長崎からの報告
「歴史の闇を拓こう」
〜中国人被爆者問題について〜
【長崎における中国人強制連行真相調査報告】
戦時中の長崎における中国人強制連行は、全国一三五事業所のうち四事業所(日鉄・鹿町鉱業所、三菱・崎戸鉱業所、三菱高島鉱業所、同端島鉱)約千人にものぼる。このうち、鹿町炭坑については平和公園の浦上刑務支所の爆死者の問題があって一九九三年に訪中調査がおこなわれている。長崎における中国人強制連行問題のうち全く歴史の闇の中におかれたのが三菱三山(高島・端島・崎戸)であった。そのうち、昨年夏には、アンケート調査をもとに実態の分らなかった高島・端島の中国人強制連行生存者について、詳細で重要な証言を得ることができた。三菱三山のうち、生存者が見つかっていない崎戸炭坑については一月四日から九日まで訪中し、崎戸炭坑中国人強制連行生存者四名と原爆死没者遺族の存在を確認し極めて重要な証言を聞くことができた。
崎戸炭坑には四三六名の中国人強制連行がおこなわれているが、死亡者が六四人という多数に上っている。そのうちの二七名は浦上刑務支所で原爆死した。
原爆死亡者の遺族は「雑貨商をしていた父が日本に強制連行されて一家の生活は破壊された。名簿の六三番の人で、死亡したことは帰国者から聞いた。原爆で死んだとは信じられない」と証言した。
また、敗戦後、高島から一○名の人が崎戸を訪れ、また、崎戸からも高島を訪れていることから、入市被爆者の可能性も否定できない。今後、中国人被爆者の問題についても、取り組みを進めて行きたい。
(韓国の原爆被害者を救援する市民の会会報110号より)
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