1998年11月24日 朝日新聞ニュースより
日本在住なら健康管理手当
広島、長崎で被爆し、戦後、海外に住んでいる人たちにも日本国内と同じように援護策が取られるよう求める取り組みが地道に続けられている。来日した海外三カ国の被爆者協会の代表が、今月中旬、日本の被爆者団体とともに被爆者援護法に基づく健康管理手当が支給されるよう厚生省などに働きかけたほか、司法の場での判断を問う動きも始まっている。このほど広島で開かれた支援集会でも、在外被爆者らが現状の問題点を訴えた。在外被爆者への対応は、援護法が積み残しにした課題といえる。 (斎賀孝治)
「朝、韓国にいるときは被爆者でなくて、昼に日本に着くと被爆者になる。そして夕方帰国するとまた被爆者ではなくなる。ファッションモデルは次々に服を替えるのでしょうが…」
十七日夜に広島市中区で開かれた「在外被爆者を囲むタベ」で元韓国原爆被害者協会会長の郭貴勲(かくきふん)さん(七四)がユーモアを交えて在外被爆者の置かれている状態を語った。
被爆者援護法によれば日本にいる被爆者は、国籍に関係なく、公費で医療を受けることができ、診断書があれば月額約三万四千円の健康管理手当が支給されることになっている。しかし、こうした援護策について厚生省は「被爆者が外国にいる場合には適用されない」との姿勢をとっている。
郭さんのような外国人被爆者に限らず、日本国籍を持っていて海外に住んでいる場合も、同じように健康管理手当は支払われない。在外被爆者は、日本を訪れた時に、はじめて援護の手が差し伸べられ、日本を離れると被爆者健康手帳が失効する。
集会に参加した在ブラジル原爆被爆者協会の森田隆理事長(七四)は「ブラジルで入院すれば一財産がつぶれてしまう。せめて日本国内の人と同じようにしてほしい」と窮状を訴えた。
在外被爆者にとって、「壁」になっているのは一九七四年七月の厚生省公表衛生局長通達だ。「日本国の領域を越えて居住地を移した被爆者は(原爆特別措置)法の適用がないものとして失権の取り扱いをするものと解される」との内容。九四年暮れに被爆者援護法が成立した後も、同省は同じ解釈を続けている。援護法も、それまでの旧原爆二法も「国内居住」を被爆者の要件としていないにもかかわらず、通達によって「属地主義」として国境の枠がはめられた。
こうした状況を打破するために郭さんは今年十月一日、国や大阪府を相手取り、健康管理手当の打ち切り処分の取り消しや二百万円の損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こした。
各国の実態は不明
(メモ)韓国の原爆被害者を救援する市民の会などによると、在外被爆者は、韓国約二千五百人、米国約千人、南米百九十一人、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)約七百四十人、中国三十一人などとなっている。しかし、アメリカ原爆被爆者協会の友沢光男会長は「米国政府は原爆と病気の関係を認めないが、生命保険会社には保険を取り消されてしまう。被爆しているのに協会に登録しない人もいる」と話し、各国での実態は十分に分かっていない。 |
日本原爆被害者団体協議会(日本被団協)も被爆五十年以降、在外被爆者の支援に力を注いでいる。今月十三日には米国、ブラジル、韓国の被害者協会代表とともに野中広務官房長官、宮下創平厚相を訪ね、在外被爆者の援護策の充実を求める要請書を手渡した。日本被団協は「属地主義がすぐに変わるとは思えないが、官房長官、厚相が私たちに会ったことは今後の展望があると考える」と評価している。
韓国の原爆被害者を救援する市民の会の豊水恵三郎さんは、日本に連れてこられたアジアの被爆者と、日本国籍の在外被爆者とは、「戦争責任」などを考える上では違いがあると指摘する。しかし、「援護策の充実という共通課題で、日本の被爆者も含めて連帯していこうという雰囲気になっている。在外被爆者間題は、被爆者援護法に国家補償を求めていく運動の突破口になる」と話している。
在外被爆者の連帯へ戻る
会報・ニュースへ戻る
韓国の原爆被爆者を救援する市民の会へ戻る