2002年3月1日
森 田 隆
(在ブラジル原爆被爆者協会会長)
このたび私は、広島県による被爆者健康管理手当て打切りに対して、国と広島県を被告に裁判を提起することになりました。
広島で被爆して56年、戦後国策の海外移住に応じ南米に渡った私は、原爆後遺症に悩みながら、今日まで生きながらえてきました。技術を生かし移住国に奉仕の精神で頑張り、二人の子どもが大学を終え結婚したのは移住後25年のことでした。
1984年7月15日に「在ブラジル原爆被爆者協会」を創立し、それより17年、毎年、日本に帰国し、海外移住原爆被爆者の援護を求めてきました。昨年は坂口厚生労働大臣が開催した「在外被爆者に関する検討会」に招かれ、参考人として在南米被爆者の実情と願いを訴えました。しかし、残念なことに検討会の結論は、私たちの願いと遠くかけ離れたものでした。
厚生労働省は、昨年12月、在外被爆者を日本に呼んで治療を受けさせる方針を発表しましたが、平均年齢70歳の被爆者が、南米から24時間以上の飛行機の長旅をして帰国するなど、とうてい不可能なことです。残り少ない余命に母国の暖かい援護をと願っていましたが、駄目でした。
軍人として爆心地で被爆し、背部に火傷を受けながら72時間地獄の体験をした私は、戦傷病者手帳及び被爆者健康手帳を持っていますが、国外居住のため、国からの援護はまったくありません。移住政策の犠牲者が棄民として扱われている現状に強い怒りを抱いています。
残念ながら、国と広島県を相手に裁判を起こすことになりました。この裁判に私は命を掛けてたたかいます。私は、この裁判で真実を申し述べ、在外被爆者の長い戦後に終止符をうちたいのです。
皆様のご支援を心よりお願い申し上げます。