなくて、一般的な韓国の方々。物価はいかがですか。
崔 氏
10万ウォンを手当、交通費として支給するのを会員、被爆者全員にやっております。
伊藤委員
10万ウォンというのがどの程度の価値になるのですか。日本で直せば金額的には1万
ぐらいでございますね。
崔 氏
はい。
伊藤委員
物価が違うと思いますので、生活のどのくらいの補助になるのかということをお訊ね
したいのですが。
崔 氏
10万ウォンがどのくらいの価値と言うのですか。
森座長
韓国における一所帯の平均的月収とでも申しますか、そういうことでございましょ
う。
崔 氏
だいたいこの頃は労働者も相当、上がりました。だいたい普通、公務員とか初給は100
万ウォンぐらいから200 万ウォンぐらい。200
万以上貰っている人もおりますが、普通 の下の労働者でも今、80万ウォンぐらい、80万ウォン、100
万ウォンぐらいは貰ってお りますから。韓国も昔は安かったのですが、今はもうどんどん物資が高くなって相当な
お金がかかります。生活費が。
伊藤委員
もう1点、さきほどから被爆者健康手帳の取得率は500
名から600 名ぐらいというお 話でございましたけれども、そちらの方の協会で被爆者全体の掌握率は何%ぐらいだと
お考えでしょうか。例えば、被爆者が1,000 人いるとすれば、お宅の協会でそのうちの
何人ぐらいが掌握していらっしゃるか。何%ぐらいを。
崔 氏
手帳を取っている人ですか。
伊藤委員
いいえ。協会として被爆者のうちの、さきほど2,200
名はいるのだけれども、もっと 1万ぐらいいるというお話もございました。それでは協会は単純にだいたい12,000人ぐ
らいのうちの2,000 人ぐらいしか掌握していらっしゃらないということになりますか。
崔 氏
92年度から40億円が来ました。そうしたらもう全部、被爆者の申請が入ってくるので
すよ。協会の方ではそれを認定するのが実務的に難しいのです。できないでしょう。で
すから、これは申請はどんどんしてくるのですが、これはだめ、何人ぐらいおるかとい
うのをだいたい見たら、その当時、まだ、10,000人ぐらいは生きているのではないかと
いうような数字が出てきたのですね。ですから、これはいけないと言って、受け入れを
中止したのです。
そして広島、長崎に行って手帳を取ってきなさい。そうしたら会員に加入します。そ
ういうふうになったのです。ですから、1967年から協会ができて、ずっといく途中に手
帳の問題はなかったでしょう。ですから、会員が集まって協会を設立して会員がずっと
続いたのですが、その中で手帳を取りに行って手帳を取ってくる人もいました。お金が
来る前までは被爆者というのをあまり言っても何の支援がないのですから、そういう話
をしなかったのですが、92年度、40億円が来て10万ウォンやると言ったらどんどん出て
くるのですよ。ですから、それは困るのです。それで広島、長崎に行って手帳を取って
きた人だけ、加入しますと言って、今、そうしているのです。
ですから、これが援護法の適用ができて、内容的な具体的な問題ですね。あるいは全
部、手帳を取ってやるようにしなければいけないのです。ですから、この前政府の方に
も要請したのですが、日本から長崎と広島の担当者が韓国の日本大使館に来て、それで
申請を受けて審査して手帳を取ってやるとか、そういうようなやり方が今後、考えられ
なければいけないのではないかという考え方も持っております。
森座長
何割を把握しておられるかということよりも前に、総数、正確な総数の把握が必ずし
も容易でない、そういうことかもしれませんね。
崔 氏
全部、10,000人と言っても今、日本の被爆者と比べれば1割ではなくて0.3
%しかお らないのですから。
森座長
ありがとうございました。他によろしゅうございますか。そういたしますと、では、
一応、これで最初のお話を終えさせていただきます。また、のちほどいろいろとご質問
申し上げるかもしれませんので、よろしくお願いいたします。
崔 氏
はい。どうぞよろしくお願いいたします。
森座長
どうもありがとうございました。
それでは次の方にお願いしたいと思いますが、さきほどご紹介のありました倉本寛司
様でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
倉本氏
今日、坂口厚生労働大臣にお会いができまして、3人でいろいろお話して我々のこと
をお願いしますと言ったら、あなたたちは何も法律がないので何かしなければいけない
なという非常に温かいお言葉をいただきまして非常に感謝しています。
私、要望書を書きましたので、それを読ませていただきます。
この在外被爆者検討会に招待していただき、発言をさせていただくこと、大変嬉しく
本当に温かい人道主義者の皆様に感謝いたします。
私は倉本寛司と申します。早いもので在米53年になります。アメリカの被爆者運動を
始めまして早くも28年になります。現在、米国原爆被爆者協会の名誉会長を務めていま
す。
過去、長い間、私は会長として度々、厚生省、外務省、広島県、広島市、長崎
市、広島県医師会、放射線影響研究所などを訪問しまして、アメリカに住む被爆者の実
態を説明し、理解を求めて支援をお願いしてまいりました。しかしながら、理解してい
ただけず苦労しました。
最初、サンフランシスコの日本国総領事館を通じて各地の総領事館で被爆手帳の発行
と日本からの医師派遣をお願いしました。やっとその返事が1975年にありました。残念
ながら手帳発行は日本の法律により、総領事館では発行できない。また、アメリカの医
師法により、アメリカの医師のライセンスのない日本の医師派遣は困難とのことでし
た。
その後、私どもはカリフォルニア州議会に法案を提出して被爆者援護を訴えました。
その2回目の委員会のとき、驚いたことにパールハーバー攻撃の話が出まして、あなた
方は戦争を始めた敵国日本人ではないかと言う議員もいました。でも、排日の空気の中
で大変同情してくれた議員もいましたことは大変嬉しいことでした。しかし、このとき
の「ユー・アー・エネミー」の言葉は今も忘れません。
その後、ワシントンの連邦議会まで法案を提出しましたが、第1回の公聴会では承認
されましたが、第2回の公聴会で否決されました。委員の中には大変同情してくれた方
も多くいましたが、結局、マイノリティで否決されました。
原爆投下は正しかった。これがアメリカの定説になっています。その中でアメリカの
被爆者の救済を訴えるのは大変なことです。度々、いじめられました。いつも真珠湾攻
撃の罪を私どもに押しつけてきました。なぜ、日本国が犯した真珠湾攻撃を罪のない被
爆者に押しつけてくるのか、情けなく泣きたい気持ちでした。しかし、私どもの運動は
戦争とかイデオロギーの争いではなく、病気がちで貧乏な被爆者救済であることを理解
して同情してくださる方がいましたことは助かりました。
その苦境の中で広島からの医師派遣による健診が実現しました。大変ありがたいこと
でした。医師法から申しますと考えられないことでした。それを故大内五良広島県医師
会長の大変な尽力で実現しました。現在まで隔年に実行されて今年で13回目を迎えまし
た。この日本国からの唯一の贈り物は大変嬉しく思います。
最初は医師法を管理する事務所から固い注意の電話があり、ひやっとしましたが、何
とか続けられてきました。広島からわざわざ博愛精神でボランティアで来てくださる医
師団を理解し、厳密に調査せずに見て見ないふりをしてくださったと思われます。
ご存じの方もあると思いますが、アメリカでは国民健康保険がありませんので、個人
で加入しなければなりません。病気の人は加入は困難です。被爆者と確定しますと健康
保険に加入が困難になります。被爆者は病気がちで健康でない。つまり心臓病、肝臓
病、腎臓病、高血圧症、糖尿病等にかかっている人と同じように要注意のレッテルを貼
られます。
保険会社は「被爆者による病気はカバーしない」。つまり被爆と関係のある病気はカ
バーしないと限定されます。それでも保険に入ると保険の掛け金が多くなります。ご存
じと思いますが、医者代がべらぼうに高いアメリカでは病気がちの被爆者は保険なしで
は生きていけません。それで保険会社に抗議をしましたら、我々は営利会社です。被爆
者に政府が保証しない限り、困難ですとの冷たい返事でした。アメリカの被爆者は被爆
者であることを隠しています。 しかし、アメリカには65歳以上になると幸いにも老人健康保険があります。しかし、
