朝鮮民主主義人民共和国[ピョンヤン原爆写真展]について |
開催期間 1999年8月13日(金)〜18日(水)の6日間
開催場所 ピョンヤン市「国際文化会館」
主催 反核平和のための朝鮮被爆者協会(朱成雲会長)
協力 原水禁国民会議、広島県原水禁、長崎県原水禁、広島県被団協、
在日朝鮮人被爆者協議会、(広島市、長崎市)
開催目的
@緊急な人道主義的懸案問題である朝鮮民主主義人民共和国在住被爆者の補償と、被爆の実相を明らかにするとともに、21世紀には被爆の惨禍を再び繰り返さないようにしなければならない。
A朝鮮人被爆者問題の早期解決を通じて、日朝両国人民間の理解と友好を深め、日朝国交正常化に向けて寄与する。
G北東アジア地域の非核化と平和安定を実現させ、アジアと世界平和に貢献する。
展示資料(日本側が提供する展示資料は下記の通り)
@ ヒロシマ・ナガサキ原爆写真ポスター(30点)
A「戦争と原爆展実行委員会」の所有する写真・資料から主催者側が選んだ写真・資料(28点)
B長崎市が所有する写真(10点)
C広島、長崎両市長のメッセージ
「ピョンヤン原爆写真展]協力団体代表団の派遣
派遣日時 1999年8月12日(木)〜19日(木)
出発:8/12 新潟港16:40(XF808)
帰着:8/19 新潟着15:15(XF807)
派遣目的
@「ピョンヤン原爆写真展」を成功させるため協力する。
A被爆者をはじめ関係団体との交流を深め、「ピョンヤン原爆写真展」の目的を達成する。
B被爆者との交流を通じて、在朝被爆者の実態を把握するよう努力する。
派遣団員
団 長 宮崎安男(原水禁国民会議副議長)
副団長 石田 明(広島県原水禁代表委員)
〃 築城 昭平(長崎県原水禁副会長)
〃 坪井 直 (広島県被団協事務局長)
事務局長 坂本 健(広島県原水禁事務局長)
〃次長 杉本 雅親(長崎県原水禁理事)
団 員 近藤幸四郎(広島県被団協事務局次長)
〃 崎山 昇(長崎県被爆二世の会事務局長)
〃 濱邊 行正(「戦争と原爆展」実行委員会)
〃 門 更月(「戦争と原爆展」実行委員会)
〃 李 実根(広島県朝鮮人被爆者協議会会長)
招待者 反核平和のための朝鮮被爆者協会(朱成雲会長)
ピョンヤン原爆写真展協力訪朝団記録
1999.9.7
〈8月12日〉
■ピョンヤン到着。新潟発、ウラジオストック経由。対外文化連絡協会白局長、朝鮮反核平和委員会金星(キム・スン)書記長、
反核平和のための朝鮮被爆者協会金明哲(キム・ミョンチョル)執行書記出迎え。
〈8月13日〉
■被爆者との交流会。場所:国際文化会館隣。1時間程度。
@申 蓮玉(シン・リョンオク) 1925年、大阪生まれ。両親広島で被爆。被爆後大阪へ戻る。大阪の布施市(当時)で被爆者に認定された。 A孫 秀玉〈ソン・スオク) 1948生まれ。母が広島で被爆した被爆二世。 二世が参加したのは今回初めて。4年前の1995年母死す。 B朴 順竜(パク・スンリョン) 1915年11月20日生まれ。長崎の大橋兵器工場で働いていた。現在の緑中付近で被爆。 C朴文淑(パク・ムンスク)朝鮮被爆者協会副会長、人民学習堂室長 1943年9月2日生まれ。2歳の時、長崎の三っ山で被爆(自宅は御船蔵)。 被爆証明書を所持。お兄さんが今年1月ガンで死亡。今年6月に胃ガンで母死亡。 D卞 今栄{ピョン・クムヨン) 1933年10月25日生まれ。広島で13歳のときに被爆。 E李 福順(リー・ポッスン) 1933年10月4日生まれ。13歳の時広島で被爆。1972年に共和国へ帰国。 F金 佑子(キム・ウジヤ) 1942年10月27日生まれ。広島で被爆。 |
■原爆写真展オーブンセレモニー
場所:国際文化会館。11時〜12時15分。
(1)原爆写真展開会宣言 朝鮮反核平和委員会金書記長
