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第2回「在外被爆者に関する検討会」記録
9月4日(木) 厚生労働省省議室
(厚生労働省ホームページより)
01/09/04
第2回在外被爆者に関する検討会議事録
第2回在外被爆者に関する検討会(平成13年9月4日)
厚生労働省健康局総務課
出席者:
伊藤 千賀子 委員
兼子 仁 委員
岸 洋人 委員
小寺 彰 委員
土山 秀夫 委員
堀 勝洋 委員
○森 亘 委員
○:座長
参考人:
広 島 市 長 秋葉 忠利 氏
長 崎 市 長 伊藤 一長 氏
法政大学名誉教授 袖井 林二郎 氏
議事次第
1、開会挨拶
2、議題
(1)在外被爆者の関係者及び有識者からの意見聴取
(2)その他 第2回在外被爆者に関する検討会議事録
(開会・17時30分)
事務局
傍聴の皆様にお知らせいたします。傍聴にあたっては入室の際にお渡しした注意事項
をよくお守りくださりますよう、お願いいたします。
それでは定刻になりましたので第2回在外被爆者に関する検討会を開催させていただ
きます。会議の開催にあたりまして下田健康局長より開会の挨拶をさせていただきま
す。
下田局長
8月31日付をもちまして健康局長を拝命いたしました下田でございます。今後ともよ
ろしくお願いを申し上げます。
委員の先生方におかれましては、被爆者援護行政に関しまして日頃から大変ご尽力を
いただいておりまして、この場を借りまして、まず、お礼を申し上げたいというふうに
思っております。
本検討会は在外被爆者の方々に対しまして今後どのような方策を講じることが可能か
議論をしていただくということで皆様方にご参集をいただいたわけでございます。第1
回の検討会におきましては原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律の性格や在外被爆
者の現状につきましてご議論をいただいたものと聞いているところでございます。
本日は大変お忙しい中を有識者の先生方にお出でをいただきましてご意見を伺うこと
といたしております。各委員におかれましてはこれを参考にしていただき、それぞれの
専門的なお立場から忌憚のないご意見をいただきますようお願いを申し上げます。
なお、坂口大臣は8月30日から本日までの予定で在外被爆者問題などにつきまして意
見交換を行うために韓国等に出張いたしております。詳細は、大臣に同行いたしました
青柳総務課長の方から後ほど種々、ご報告をいたしますけれども、大臣は韓国におきま
して保健福祉部長官及び大韓赤十字社総裁と会談を行われまして、韓国側から日本にお
きます検討を歓迎するといったようなご意見が寄せられたと伺っております。
先生方には引き続き、ご指導、ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げまして挨拶と
させていただきます。どうぞよろしくお願い申し上げます。
事務局
本日は委員全員の出席をいただいております。前回、ご欠席でありました兼子委員を
ご紹介させていただきます。東京都立大学名誉教授の兼子仁先生です。
兼子委員
兼子でございます。前回、不都合で欠席をいたしまして申し訳ございませんでした。
私の専門は行政法学でございまして、この立場からだけ考えますと在外被爆者の外地
における救済を現行法の解釈としてもできないわけではないように思われますが、これ
は見解の分かれるところでありましょう。もし、改正立法をなさるということでした
ら、それを裏付ける法理論は行政的には比較的容易ではないかというふうに存じており
ますが、問題は大きいわけでございますので、皆様方とご一緒に考えさせていただきた
いと存じております。
事務局
議事の進行に先立ちまして本日の会議資料の確認をさせていただきたいと思います。
お手元の資料の中の資料一覧に沿って確認させていただきたいと思います。
資料1でございますけれども、秋葉広島市長さんからのレポート、在外被爆者支援に
ついて、資料2が伊藤長崎市長さんからのレポートで在外被爆者に関する検討会発言の
要約、資料3が袖井林二郎名誉教授さんのレポートでございまして、在外被爆者支援の
必要について、資料4が被爆者援護法の基本的性格について、資料5、社会保障におけ
る居住地要件の意味、資料6、各種手当の生活保護・収入認定の取扱い、以上、6点、
資料を用意させていただいております。もし、不足等がございましたら事務局までお申
しつけください。
それでは検討会の進行を森座長にお願い申し上げたいと存じます。森座長、よろしく
お願いいたします。
森座長
はい。それではさっそく議事に入りたいと存じますが、よろしゅうございますか。何
か前もって伺うことでもあれば。それでは議事に入りましょう。
本日は第2回でありますが。前回、第1回会合の折、第2回以降の集まりでは有識者
