1996年 |
四国(米、ブラジル、韓国、日本)被爆者が厚生省に援護の在外被爆者適用を要請 |
1997年 |
四国(米、ブラジル、韓国、日本)被爆者が厚生省に援護の在外被爆者適用を要請、「在外被爆者にも被爆者援護法を求める集い」開かれる |
1998年 |
四国(米、ブラジル、韓国、日本)被爆者が厚生省に援護の在外被爆者適用を要請、
「在外被爆者問題パネルデイスカッション」
ニュース(’98在外被爆者を囲む夕べ、東京シンポ)、
「在外被爆者を囲む夕べ」開かれる
ニュース(在外被爆者にも援護策を) |
1999年 10月 |
今年度も日本政府への交渉、「’99在外被爆者を囲む夕べ」 が開かれた。
各党国会議員との懇談会
ニュース (被団協など6団体が在外被爆者への支援要請)
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2000年 11月
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広島・長崎両市長への要望書を提出
(2000年11月13日) |
2001年 3月 |
ついに国会の場で!
在外被爆者問題について、
厚生労働大臣が検討を明言)
2001年3月16日
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2001年4月 |
国会内で「在外被爆者に援護法適用を実現させる議員懇談会結成総会」開かれる(2001年4月19日) |
2001年6月1日 |
郭貴勲裁判全面勝訴!
裁判所は厚生省通達の違法性を認め、在外被爆者にも健康管理手当を『我が国に居住も現在もしない「被爆者」に対しても支給されるべきもの』とした。 |
2001年6月15日 |
日本政府は郭貴勲裁判の高裁への控訴を発表 |
2001年7月9日 |
厚生労働大臣が「在外被爆者に関する検討会」の開催を通知
2001年8月1日 第1回が開かれる。 |