これだけでは薬代はカバーしません。治療費も一部だけですので困ります。それでそれ
以外の余分に保険に入ります。しかし、保険代が高いので加入できない被爆者もたくさ
んいます。
確かにアメリカは世界一、金持ちの国です。しかし、低収入の人は日本以上にたくさ
んいます。被爆者はだいたいが低収入のグループです。しかし、ほとんどの被爆者は私
は病気がちで貧乏ですと申しません。しかし、真実は困っています。援助していただけ
ればどんなに喜ぶでしょう。ぜひ、助けてあげてください。
原爆を落としたアメリカに住む被爆者は物心両面で苦しみ、心身ともに大変です。ど
うか博愛精神の皆様、温かいご支援をお願いいたします。日本の被爆者と変わりがあり
ません。どこに居住しようと被爆者は皆、被爆者です。どうか被爆者救済を差別をせ
ず、平等にしてください。
確認は困難ですが、アメリカには被爆者全体の約4割が日本国籍を持った被爆者で
す。この方々には日本国民として日本国憲法や法律によって世界どこに住んでも保護さ
れる権利があると信じます。ぜひ、政府として調査をして実態を確認してください。こ
の方々は遠い祖国日本からの温かい援助を今か今かと待っています。
ワシントンで被爆者救済運動をして法案の公聴会まで実施し、最後は否決されました
ことは先に述べましたが、そのとき大変お世話になったミネタ元下院議員、現在の運輸
長官と長い間、今後の被爆者救済についてお話をしました。結局、現在のアメリカでは
救済は困難。日本では立派な法律によって日本の被爆者は救済保護されている。日本に
行って実情を説明して救済を嘆願しなさいとアドバイスを受けました。
また、大統領への私どもの嘆願書の返事を書いた国務省のフェザーストン元日本人課
長とお話をしたとき、アメリカでは法律によって政府はあなた方の救済はできません。
しかし、日本では被爆者救済を実施しています。日本に行って嘆願しなさいとおっしゃ
いました。これ以後、アメリカでの救済運動の希望が持てなくなり日本に嘆願しており
ますが、残念ながら未だ聞き入れてもらえません。
去る6月1日に海外で暮らす被爆者も被爆者援護法で救済すべき対象と明確に認めた
郭貴勲さんの裁判での判決どおり、ぜひ、取り残された海外の被爆者にも同じように温
かく支援をしてください。被爆者援護法の前文に「生涯いやすことのできない傷跡と後
遺症」と被爆者の苦境に思いを寄せ、援護対策を講じる「国の責任」を明記していま
す。判決も同援護法に人道的目的があると繰り返し指摘しています。高齢化する被爆者
に少しでも早く援護の手を差し伸べてください。
海外での手帳の発行や医療費を国がどのように負担するか等、いろいろな具体的問題
があります。これは今後の課題です。少なくとも判決のとおり、手当の打ち切りだけは
やめて支給してくださることをお願いいたします。
日本の被爆者が羨ましい。運命かもしれないが、同じ悲運な被爆者同士なのに、その
差が違いすぎます。何とか日本並の保護を受けたい。これが現在のアメリカの被爆者の
本音の願いです。平均年齢が70歳の高齢です。もしも、支援していただけるのでした
ら、この方々が生存しているときにしてください。心よりお願い申し上げます
。 以上が私の意見と嘆願です。よろしくお願いいたします。ご静聴、ありがとうござい
ました。倉本寛司。
森座長
はい。どうもありがとうございました。
さて、このような説明でありましたが、何か委員の方からご質問でも、いかがでしょ
うか。
小寺委員
1点、ご質問をしたいのですけれども、ワシントンの連邦議会で法案を提出されたと
いうご説明がございましたが、その法案はどういう内容の法案だったか、ご説明いただ
ければ幸いです。
倉本氏
これは日本の最初の被爆者法案と非常によく似ていまして、被爆者であるということ
を認定すると。これはどうやって認定するかはこれは被爆者かどうかという、それを手
帳みたいにサティスフィードを出す。それがひとつと、2番目にそれを持った人はどの
病院でもどのお医者さんに行っても治療しなさいと。そのビルを国の方に出せば国が払
うと。それだけです。
森座長
ありがとうございました。他にいかがでございましょうか。はい。どうぞ。
土山委員
さきほどおっしゃってくださったこと、もう1回、確認させていただきたいのです
が、アメリカで個人的に健康保険に加入なさる。そうするとそのときに被爆と関連のあ
る病気の場合は出せないということの理由として、国の方針が背景にあるからだという
お話でした。
結局、これは歴代のアメリカの大統領が原爆投下は正当な行為だったということをず
っと言い続けているわけですね。そのことがベースにあるために健康保険の会社として
ももちろん営利事業という面もあるでしょうけれども、なおさらそういうことには出せ
ないと、こういうふうに理解してよろしゅうございますか。
倉本氏
それがひとつと、もうひとつは被爆者というのは病気がちで弱いということは彼らは
知っているわけですね。だから、被爆者というレッテルを貼られるともうこの人は何か
の病気に他の人と比べてなりがちであるということを向こうは知っていますので、それ
をもとにして被爆者に対しては非常に警戒するという立場があるわけです。
土山委員
ありがとうございました。
伊藤委員
組織的なことを少しお訊ねしたいのですが、今日、倉本さんがお越しになりしました
のはCABS、すなわち米国原爆被爆者協会の代表ではなくて個人の資格でお見えにな
っているのでしょうか。
倉本氏
これは友沢会長が来れないので私が友沢会長に代わって代理で来ています。
伊藤委員
わかりました。それでは倉本さんの協会ともうひとつは米国広島長崎原爆被爆者協
会、2つがございますが、倉本さんの方の協会からシアトルが外れたと聞きましたの
で、すべての被爆者の人が協会に加入しているわけではないのですけれども、協会に属
していらっしゃるのは30%ぐらいでございますかね。
倉本氏
今、シアトルが外れたというのは外れていないのですよ。今年も健診をしましたか
ら。
伊藤委員
そうですか。4月にそういうシアトルの方が来てそのようにおっしゃいましたので。
それはともかくとして、では40%ぐらいがCABSに属しておられることになります
ね。実際に全被爆者の何%ぐらいを、さきほどから同じ質問をしているのですけれど
も、全体の被爆者の何%ぐらいを掌握していらっしゃるかということをお答えいただき
たいと思います。
倉本氏
全部確認はできないのですけれども、被爆者としては日本からの援護法が適用になる
ことは皆さん、望んでいると思います。自分は必要ないという人は一人もいないと思い
ます。
伊藤委員
協会がどの程度、被爆者を持っているかという問題を、今、お訊ねしたのですが、援
護法の問題とは別にどのぐらい掌握していらっしゃるかということと、わからなければ
手帳取得率とか、そういったものがおわかりでしょうか。
倉本氏
手帳取得率は私どもは全体のいわゆる1,000
人おるとしましたら8割から7割は持っ ていると思います。これは確認できないのですよね。各自の問題ですから。でも、700〜
800 人ぐらいはいるのではないかと思います。
伊藤委員
我々は健康保険を持っております。したがいまして、まもなく30%、個人負担になる
というふうなことが一般的に言われておりますが、被爆者の方はその30%を現物支給と
いう形で払わなくて済むということになっております。
アメリカというのは非常に日本と近い国でございまして距離よりも行き来が多い国
で、多くの方がだいたい私のところだけで掌握しても実際の人数として50人ぐらいの方
が1年間にお出でになっております。そういったことでいろいろ医療とか、相談健診を
受けていらっしゃいます。在外被爆者に対しましてお越しになった場合、保険がないわ
けですから、100 %手帳でカバーしてさしあげております。
例えば先だっても心臓の手術、アメリカでは1千万ぐらいかかるそうでございますけ
れども、日本にお越しになって、在米被爆者の方でお越しになって日本で手術を受けら
れたという事例も生じておりますし、かなりいろいろな形で今、行ってきているわけで
ございますけれども、今度、今の場合、日本の保険制度と同じようなものがアメリカに
はございませんので、いったいそれはどのようになるかという問題がございます。
ひとつはご質問ですが、米国政府へのアプローチのことについて、さきほど1977年の
日米市民協会ですか、そちらが提案して結局、審議期限切れで廃案になったものがござ
いますよね。そういった経緯があるのですが、この度、米国政府は被爆者に対してちょ
