郭貴勲さん(76)は「ヒロシマ・ナガサキの被爆者、被爆の意味を受け止めた人たちの支援があった」と、判決後に中国新聞社に手記を寄せた。
勝訴は、私だけの喜びではなく約二千四百人の在韓被爆者、米国やブラジルに渡った日系人など海外にいる多くの被爆者にとって道を開きます。日本の被爆者と同
じ権利を認められたからです。
日本に来ると被爆者として扱われ、健康管理手当てを支給される。一歩外に出ると、日本政府は被爆者ではないという。同じ被爆者であるのに、なぜ差別するのか。私は日本という国のあり方、被爆者としての権利を問うて裁判をしました。
日本政府は審理でも、一九七四年に出た厚生省局長通達の「国外にいる被爆者に法は適用されない」を盾にとりました。裁判所は「被爆者を救済する援護法の根本的な趣旨に反する」ときちっと言い渡した。明快な判決を痛快に思います。
私は、祖国が日本の植民地だった時代に生まれ、天皇の赤子として、名前は日本名、寝言も日本語でするほどの教育を受けました。師範学校にいた四四年九月、徴兵で広島の西部第二部隊に送られ、爆心地から二`、広島城北側にあった兵舎近くで原爆に遭った。地獄を見ました。
九死に一生を得て祖国に戻り、教育者の道を歩みながら、韓国原爆被害者協会を六七年に創設しました。日本の人には被爆者健康手帳ができたのに、われわれには何の援護もなかった。日本政府から「日韓基本条約で清算済み」とはね付けられながらも訴え、手帳は日本に来るともらえるようになりました。
ところが、その手帳は日本国の外に出ると無効になるのです。日本政府は法律にないことを通達でしているのです。
勝訴は、世界中の被爆者や、日本政府の欺まんに気づいた人たちの支援のたまものです。民族は違っても信頼し、協力し合える。共に生きる時代だからこそ、日本政府には判決を率直に受け入れてほしいと思います。
郭貴勲
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