(毎日新聞 2001年8月7日より)
広島原爆忌:
平和記念式典に約5万人が参列
広島が「ヒロシマ」となったあの日から56年、21世紀初の「原爆の日」を迎えた広島市中区の平和記念公園で6日、平和記念式典(原爆死没者慰霊式・平和祈念式)があり、遺族や被爆者、海外からの参加者ら約5万人が参列した。原爆のキノコ雲の下で亡くなっていった人々、いまだに後遺症に苦しむ被爆者たちの悲願は、昨年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議で「核廃絶への明確な約束」が結ばれるなど、世界に届きつつある。しかし、米国がミサイル防衛実験を強く打ち出すなど、依然として核抑止力の呪縛(じゅばく)から解き放たれてはいない。疑心と憎しみの連鎖を断ち切るのは私たち自身であることを、ヒロシマは示し続ける。
式典は午前8時に始まり、秋葉忠利・広島市長と遺族代表2人が、この1年間に亡くなったか、死亡が確認された原爆犠牲者4757人の名簿2冊を原爆慰霊碑下の奉安箱に収めた。1945年8月6日以降に亡くなった人を記載した名簿は77冊、死没者数は計22万1893人になった。
続いて小泉純一郎首相、大島賢三・国連事務次長らが慰霊碑に献花。約90人の市民代表らが続き、在日本大韓民国民団(民団)と在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の人たちが初めて、一緒に献花した。
午前8時15分。原爆投下時刻に合わせ、遺族代表の古井寿子さん(40)=同市安佐北区=と、こども代表の同市立三入小6年、灰野貴雄君(11)=同=が「平和の鐘」を打った。式典参列者は、犠牲者の冥福を祈り、平和を誓って1分間黙とう。市内各所でサイレンや寺などの鐘が鳴り、市民たちはあの日に思いをはせた。
秋葉市長は平和宣言の冒頭で「『戦争の世紀』の生き証人であるヒロシマは、21世紀を核兵器のない『平和と人道の世紀』にするため全力を尽くす」と表明。被爆後に海外へ移った在外被爆者に対する支援を訴え、広島、長崎両市が正副会長を務める世界平和市長会議が世界中に非核自治体を広げる構想を述べた。
また、こども代表、広島市立矢野西小6年、畠山康成君(11)=広島市安芸区=と同市立段原小6年、藤森優香さん(11)=同市南区=が「平和への誓い」を読み上げ、21世紀を「平和の世紀」にすることを力強く誓った。
[毎日新聞8月6日] ( 2001-08-06-12:11 )
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