うど倉本さんのような早期入市者ですね。そういう退役軍人に対して連邦政府が補償金
を支給する方針を明らかにしております。これは新聞報道で私は見たわけでございます
が、8月6日付の新聞に出ておりました。
それは全く倉本さんのような立場の方で長崎、広島で清掃作業に従事した人とか、あ
るいは核実験で被爆した人で、退役した方々に因果関係は求めないで一人、1か月、25
万支給するという、これは癌とか白血病になった場合に支給するというのが出ておりま
した。死亡した場合には夫人に12万と。日本の被爆者制度よりずっといいわけでござい
ますが、米国籍の被爆者の方々もこういったことにアプローチというのはできないもの
でしょうか。いかがでしょうか。
倉本氏
これは実際問題としては法案を出したときに、アトミック・ベテランというグループ
があるのです。ベテランで原爆による実験とかいろいろなことをしたグループがあっ
て、これと一緒になりかけたのですけれども、彼らから反対者が出てきまして、彼らが
言う言い分は、我々はアメリカのためのベテランで戦ったのだ。あなたたちはエネミー
のところにいたのだということで分裂しまして一緒になれなかったのですよ。それ以
来、一緒になっていません
。 これは非常に残念なことですけれども、戦争というものは嫌なことで、それ以来、一
緒になっていません。でも、ベテランの方は今、おっしゃったような25万とか30万と
か、あれは受けているようです。我々の方はいわゆる政府側にもそれをミネタさんで話
したのですけれども、それはあなたたちは無理であろうと。やはりベテランはアメリカ
のために戦った人たちのあれで、あなたたちはやはり敵国におったら難しいだろうとい
うことで、現在、それはもう討論以外のことになっています。
森座長
いろいろとあるのでございましょうね。人間のことですから奥深い心理や背景がある
のでしょうね。他にご質問、いかがでしょうか。
倉本氏
もうちょっといいですか。この間、9月11日にニューヨークで起きましたテロ事件。
私はあれを見て原爆当時のことを思い出したのですけれども、あれは6千人、死んだの
です。一瞬にして。原爆の場合には20万です。20万の人が広島市の中で亡くなったので
すけれども、それと比べると全然問題ないのですけれども、アメリカでは戦々恐々で凄
くショックなのですけれども、だから、あれを見まして私は非常に戦争というものはテ
ロにしろ、戦争にしろ、何にしろ、非常に情けないと。だから、広島、長崎の原爆が一
発で20万とか15万というものを殺してしまうというのはアメリカ人も今、ニューヨーク
のあの惨事を見てある程度は感じたかもしれませんけれども、非常に惨劇の一瞬でし
た。それを私は本当にあの亡くなった方たちの弔いをしたいと思いまして、今、話して
います。ありがとうございました。
森座長
他にご質問はいかがでしょうか。どうぞ、お願いいたします。
堀委員
在米被爆者のうち、メディケアの適用を受けておられる方がどれぐらいかということ
をお聞きしたい。メディケアの適用要件というのは65歳以上で、OASDI、老齢年金
の受給資格があるということです。在米被爆者はだいたい年齢要件は満たしていると思
います。OASDIの老齢年金は10年以上、保険料を払っていることが要件です。戦
後、すぐアメリカに渡られた方は10年の要件を満たしていると思うのですが、これらの
方が対象となるメディケアはかなりの給付を行います。ただし、一部負担があります。
さっきおっしゃったように薬が支給されていないということですけれども、メディケア
が適用されればかなり医療の給付はあるのではないかと思うのです。そういう意味でお
聞きしたいのですが。
倉本氏
何%ということははっきり私にはわかりませんけれども、非常にパーセンテージの数
は大きいと思います。私の知っているまわりの人たちも70歳近い人たちはほとんど、い
わゆる貧困の部類に入っている。だいたいお金にしますとソーシャルセキュリティを30
年ぐらい払って貰う。1人の場合は給付、900
ドルなのです。夫婦の場合は1,500 ドル なのです。それでサンフランシスコでそれで暮らそうと思ったらとてもできないです。
だから、いわゆるサンフランシスコでも最低1,500
ドルか2,000 ドルの収入がないと できません。少なくとも今、メディケアは薬代が入ってないのですよ。だから、薬代が
やはり200 〜300 ドルかかるわけです。月に。それが払えないで薬を飲まずにじっと我
慢しているという人がたくさんいますので、私はできたら援護法でもって薬代ぐらいは
そういう人たちに払ってもらえればと思っています。
堀委員
メディケアで医療費が払えないという場合には低所得の方にはメディケイドという制
度があると思うのですが、このメディケイドを受けられている方というのはわかるので
しょうか。
倉本氏
それを調べようとすると返事が返ってこないですから。やはりあの人たちは自分が貧
乏で困っているということを公言しない。政府が、総領事館なら総領事館が調査される
とわかると思うのですけれども、我々、こういう一般の会が調べようとすると非常に難
しい。あの人たちにはやはりプライドがありますから、自分は貧乏だということを人に
見せようとしませんから非常に難しいところがあります。そこは理解していただきたい
と思うのです。非常にこれはやはり人間的な、貧乏は貧乏しても貧乏なりに、自分は貧
乏ではありたくないというのを出してきますから。
伊藤委員
堀先生、今のですが、だいたい90%がおそらく。
堀委員
メディケアの適用を受けている割合ですね。
伊藤委員
はい。と思います。ただ、私の調査も少し古うございますから、年齢から考えますと
被爆者の方はそれぐらいになっていると思います。
森座長
ありがとうございました。
堀委員
今、メディケアで薬の支給をしようという動きはあるのですね。だけれども、なかな
かいろいろ難しいみたいですね。
倉本氏
前の政権の場合は非常に同情的だったのです。今のブッシュ政権はそれをなくそうと
いうのがありますし、非常に政権が代わる毎に変わっていきますので、だから、貧乏し
ているのはどっちにしたってあまりいいあれではありませんから、非常に困っているの
は事実ですから、そこは委員の方々、わかっていただければと思います。
森座長
いかがでございましょうか。他にはよろしゅうございますか。これはちょっと突飛な
質問かもしれませんが、たしか、被爆者であることをはっきり言うと保険料が高いとお
っしゃったですね。
倉本氏
はじめは断ってくるのですよね。それでも入りたいと言ったらいわゆる保険料が300
ドルだったらそれでも入りたければ500 ドルとか600
ドルと上げてくるのですね。
森座長
それは、例えば「喫煙者」に比べても高いわけですか。
倉本氏
高いですね。
森座長
そうですか。どうもありがとうございました。本当にいいお話をいただいて、どうも
ありがとうございました。 先に進まさせていただきましょう。最初にご紹介があった森田様です。どうぞよろし
くお願いいたします。
森田氏
本日、この在外被爆者に関する検討会に南米在住被爆者の実態をお伝えできることを
大変に嬉しく思っております。
私たち南米被爆者はアメリカの落とした原子爆弾の犠牲となった広島、長崎の住民で
ございまして、敗戦後、当時の日本政府は国策として海外移住を県や市を通して奨励、
広島、長崎の多くの被爆者が苦境を乗り越えるため、移民に応じました。移住国での苦
しい環境に耐え忍び、今日に至っております。
被爆者はどこにいても被爆者。原爆症で病院に通っても専門医がいないため、大変に
困っている現状でございます。移住国の医学関係は大変遅れていまして、血液検査、レ
ントゲン等も料金が非常に高く、我々被爆者は精密検査も受けられません。
私はこちらに来る4、5日前にサンパウロの病院で血液検査とレントゲン検査を受け
てきました。最低給料がブラジルにおいては160
レアルですが、この2つの検査と医者 の診断を受けましたら実に480
レアル。最低基準の3倍ぐらい、この2つの検査で取ら
れる。それほど医療費が高いのです。そのことを知っていただきたいと思います。
在ブラジル原爆被爆者協会は1984年7月15日に設立いたしました。協会の作りました
目的は、世界の平和を願い再び原爆の惨禍を受けることなく、世界の平和をメッセージ
にしております。2つめは海外に居住する被爆者も当然の権利として被爆者関係の法律