目的、経過、広島・長崎両市長からメッセージが届いていることを紹介。
(2)あいさつ
@反核平和のための朝鮮被爆者協会朱成雲〈チュ・ソンウン)会長
Aピョンヤン原爆写真展協力訪朝団宮崎安男団長
Bピースポート吉岡達也代表
C朝鮮人被爆者協会李実根(リ・シルグン)会長
反核平和のための朝鮮医師会(IPPNW) 崔唱殖(チェ・チャンシク)
(3)写真展見学
*参加者 海外ゲスト20〜30人。外交官、記者45名。ピョンヤン市民及び被爆者が200人。合計300人。
■汎民族大会関連行事へ参加。
〈8月14日〜8月18日〉
−−−(歓迎諸行事、交流会、見学、被爆者家庭訪問等)省略
〈8月19日〉
■帰国。ウラジオストク経由、新潟到着。
ピョンヤン原爆写真展協力団体訪朝団報告メモ
1999.8.20
1、原爆写真展について
8月13日から18日まで朝鮮民主主義人民共和国で反核平和のための朝鮮被爆者協会の主催で原爆写真展が開催された。この原爆写真展は、朝鮮労働党、共和国政府の格別の計らいと努力によって成功をおさめた。
共和国において継続して開催を計画していることに対し、今後とも協力したい。
また、多くの被爆者が希望しているように日本国内においても原爆展開催を取り組み、二度とこのような惨禍が繰り返されることがないよう努力したい。
原爆展の入場者は次の通り。なお、今後の原爆写真展開催に際しては、@原爆遺品の展示、A説明のための被爆者の常駐、B写真のカラー化などについても検討することとした。
8月13日 450名
14日 350名
15日 570名
16日 300名
17日 250名
18日 200名
合計 2120名
(一日平均350名)
2、共和国における被爆者支援について 被爆者協会は.被爆者の実態調査を進め、被爆被爆証明書を発行している。現在判明した被爆者は、1020名で、そのうち551名に被爆証明書が発行されている。被爆証明書の受給により、治療にあたって特別の配慮を受けている(医療費は無料)。 被爆者との交流を通して、共和国の被爆者が高齢化し(平均年齢72歳)、救済が急務であることを痛感した。たとえば、被爆者協会副会長の朴文淑さん(56歳)の場合 昨年から今年にかけて、相次いで叔母、兄、母を失った。コバルト治療、抗ガン剤投与などあらゆる手を施したが、その甲斐なく亡くなった。朴さんは、本来日本で被爆したのだから、日本が責任を持つべきであると強く訴えられた。このように、日本政府が共和国在住の被爆者に対して責任を果たすことが強く求められている。私たちとしても、共和国の被爆者の訴えを受け止め、早急に政府に対して共和国の被爆者に対する施策を求める要請を行いたい。 |
3、二世問題について
被爆者協会は、被爆者とあわせ被爆二世についても調査を進めている。現在およそ2300名の被爆二世を把握している。今後さらに増える見通しである。今回の被爆者との交流で、初めて共和国の被爆二世(51歳)が進んで参加し、二世が抱える問題についても明らかになった。これを契機に、共和国の被爆二世との交流を深め、被爆者対策とともに被爆二世が抱える問題の解決も合わせて取り組むこととする。
4、日本の軍事大国化に対する危機感について
あらゆる会合において、共和国の方々が、これまで以上に軍事大国化している現状に強い危機感を持っていると発言した。私たちは、この指摘を真摯に受け止め、今後日本が再び戦争への道へ向かわないよう、@東北アジアの非核化、A朝鮮の統一、B日朝友好の促進など日本での運動を強めます。
5、今回の原爆写真展開催の成果を踏まえ、今後共和国の被爆者、二世との連携を強め、共和国の被爆者や二世の問題の解決、そして戦争のない核のない世界の実現のために努力していきたい。
(「’99在外被爆者を囲む会」報告より)