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1999年7月24日(長崎新聞)
「出国で地位喪失」
李康寧訴訟・第1回口頭弁論
長崎地裁 国と長崎市は争う構え
韓国に帰国したことを理由に、被爆者援護法に基づく健康管理手当が打ち切られたのは違法として、長崎で被爆した韓国人の元徴用工、李康寧さん(七一)=韓国釜山市=が国や長崎市を相手取り、打ち切り処分の取り消しと計約四百万円の損害賠債や未払い分の同手当支給などを求めている訴訟の第一回口頭弁論が十三日、長崎地裁(川久保政徳裁判長)であった。国と同市側は答弁書で全面的に争う姿勢を示した。
今年五月末に提訴。訴状によると、李さんは戦時中長崎市内で徴用工として働き被爆。一九九四年七月、治療で同市に滞在した際、被爆者手帳を交付され、三年間の健康管理手当(月額三万一千八百六十円)の支給が決まった。八月から三カ月間同手当は支給されたが、同年十月に帰国したため支給が打ち切られた。
これを不服として九七年六月、県に審査請求したが却下され、厚生省への再審査請求も今年三月末、却下されていた。
「日本は責任を」李さん訴え
在韓被爆者、李康寧さん(七一)が、被爆者援護法に基づく健康管理手当の打ち切りの取り消しなどを求めた訴訟は十三日、長崎地裁で始まった。裁判終了後の集会で、李さんは支援者の激励を受け「少し日本語を忘れかけているが、わたしの主張を理解してもらえるよう訴え続ける覚悟です」と目に涙をためて誓った。
李さんは一九二七年、北九州市戸畑区で生まれ、三九年、改姓させられた。その後、長崎市内の兵器工場に徴用。四五年八月九日、爆心地から二.五キロの長崎市筑後町の宿舎で被爆。原爆がどのような兵器かも分からないまま、同年十二月、韓国に帰国した。李さんは「日本で最後に暮らした土地が長崎。懐かしさと恋しさがある」と話す一方、「徴用を受け一生懸命働いた揚げ句に被爆。日本が責任を取って当然ではないか」と訴える。
裁判後の集会に集まった支援者の一人、原水爆禁止日本国民会議の若松繋俊議長は「日本は戦時中、(朝鮮人に)日本人の名前を強要して働かせた。戦争が終わったら外国人だからと生活支援を打ち切る行為は許せない」と強調。県被爆二世教職員の会の平野伸人会長が「被爆者なら国籍が違っても、どこにいようとも同等の権利がある」と訴えると、支援者からは拍手がわいた。
原告側弁護人の龍田紘一朗弁護士は「日本の国を出れば、自動的に(被爆者として援護を受ける)権利がなくなるのか、という点が最大の争点だ」と指摘した。
口頭弁論で意見陳述した李さんは「健康管理手当が支給された時は、原爆被害者への日本政府の措置として感謝したが、帰国で何の通告もなく手当は打ち切られた。被爆者援護法に国籍や民族に関する条項はない。戦時中、日本人として働いたわれわれに対する責任を終戦で放棄するのはおかしい」と訴えた。
国と同市側は「平成六年十一月以降の健康管理手当を支給しなかったのは、原告の出国で受給権者の地位が喪失したためであり、長崎市長の行政処分で受給権が喪失したわけではない」とする答弁書を提出した。
厚生省は「旧被爆者特措法の法律解釈上、国内に居住しない人に健康管理手当を支給することはできない」としている。国、同市側は訴えに反論する準備書面を次回弁論(十月五日)までに提出する。
在外被爆者への同法適用をめぐる訴訟は、昨年十月に広島で被爆した在韓被爆者が大阪府と国を相手に大阪地裁に起こし係争中の訴訟に次いで、全国二例目。
韓国国内での適用 日本政府と協議を
韓国大統領に要請書
韓国に帰国後も被爆者援護法が適用されることを求めて提訴した韓国人被爆者、李康寧さん(七一)の裁判を支援している「韓国の原爆被害者を救援する市民の会(事務局大阪府豊中市、会員約七百人)は十三日までに、韓国の金大中大統領あてに、同法の韓国国内での適用について日本政府と協議することを求める要請書を送った。
(後略)
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