の適用を願っています。その2つの目的で会を作りました。
この会も17年経ちました。仲間の被爆者も多く亡くなっていきました。日本政府の援
助を願いながら淋しく異国で亡くなっていかれました。胸がつまります。
移民として故国を離れ苦難に耐え忍び、成功して故国に錦を飾ろうと頑張りました
が、原爆にさらされた身は、その労働に堪えず、家族に心配をかけてすまないと言いつ
つ逝かれました。こうした被爆者の最後を数多く見送り、私は万感心がつまります。
国の政策に協力して移民として出た私たちが一般日本人より差別されるのでしょう
か。私たち夫婦が在外被爆者の援護を要請し厚生省に参りますと、あなた方は日本国を
出てブラジルに行ったのだから、政府では何もできない。ブラジル国に頼みなさい。こ
の返事が移住を奨励した国の姿でした。移民政策は棄民政策でしょうか。関係職員の善
処を強く求めます。
外国に住む日本人は母国の人と同じように日本を愛しています。誇りに思っていま
す。今回の在外被爆者に関する検討会に参考人として出ましてメンバーの先生方にお願
いいたします。被爆後56年も経ち、未だに援護のない老齢化の進んだ被爆者に皆さんの
温かい計らいをお願いいたします。
1974年、厚生省の局長通達402 号を廃止してください。27年も前の通達が生かされて
いるこの矛盾をなくしてください。旧植民地被害者が孫裁判、先の郭裁判と国の責任が
問われ、今回の検討会になりました。先生方の英断でこの局長通知を排除してくださ
い。南米に居住する被爆者は残り少ない余命を母国の温かい援助に感謝しつつ逝くこと
にしてください。
私たち夫婦も被爆者協会とともに17年、77歳になりました。北米の倉本名誉会長とと
もに在外被爆者援護問題に毎年、帰国し、お願いをいたしましたが、これが最後になる
ように思います。ブラジルより25時間の空の旅も年毎に苦しくなりました。このあたり
でこの問題から逃れたいと思っております。
被爆後56年、長く続いた私たち在外被爆者の戦後が、検討会の先生方の方策により決
定いたします。再度、申します。27年前に出された厚生省衛生局長通達402
号を撤廃し てください。今後とも原爆被爆者対策につきましてよろしくお願い申し上げます。
続けて申しますが、今回、ブラジルからまいりますときにニューヨークを経由してま
いりましたが、例の9月11日の連続テロ事件により、大変に厳しい検査を受けてまいり
ました。物々しい空港の様子でございまして、私、いつもすっと通れるのにブザーが鳴
りましてびっくりしましたら時計をつけていた。この時計が鳴ったので時計も取らさ
れ、再度、通りますとまた鳴ります。腰につけていたキーホルダーがありました。それ
も取られた。凄い検査で、本当にカリカリしているアメリカの様子を見てきました。
ブラジルにおる人たちが申しております。森田さん、あんた、毎年、日本に行ってお
願いしているけれども、どうして日本政府にあなたたちは行くのだ。爆弾を落としたの
はアメリカではないか。どうしてアメリカを責めないのか。日本政府がそんなことをや
るわけはないのだと。一般にブラジルの人たちはそういうふうに申します。これは間違
いございません。
引き続いて申しますが、あのテロがあった翌日、ブラジルの一放送局は本当に伝えま
した。これは56年前に爆弾、原爆にあった被爆者が今回、このテロをやったのではない
かというふうな放送も実はしたのです。私の娘はそれを聞きまして、お父さん、そのう
ちにFBIがお父さんを連れに来るよというふうな冗談も言いましたが、それほどやは
りブラジルの人たちは原爆ということについての興味が大変深くなっていることも事実
です。核の恐ろしさを皆さん、知っています。おそらく日本以上に彼らは知っていると
思います。
そういう関係から広い日本の22倍のブラジルにおいてもアルゼンチンに近いところに
ラーモス移住地という長崎の被爆者の団体があります。そこに長崎の鐘の聖堂を作っ
て、来年の8月の9日にそれの竣工式をやります。一方、サンパウロの近くのオザスコ
というところにやはり日本の広島の原爆のドームの中にあります平和の灯火をブラジル
まで運んで、来年の8月6日にそれの点灯式をやるというふうに、大変にそういう平和
運動をブラジルでもやっているということをお伝えしておきます。ご静聴ありがとうご
ざいました。
森座長
どうもありがとうございました。わかりやすいお話をしていただきました。いかがで
しょうか。ご質問でもどうぞ。
土山委員
今、北米の方とは連絡をお取りになっておられるというお話、ありましたけれども、
崔さんが元会長をしておられた韓国の協会ともやはり三者でお話し合いはなさっている
のでしょうか。教えてください。
森田氏
はい。その点につきましては5年程前に私、日本に参りましたときに北米の倉本会
長、韓国の方々、こちらで韓国の被爆者を救援する市民の会の方々、本当に真心を持っ
てそういう方々のお世話をしていらっしゃる姿を見て本当に私も感激しまして、在外被
爆者はひとつになって政府にお願いしようということで、それからはまいりました度に
その方々のご支援をいただいて一緒に行動を取っております。これは大事なことだと私
は考えて感謝しております。
森座長
ありがとうございました。
兼子委員
遠くからご苦労様でございますが、援護法の適用を希望されるときに手帳をお取りに
なるのはやはりブラジルでというふうにお考えでしょうか。
森田氏
いいえ、必ずしもそういうふうに思っておりません。というのは海外で17年、その
間、もともと原爆手帳を持っている人たちも相当数、ブラジルにおります。ご承知のよ
うに隔年を期に日本から外務省、厚生省、広島県、長崎県の四者共同で南米の被爆者の
ための健診に来ていただいております。現在まで9回、来ていただきまして、大変に被
爆者はそれを感謝いたしておりますが、そのときにやはりご承知のように厚生省の方か
らお一人ついてきていただきまして、新しい加入者にはその方の面接を受け、被爆者か
どうかというのを決めて、ああ、この人は間違いないから会員になってくださいという
ことを聞きましたら会員になっていただいています。そういう関係で被爆しているとい
う事実ははっきりしております。
在外にいても国内と同じように被爆者として扱っていただき、健康管理手当をいただ
けるようになるようなことができると思いますけれども、その場合でも手帳は約70%が
持っていると思います。残りの人は事実、老齢化し、奥地の方で本当に困惑してサンパ
ウロにも出て健診を受けられない方々がたくさんいらっしゃいます。そういう方々でも
一度、会ができて医師団が来て、来られた方には一応、皆さん、被爆の事実というもの
は認めてもらっておりますので、そういうところを検討していただければ残り少ない本
当に年老いた被爆者には救いの手を差し伸べていただけると信じております。
兼子委員
関連して今の点、崔さんに伺ってよろしいでしょうか。
森座長
どうぞ。
兼子委員
崔さんは援護法の適用を要望されましたけれども、今のように手帳の交付、これは日
本に来て、つまり渡日してということをおっしゃったのでしょうか。それとも最後の方
で韓国で手帳の認定をすべきであるというふうなこともちょっとおっしゃったように思
いましたがどちらでしょうか。
崔 氏
はい。今までは長崎とか広島に行って申請して審査を受けて手帳を取っているのです
が、それが難しくて健康の問題とか旅費の問題で行かれない人もおりますから、この援
護法の適用が根本的に解決すればその問題も広島とか長崎の担当者が韓国の日本大使館
の方に来て、そこで審査をやることができればそれはいいのではないかと思っておりま
す。
伊藤委員
森田さんには、制度ができた後の向こうにお出でになって大変ご苦労なさった経緯は
縷々、今、ご説明いただきまして大変であったものと拝察いたします。
ですから、今、おっしゃいましたように非常に北米と違いまして手帳の取得率が高い
というのが実態と思います。今、住んでおられるのはブラジルでございますよね。その
他、南米には、アルゼンチン、ペルー、パラグアイ、ボリビアというところに健診団が
行っていると思います。そういった実態、手帳取得率もほぼ同じようなものかどうか。
もう1点は、一番多いのはブラジルだと思いますので、医療制度の方、特にさきほど
からいろいろ話題が出ております老人医療でございますね。これについてちょっとご説
明を賜れればと思います。
森田氏
お答えいたします。私は医者でございません。本当、一被爆者で、そういう医療関係
のことは、医療問題のことは知りません。全然存じておりませんけれども、南米の現状
は本当に日本では考えられないほど、貧しく、遅れております。伊藤先生も2度に渡り
ブラジルにもお見えになり、よくご存じだと思いますけれども、本当に遅れた国でござ
いますし、先生のお見えになった頃と現在もひとつも変わっておりません。貧しく、さ
さやかに生きております。これから先の短い老いた被爆者に対して被爆の事実がわかっ
ている方々に対して本当に温かい母国からの援助が望ましいと思います。
お願いとしましては伊藤先生もはじめから被爆者問題に関わっていらっしゃいまし
て、北米、南米に詳しく、私たちよりもよくご存じでいますので、どうぞ温かい気持ち
で、そして、年老いた被爆者の救援ということをよろしくお願いいたしたいと思ってお
ります。よろしくお願いします。
伊藤委員
一般の、例えば65歳以上とか、70歳以上、保険はどんな、皆さん方は政府の保険とい
うものがあるのでございますか。
森田氏
政府の保険はありますが、ないのも同然です。ブラジルの全人口のうちの60%、70%
は貧困者です。私もお陰でサンパウロにおいて医療制度における簡易制度の保険金を払
っております。それに入ればなるほど安くできるようですが、それでもさきほど話しま
したように精密検査を受けるのに最低給料の3倍ぐらい払っています。私ども、毎月、
100 コントぐらいの金を払っていても大多数の被爆者、年老いた者はその制度を受けら
れません。というのはブラジル人ではありません。日本人ですから。そういうことでそ
ういう制度に入っているのは本当に限られた人です。
お金の十分な被爆者の方は日本の方にも帰ってこられてちゃんと手帳を生かしていら
っしゃる方もおるやと存じております。そういうふうに本当にまじめで貧乏している被
爆者というのは医療問題が大変なことなのです。これは消すことのできない事実です
し、そういう見地からも1日も早くこの検討会において在外被爆者が国内の被爆者と同
じように残された僅かな人生を母国の温かい心で受け入れていただきたいということを
お願いいたします。
難しい点もあると思うのですけれども、そこのところはよろしく皆様でご協議してい
ただいて、本当に日本人として良かったという、というのは今回、私、作りました本に
もそんなことを書いております。年老いた人というよりも被爆者した人たちは本当に8
月6日の地獄の中を生き延びて、親を失い、兄弟を失い、命からがら、ブラジルに移住
してきて、本当に苦しんで、ここにあるひとつの例ですけれども、一人の、これは兄弟
でしたが、それは意外と静かな行列でした。皆、泣き疲れ、下を向いて両手を前に垂
れ、ぼろぼろの皮膚をぶら下げ、髪は焼けてぼさぼさ、小さな声でおかあさん、暑い
よ、触るなよと赤いずぶ濡れの姿で歩いていた。私も涙を流しながらお父さん、お母さ
ん、うまく逃げてよと思いながら幽霊の行列の中で考えていました。でも、兄貴と一緒
でよかった。
紙屋町でのこと、電車の中の女学生らしいつり革のバッグがゆらりゆらり、黒い焼け
火の下の白い骨が忘れられない。戦争がなければあの子も恋愛やよい家庭を持ったであ
ろうにと思う。私はたった15歳です。弟は12歳、8歳、5歳。悲しみなんていうもので
はありません。それでも私には兄と姉がありました。一番悲しかったのは世間の冷たい
目です。何か品物がなくなるとすぐ私たちです。親なし子です。なぜですか。職場でも
社会でも私は父を返せ、母を返せとよく泣きました。最後にブラジルにても私は日本
人、日本の援護対策を要請いたします。
こういう手記を皆、書いております。お願いします。私どもに与えられた最後のチャ
ンスと思っております。皆様の温かいご配慮によって在外の我々が救われることを節に
お願いいたします。失礼しました。
森座長
どうもありがとうございました。
小寺委員
1点、お訊ねしたいのですが、さきほどのお話ですとブラジルにいらっしゃる被爆者
の方というのは日本で被爆を受けて、その後、南米に移住をされて、現在も日本国籍を
持っていらっしゃると、そういうような方がほとんどであると、そう考えてよろしいの
ですか。
森田氏
そうです。1名、2世の方がいらっしゃいます。それは二重国籍ですから、ただし、
日本人です。韓国の方もいらっしゃいます。韓国の方はやはり広島で被爆し、韓国に帰
り、朝鮮動乱に巻き込まれて自分の兄弟がアメリカの者に殺されて、本当に泣く泣くブ
ラジルに移住してきたという韓国の方もいらっしゃるということをお伝えしておきま
す。
森座長
他にいかがでございましょうか。今日ここに森田さんにお越しいただいているのは、
おそらくブラジルのみならず、もし、おわかりになる範囲であれば南米のいろいろな国
のことも伺いたいという役所側の意図かと思います。医療の問題も含めて社会的な背景
なり、事情というものは、例えばさきほど伊藤さんがおっしゃったペルーとか、パラグ
アイとか、そういう国々でも似たり寄ったりでございますか。
森田氏
そうです。私ども、会を作りましてそういう南米全体の実態調査、それもこの本に書
いてございます。ペルーの方々、アルゼンチンの方々、他の5か国です。ボリビアにも
長崎出身の方々が15、16名いらっしゃいます。その方々も隔年おきに医師団が行ってい
ます。
来年、医師団の方に来ていただく10回目になるわけですけれども、やはり大多数はブ
ラジルですが、今のところ、サンパウロとリオデジャネイロだけで健診をやっておりま
すので、もう少しブラジルの中でもアマゾンに近い方、あるいはアルゼンチンに近い方
にも固まった被爆者がそれぞれおりますけれども、距離のことでそういう方々はサンパ
ウロまで出てこれないのです。何と言いましても隣の市まで行くのに何100
kmというふ うな広い南米のことで、ブラジルだけでも相当広い会になりますので、健診を受ける人
たちが最も近くの方に集まれるように、もう2か所ぐらいは健診をしていただける場所
を広めてもらいたいということを私、広島県に帰りましたら県の対策課に行ってお願い
しようと、こういうふうに思っております。
森座長
ありがとうございました。その他にいかがございますか。何なりとご発言なり、ご質
問を。どうぞご遠慮なく。
伊藤委員
それでは皆様にお訊ねしたいのでございますが、よろしゅうございますか。
森座長
もちろん、皆様に向かって。
伊藤委員
崔さんから同じ質問をお願いしたいのですが、確かに被爆者の登録というのはよくわ
かります。日本の法律に従った被爆者ということで一応、登録なさっていると解釈して
よろしゅうございますか。
崔 氏
はい。そうです。
伊藤委員
そして、その後、不幸にして失格になられた、失権と言いますか、亡くなられた情報
というのは手に入るのでございますか。
崔 氏
明確な数字はまだ出ておりません。
伊藤委員
私が申し上げましたのは、この根幹は被爆者健康手帳ということになりますから、そ
れが失格になったときに明確な確認が可能かどうか。日本国でございましたら戸籍とい
うものがございますが、韓国はどうなのか、私は存じませんし、米国はありませんし、
ブラジルはどうなっているのか、これもよくわかりませんけれども、韓国の方はいかが
でございますか。
崔 氏
健康手帳を申請したら広島とか長崎の方で戸籍とか、当時の書類、在日した証拠、そ
の次にそれでも被爆するときにいたか、いなかったかという問題もありますから、証人
とか、そういうものを審査して受け取るようになっております。
伊藤委員
協会では亡くなられたという情報が取れるのでしょうか。会員の中で。それは無理で
ございますか。
崔 氏
それは今の会員を相手にしてだいたい協会に登録して亡くなった人は記録は全部あり
ます。協会に登録しなくて亡くなった人はだいたい戦後、日本で調査した在外被爆者が
7万の中に半分ぐらいは爆死して、2万5千、3万ぐらいの中で7千人が在日している
というのは明確に日本で調査できておりますから、だいたい帰った人は2万3千という
ことですから。そういう推定のことだけしかできていません。
森田氏
ブラジルのことを申します。ブラジルの場合は亡くなったか、生きているかというこ
とは現在のところではわかりません。手帳を持っている方もありまして亡くなられたと
いうことはそのご家族が協会に向かって父が亡くなったという通知があればわかりま
す。関係の遠くなっております、正直言って2世、3世となりますとブラジルでは日本
語も通じません。私ども、協会から書類を出しましてもなしのつぶてというふうなこと
で実際の数を把握するということは大変難しい問題です。
ただ、手帳を持っている か、持っていないかというのは原簿に書いてありまして、もし、これが国内と同じよう
なことになるなら、そこのところは確実に調べてやらなければいけない。これからの課
題だと思います。
伊藤委員
ありがとうございました。
倉本氏
アメリカでも実際問題として手帳を持っている人が亡くなったかどうかというのは非
常に難しいです。残った家族に電話しても被爆者からやっとこれで逃れたというのがあ
の人たちの気持ちみたいなので、だから、そのことに対して亡くなったら亡くなったと
は言いますけれども、それを向こうの方からこちらに知らせてくるようなことはほとん
どありません。
伊藤委員
米国のナショナル・デス・インデックスはステート別でございますが、これを利用し
て、倫理委員会の了承を得て私も州にお願いしましたら、一人の検索料いくらという形
で返事が返ってまいります。しかし、日系か何かということで同じ名前が随分出てまい
ります。かなりの例では検索ができましたけれども非常に難しいものがございまして総
て掌握することは不可能に近いなという感じを当時得ました。
森田氏
最後ですが、本当に被爆者というものはブラジルにおいても南米すべてにおいても本
当に気の毒な状態にあるのは事実なので、そこのところを手帳のある人には生存が確実
であり、個人に向かって渡るような制度にしていただきたいということをお願い申し上
げます。
兼子委員
給付を受ける方が死亡されているかどうかというようなことは、これは日本国内でも
年金受給者の場合、状況報告書を求められるのですね。私の母は88歳で先頃、亡くなり
ましたけれども、ほとんど自分で書けませんで、もう毎回、私が呼び出されましてこの
状況報告書を出しておりましたが、そのやり方でやればよろしいのではないでしょう
か。
つまり公的な給付を受けている以上はその確認の必要がありますから、状況報告は出
していただかなければいけない。その状況報告の連絡がつかなくなったということはそ
れ自体、やはり給付が続けられないということにもなりましょうから、その点は在外で
もあまり違いはなく同じことではないかと私には思えますけれども。
森座長
ただ、非常にへんぴなところに住んでいる方というのは、その程度が、日本国内での
へんぴさと、広い広い国でのへんぴさとで若干、違うかもしれませんね。
兼子委員
そうですね。しかし、それはもう日常の給付がちゃんと届いているかどうか、手当金
のような場合は。それでわかることでございますね。
森座長
はい。わかりました。他にいかがでしょうか。小寺先生などは何か。
小寺委員
いえ、別にございません。
森座長
そうですか。それではこれでひとまず、お三方からお話を伺って、私どもの方から質
問をするという進行に区切りをつけさせていただきましょう。本当に、どうもありがと
うございました。お差し支えなければどうぞそのまま席にお残りいただいて結構でござ
います。また、さらにご質問申し上げることもあろうかと思いますが、差し当たって、
本当に私ども勉強いたしました。ありがとうございました。
さて、前回でしたか、広島、長崎両市長がここにお見え下さって、今日と同じように
いろいろとお教えいただいたとき、最後に、そのお二方は特にいろいろな点で被爆者の
方々と近い関係におありですし、事情もご存じでありますから、今後とも折に触れてお
教え願いたいということを、確かこの席で申したと思います。今日、長崎市長は残念な
がらご欠席ですが、幸いにして広島市長が見えておられ、資料もご提供いただいている
ということでございますから、恐縮ですが、少しご意見をお述べいただけますか。
広島市長 広島市長の秋葉でございます。前回はこの問題について発言の機会をお与えいただき
ましてありがとうございました。今回も傍聴させていただいて発言の機会をお与えいた
だきまして大変感謝いたします。 資料については前回、長崎の伊藤市長から説明をしていただいた事柄の広島版という
ことで広島、長崎、それぞれだいたい似通ったことをしておりますので、前回の伊藤市
長の発言の中にもありましたように援護法の適用の一環としてこういったことにも目を
向けていただければ我々としても大変ありがたいということを申し添えさせていただき
ます。 ただいま、お話を伺っておりまして何点か、ひとつは森田さんに、ぜひ、伺いたいこ
とがあるのですがよろしゅうございましょうか。それとあと、さきほどの土山先生から
のお話の中で私の方からおそらく説明できる点があろうかと思いますので、それと感想
を1、2、言わせていただければ大変ありがたいのですが。
ひとつは、ペルーの状況なのですが、ペルー、南米でも結構なのですけれども、日本
からなかなか皆さんの国民感情というのがよくわからないところがあるのですが、一方
においてはフジモリ前大統領、これは日本との縁で日本政府も含めて日本社会、大変温
かく遇しているということがあるのですけれども、被爆者の皆さんに対する態度、フジ
モリ前大統領に対する態度、あるいは比較と言いますか、何かそういった国民感情的な
ものがペルー、あるいは南米であるのかどうか、ひとつ伺いたいと思っておりました。
それはあとで結構なのですが、土山先生がお話になったアメリカでの保険制度なので
すが、実は保険制度のほとんど、最近、日本のテレビでも地震が原因で起きた火事は火
災保険ではお金、払いませんよという大きなコマーシャルをやっているのを皆さん、ご
覧になった方、いらっしゃると思いますけれども、ほとんどの保険にはそういう適用除
外項目というのが裏に細かい字で、ちょっと読んだのではわからない細かい字でたくさ
ん書いてあります。その中にほとんどの医療保険、損害保険の場合にはだいたい保険業
界もグローバル化していますので、世界の共通のスタンダードになっていますけれど
も、自然災害並びに核戦争というのは明確に除外されています。
そういう意味でほとんどの被爆者が被った病気、それがほとんど、放射線の専門家の
リスト、保険会社の作っているリストに載っているものとしては明確に排除されている
ということです。
ただし、アメリカの保険の場合にはプレミアム、特に保険金の上積みをした場合には
例外的に適用する保険を売りましょうという特別な契約ができる場合がございます。た
だし、それはほとんどの保険会社が面倒臭い事務ですから、そういった特別な扱いをす
ることは非常に例外的にしかありません。それが保険についての実情です。核戦争の他
に核爆発とか原発の事故というのが入っている場合ももちろんございます。日本の保険
もご覧いただければ同じような条項が入っているはずでございます。
3点目なのですが、これは私、アメリカに20年、住んでおりましたのでアメリカの状
況、大変よくわかるのですが、原爆に対するアメリカ人の捉え方、全く日本とは違って
おります。そういった中で韓国の話も伺いましたが、それは全く違う意味での原爆に対
する対応ですし、また、南米でも同じような状況がある。
その中でやはり「もの言わねば腹膨る」という言葉のとおりに自分の体験さえも語れ
ない環境に置かれた被爆者の皆さんの心理的な、医学的心理的な問題というところがひ
とつ心配なところですが、長崎市では先年からこの調査を行われていますし、広島市で
も被爆者のいわゆるPTSD、長期的な心理的な影響についての調査を始めたいという
ふうに思っております。
それと対照的に在外の被爆者の皆さんの日本国内以上に過酷な状況にある心理的な傷
ということにも、ぜひ、この検討会で目を向けていただければ大変ありがたいという気
がいたします。
最後に、これはお願いですけれども、今のお話を伺いまして北米の倉本さん、長い
間、存じあげていますし、森田さんのお話も伺ったことがございます。随分いろいろな
ことを知っているつもりでしたけれども、改めてお話を伺って胸をつかれる思いがいた
しております。
我々としては割に国情がよくわかっているこの3つの国の被爆者の皆さんのお話を伺
っても得るところが大変大きかったわけですけれども、もうひとつ北朝鮮の被爆者の皆
さんの場合、国情も大変違いますし、正規の国交もないということでおそらくこれ以上
の過酷な状況にあるのだろうということが想像に難くありません。ぜひ、何らかの形で
北朝鮮に在住している被爆者の方、あるいはそれがどうしても時間的に無理であるとい
うことであれば、在日のどなたかで北朝鮮の状況について精通している方からのお話、
ぜひ、この検討会として聞いてあげていただければ、そのこと自体がこの場で発言を許
されるということ自体がもう既に援護法の精神の発露の一環になるという気がいたしま
すので、最後、その点をお願いいたしまして、改めまして発言の機会をお与えいただき
ましたことに感謝して発言を終わらせていただきます。ありがとうございました。
森座長
どうもありがとうございました。では、森田さん、お答えになりますか。
森田氏
はい。今のお答えをいたします。ご承知のようにペルーのフジモリ大統領が日本にお
帰りになり辞任されました。ペルーには4名の被爆者がいましたが、被爆者45周年のと
き、ちょうどフジモリ大統領がペルーより日本に来ているときに、広島市より呼ばれま
した。そのときに私と倉本会長も一緒に呼ばれておりました。そのときに彼の曰くは、
ペルーに日系の大統領が来たら我々は本当に辛いのだと。良くないのだという。なぜで
すかと、日本人でいいでしょう。ところがペルーにはチャイナが多いのだと。だから、
日本人というのは本当に少ないからあんな人がなってくれたらうまくいけばいいが、悪
くいったら、我々、日系人は本当に辛くなるのだ。もうこのまま日本にいたいというふ
うなご気持ちを話されたのをよく忘れません。
その方はペルーにお帰りになり、翌年、亡くなられました。今、3名いらっしゃるの
でございますが、そのうちの方が1人の方が私のところにブラジルにお見えになって久
しぶりの会見に喜び、兄弟が会ったように被爆者同士で喜び、食事をともにした覚えが
あります。その方もあまり嬉しくないけれども、でも、フジモリさん、うまくやってく
れるから我々も気を強くしているというふうなことでございました。今はちょっと難し
いのではないかなと思います。 そういうところで、アルゼンチンからもよくサンパウロまで来られて被爆者の方、兄
弟のように、被爆者同士が兄弟のような付き合いを南米ではしているということをお伝
えしておきます。よろしくご配慮、願います。
森座長
はい。どうもありがとうございました。この資料4についてのさらなるご説明は、よ
ろしいですか。だいたい市としても1,500 万円ぐらいは出しておられる。
広島市長
前回の伊藤市長の発言と重なりますけれども、被爆者援護法を具体的に海外の被爆者
の今、存在する様々なニーズのために適用するということで、100
%、日本国内と同じ ことはできないにしろ、段階的に例えば実現をしていこうという段階になったときに、
例えば直接、給付というのはどういう形を取るのかといったような話になると思うので
すが、その際に援護法の適用のいくつかの例としてここで我々、地方自治体が中心にな
って、もちろん厚生省の皆さん、国と一緒になってやっている事業があるのですけれど
も、それを援護法の適用という形で国の事業として改めて施行していただくというよう
な形も可能ではないかというふうに思います。
もちろん自治体としても私たちは責任を担うつもりでおりますので、責任転嫁という
意味ではなくて、法律の適用の型としてそれがある意味では望ましい形ではないかとい
うことを申し上げているつもりでございます。
ただし、その他の適用の仕方、自治体の分担はこれですよ、国はこれをやりますよと
いう明確な仕分けができて、我々としてももちろん喜んでこれはやらせていただきまし
ょうという結論になればもちろん継続してやっていくことに対してやぶさか、異論はご
ざいません。
森座長
はい。ありがとうございました。これからもご都合がつくときはどうぞお出ましてい
ただいて、単なる傍聴人ということではなしに積極的にご意見をお出しください。 さ
て、これで3名の方々からお話をいただいて今、広島市から資料と説明をご提供いただ
いたわけですが、皆様方のご協力のお陰でなお若干の時間は残っております。何か、ど
んなことでもご自由に、委員の方々からご討議いただければありがたいと思います。さ
らに、本日の話題提供者にご質問くださっても結構であります。事の大小に関わらず、
どうぞご遠慮なく。いかがでしょうか。
土山委員
今後のこの検討会の持っていき方のことでちょっとお訊ねしたいのですけれども、前
回と今回とで関係者の方々からいろいろなご意見を聴取することができまして非常にプ
ラスになったと思うのですけれども、今、秋葉市長さんがおっしゃった北朝鮮の問題は
また別途に考えるとしても、一応、これでそういう関係者の方からのご意見は終わりと
いうことで、あとは委員同士の検討に入るという順序でございましょうか。そこをちょ
っとお訊ねしたいのですが。
森座長
これは実は事務局とも相談しておりませんで、全く、私、個人の考えですが、今まで
何名かの方々からいろいろ教えていただいて、私ども、随分勉強になりました。しかし
他方、委員相互の間のディスカッションにはそれほど時間を使ったわけでございません
ので、これからは若干の時間を割いて相互の間のディスカッションをしていただくこと
が必要かと思っております。また、もし、委員の方々からご示唆があればさらに何名か
の方を招いて、いろいろな立場からこの問題について講師のような形で話をしていただ
くのもいいのではないかと考えております。よく言えば柔軟に聞こえますが、実際は無
責任に、そんな状態であります。何かご示唆でもあれば。
土山委員
別に示唆という意味ではありませんけれども、今、ちょっとおっしゃったように確か
に1回目のときは非常にフリーに委員同士の意見を出すことができましたけれども、坂
口大臣にはなかなかご出席頂けず、特に今日は国会で、さきほどテレビでも拝見したら
お顔が見えていましたので無理なのはよくわかっておりますけれども、できればなるべ
く大臣がお出くださったところでいろいろな討議をしたらどうかということがひとつ
と、事柄は結論としては大変シンプルになるとしても、途中のいろいろなプロセスとい
うものは長年の問題がずっと積み重なってきたものを解決しようというわけですので、
かなりの密度の濃い討議をしないといけないと思うのですね。
そうしますとやはり委員同士で討議をしている中で、この点についてはもう少し専門
家の方のご意見を聞くべきだということが出た段階で、また、そういう方にお願いする
という形はどうかと私なりに考えておりますけれども。
森座長
おっしゃるとおりですね。今、おっしゃったことはよくわかります。ところで差し当
たって今、この時点で、さらにこんな方をお呼びした方がいいのではないかというアイ
ディアがございましたらどうぞ。何も今日ということではなしに、事務局の方に「こう
いう人の話も聞いてみたら」という意見をおっしゃっていただければ可能な限り、努力
してくれると思います。今、この場で、何かご議論でもございませんでしょうか。よろ
しゅうございますか。どうぞ。
岸委員
これはちょっと伊藤さんに伺いたいのですけれども。今、お三方から要するに現地で
審査をしていただきたいというような、被爆者手帳の交付の審査というのがご希望、皆
さん、お持ちですよね。その場合の実務的にどの程度の時間がかかり、現地で即断でき
るようなものなのでしょうか。
伊藤委員
私がお答えするよりもおそらく事務局がお答えになった方がよろしいかと思います
が、証人の問題からはじめましてかなり難しい問題があると思いますが、事務局、いか
がでしょうか。
青柳総務課長
私も担当課長をしていながら実際に自分で手帳を交付の事務をやったわけではないの
で厳密なお答えはちょっとできないかもしれませんけれども。
いずれにしろ、さきほども3人の方のお話の中でも少し触れられてあったように、記
録が比較的しっかり残っているような場合には確認のしやすいようなケースもあると思
うのですけれども、記録がないとなれば、例えば存じよりの証人の方を何人か探してき
て、その方々にいろいろな形の証言をしていただくというようなことが必要であるとい
うようなこともございますし、また、現在の広島の町名でありますとか、建物の状況と
か、地形の状況などが当時と全く変わっているということがあって、当時のことを知っ
ている方がある程度、サポートしないとうまく確認ができないというような問題もあっ
たりして、47都道府県、どこでも手帳の交付は受けられるわけですが、そういう非常に
難しいケースについてはその度毎に長崎市、あるいは広島市に確認を自治体の方もし
て、そういう手続きをしているというのが現状であります。
したがいまして、どのくらいの手間がかかるかというふうに岸先生からのお訊ねです
けれども、はっきり言って見当がつかないというのが正直なところでございます。それ
が、通信事情なり、いろいろな連絡状況が比較的つきやすいような場所と、さっきお話
のありましたアマゾンの奥地というような非常に極端な場所と、同列に論じられるよう
な話ではないだろうと思います。正確なお答えにならなくて誠に申し訳ないのですが、
そういう手間隙をかけて現実の手帳の審査というのは行われているということだけは、
ぜひ、ご理解を賜れればと思います。
伊藤委員
私も随分前でございますが、在米被爆者の方々が手帳を取得をされるお手伝いをした
ことがございました。だいたい3か月ぐらいかかります。いろいろな資料を取り寄せま
して日本サイドといたしまして、里帰りされるまでに間に合うように書類をあつめた
り、行って証人をお願いをしたり、証人の方がなかなか記憶がない場合もございまし
て、別れてもう何10年も経ちましたら、まず、覚えていないというふうなことで3か月
ぐらいは事前調査にかけておりました。
広島市長
ただいまのご質問は実務上のご質問で、実はこれは自治体が請け負って広島市と長崎
市が特に多いわけですけれども、実務を行っておりますので簡単に説明をさせていただ
きますと、必要な書類に記述をしていただくわけですけれども、その中でおそらく一番
重要なのが証人の方にこの人は確かにここに記述されてあるように、例えば広島市内の
何々町に何時何分にいたと、どういう作業をしていましたよということを証人の方に証
言してもらうというのが基本です。証人が原則として2人、いることになっておりま
す。
ただし、もう随分と年が経っておりますので2人の証人を見つけることがなかなか難
しい。ただ、被爆者の方で鮮明な記憶があって、いや、ここにはどうしてもあの人がい
たから絶対生きているはずだから探してくれというようなケースがございます。そうい
う場合には証人探しということで全国的に例えば新聞に広告を出して証人を求めるとい
うようなことをしています。
ただ、そういった証人の数が足りない、あるいは証人がいない場合でも当時の記憶を
今、伊藤先生の方からもお話がありましたけれども、その当時の記憶をもとに状況が的
確に当時とあっているか、あるいは現在の生活、これまでの生活歴等々含めてその当時
の状況の記述と現在とがうまく符合するかどうかということを専門の知識を持った職員
が丁寧にお聞きをした上で判断をするということもございます。
ただ、伊藤先生、ご指摘のように非常に時間がかかる作業ではあるのですけれども、
海外から広島にいらっしゃって被爆者手帳をほしいという方のためには事前にこういっ
た審査を行って広島に来られてから短時間のうちにその検証を行って手帳を発行すると
いう作業を行っております。
したがいまして、海外で、これも人数が非常に多いと齟齬を来すかもしれませんけれ
ども、事前に申請をしていただいて、事前にこういった検証に時間をかけて最終的な確
認には、例えばこの地域についてはこの分野に専門知識を持っている職員を派遣すれば
いいというような形で職員を派遣することによって最終的に現地で決定を行うというこ
とは可能だと思います。
森田氏
森田です。私ども、在ブラジル原爆被爆者協会の会員は全員、一応、被爆者と認めら
れている。厚生省なり、広島県、長崎県の職員がブラジルにまいったときに第1回から
一人ずつに会っていただいて、手帳の有る、無しに関わらず被爆の事実を証明し、う
ん、これは間違いないというふうなことを職員の方々に認識していただいて会員になっ
ております。そのうち日本に行けない人は手帳がありませんけれども、県から来られて
厚生省からお見えになった方々のちゃんと認知を受けて会員になっていただいている会
ということを申し伝えておきます。
森座長
どうもありがとうございました。よろしゅうございますか。ここでこんなことを申す
のはやや不見識かもしれませんが、いろいろな外国のお話を伺うと、日本の医療制度と
いうものは庶民にとって、非常にいい制度ですね。
下田健康局長
今、医療保険制度全体の見直しを図ろうといたしておりますが、しかし、その中でい
つも出てまいりますのは日本の医療保険制度は非常にフリーアクセスで、しかも質の高
い医療を満遍なく提供できている仕組みで、健康寿命、あるいは一般の寿命の延伸に非
常に役立っておると、そういう高い評価は得ておるところでございます。
森座長
はい。さて、まだ僅かな時間は残っておりますが、いかがでしょうか。今日のところ
はよろしゅうございますか。もし、何かご意見があればご遠慮なく。どうぞ。
森田氏
ついてに申し述べさせていただきます。ブラジルの医学の方ですが、実は大変程度の
高いようなところもございまして、そういうところからも実は私ども、被爆者に対して
の診察をしてやる、治療してやるという申し出もたまたまございます。よく調べてみま
したら我々、被爆者は先生方の一番いい試験材料なのです。ブラジルには被爆者はそう
たんといませんから、これを機会にブラジルの被爆者を、自分たちがよく診てやりた
い。
例えば私が歯が痛くて歯を1本、抜きました。大変それを向こうの先生方は被爆者の
歯はこんなになっている。特異な歯だというふうに認められたこともございます。とい
うようなことで絶好な試験材料なのです。
そういうことを知りましたら、私は被爆者としてそんな先生には診てほしくない。や
はり専門である日本からのよくわかった先生方に診てもらいたい。これはブラジル全部
の被爆者の願いで、ボランティアに日本の方に、遠くに行かないでもここに医者がおる
のだからここで診てあげますよということの申込みは多々ございますが、我々はありが
とうございます。お断りいたします。我々は日本からの専門医に診ていただきます。2
年に1回にはこうして来ていただいていますということにしております。そういうこと
も外国では被爆者というものはいいモデルだ、モルモットだということを皆、狙ってい
るということもご承知おき願いたいと思います。
森座長
はい。ありがとうございました。それぞれの国によってと申しますか、地域によって
いろいろな事情があるのですね。土山先生は何か、今のお言葉に対してコメントでもご
ざいますか。
土山委員
在外被爆者の数からいきますとやはり韓国の方が一番多いと伺っているので、崔さん
にもう1回、ちょっと重複するかもしれませんけれどもお訊ねしたいのは、今の協会の
会員になっていらっしゃる方は、これは被爆者であるということがはっきりしていると
思うのですが、それ以外の方で被爆者手帳を取りに行かれない方々というのがたくさん
いらっしゃるはずだと思うのですね。
それは非常に経済的に貧しくて行けないのか、あるいはそうではなくて被爆者という
ことを韓国内で知られたくないから行こうとなさらないのか、あるいは他の事情なの
か、ちょっとそこのところをわかれば教えていただきたいのですが。
崔 氏
その理由はいろいろありますが、だいたい主な理由は経済的な問題だと思います。そ
の次は私、会長をしているときに3年前ぐらいになりますが、ゼラードの方の田舎の方
に韓国の被爆者を救援する市民団体の方でずっと全国を被爆者を探して回ったのです
よ。そのときにケロイドを受けた人が出てきて、広島の支部長をしているトヨナガさん
と話し合いをしたり、その被爆体験を全部、聞いて、それでケロイドを見てびっくりし
たのです。どうして今まで協会の方に登録をするとか、手帳を取りに行かなかったかと
言ったら、そういうもの、田舎の方ではそういう立場でもないし、旅費もないし、それ
で行かれなかったのですが、今度、こちらの方に市民団体とか、協会の方で支部の方で
連絡が来て、それで近いところですから来ましたと言うのです。そこで調査をして広島
に帰って市民の会の方で申請して手帳を取ってあげた例もあります。
主な問題は田舎の方でいろいろ経済的な問題と健康上の問題、そういうものが主と思
います。
土山委員
ありがとうございました。
森座長
ありがとうございました。今日はこれで終わりにしてよろしゅうございますか。それ
では事務局から次回のことについて。
事務局
次回でございますけれども、11月8日木曜日、15時から開催いたします。場所につき
ましては追ってご連絡いたしたいと思います。事務局からは以上でございます。
森座長
はい。他に事務的な連絡はありませんね。
事務局
ございません。
森座長
それではちょうど時刻も時刻でございますからこれで終わりにいたしましょう。どう
もありがとうございました。
(閉会・17時00分)
照会先:健康局総務課
担 当:金山
電 話:内線2317