の方々など、在外被爆者といろいろ関連をお持ちの向きからご意見を伺う機会を作ると
いうことで委員の方々からご了承を得たと理解しております。
事務局でいろいろと調整してくれまして、本日はこれから3名の、それぞれに優れた
方々からご意見を伺うことになりました。お三方を事務局からご紹介いただけますか。
事務局
ご紹介いたします。広島市長の秋葉忠利様。
広島市長
秋葉でございます。
事務局
長崎市長の伊藤一長様。
長崎市長
伊藤でございます。
事務局
法政大学名誉教授の袖井林二郎様。
袖井名誉教授
袖井でございます。
事務局
以上、お三方にお出でいただいております。秋葉広島市長、伊藤長崎市長におかれま
しては日頃から広く被爆者の方々と関わりをお持ちであり、世界の恒久平和、核廃絶に
向けた活動を我が国の先頭に立って推進しておられます。
袖井先生につきしては秋葉広島市長からご推薦いただきました。先生のご専門はアメ
リカ政治史と伺っておりますが、特に米国に居住する被爆者についてお詳しいと伺って
おります。
森座長
はい。ご紹介をありがとうございました。お三方、それぞれに大変お忙しい中、本日
はこうしてお出向きいただきありがとうございました。心からお礼申し上げます。
それではこれからご意見を頂戴したいと存じます。全体の時間の、いわば総枠があり
ますので、大変恐縮でございますが、お一方、15分程度のご説明をいただき、そのあ
と、委員よりいろいろとご質問申し上げたいと存じますのでよろしくお願いいたしま
す。
どのような順序が良いかと迷いますが、まず、広島市長の秋葉様からご説明いただけ
ますでしょうか。
広島市長
それでは改めまして広島市長の秋葉でございます。在外被爆者に関する検討会の開催
並びに私にこのような発言の機会を与えていただきましたことに、まず、お礼を申し上
げたいと思います。今日のトップバッターということでイチローのようにうまくヒット
が打てれば嬉しいのですけれども。座ったままでよろしゅうございますか。
森座長
どうぞ。
広島市長
まず、はじめに1、2点、申し上げたいのですが、実は被爆者援護法制定当時、私は
国会議員でございました。広島選出の議員ということでこの援護法にも深い関わりを持
ったわけですが、様々、申し上げたいことはございますけれども、その中で在外被爆者
についての議論もいたしました。すべてが国会の議事録に残っているわけではありませ
んけれども、その背後で様々な議論が行われたという経緯がございますし、このことは
当時の厚生省の皆さんもよくご存じだと思います。その結果として在外被爆者に対する
措置がより明確な形で盛り込まれなかったということ、大変残念に思っております。
しかし、その当時、私たちの、これは与党政府側のプロジェクトがございましたが、
その中で森座長が繰り返し述べられたこと、公開の席でも述べられておりますので厚生
省の方はご記憶があると思いますが、こういった足りない点については法律の改正で対
応したいのだと。そのためにも、まず、法律を通してほしい。必ずしも満足のいくもの
ではないかもしれないけれども、法律を通した上でその次の段階としてより良い内容の
ものを盛り込んでいくのだということを繰り返しておっしゃっておられました。
厚生大臣、与党の座長という立場からおっしゃったわけですので、今回のある意味で
の検討会、見直しというのは、したがいまして私にとりましてはその当時の約束が果た
されたと。直接的な経緯がどうなっているかというところは定かではありませんけれど
も、そういう意味で被爆者に対する措置の改善が行われる場だということで歓迎をいた
しております。
もう1点ですが、今回の検討会の議論において中心的となる点、特に強調したい点で
すけれども、この法律が被爆者の援護を目的としている法律であるということを特に強
調したいと思います。あくまでも被爆者の置かれている現状、被爆者をめぐる環境、そ
の実態から出発すべきであるというふうに私は考えております。法的な議論、あるいは
技術的な問題、様々あると思いますけれども、それはあくまでも被爆者の援護を行うの
だという大目的のために援用されるべきであると思いますし、この委員の皆様方の自家
薬籠中の様々な知見というものをそういった面で縦横に駆使していただければ幸いでご
ざいます。
まず、このレジュメにしたがって何点か申し上げたいのですけれども、1、2、3と
大きな3つに分けております。それぞれ少し敷衍をして、構成も少々変わっております
けれども申し上げたいと思います。
まず、在外被爆者の現状と現在の世界情勢、社会情勢と言ったらいいのでしょうか、
その環境を申し上げたいと思います。
第1番目に申し上げたいのは、在外被爆者は国内の被爆者以上に身体的、精神的、社
会的、政治的、いろいろなことを付け加えてもいいと思いますけれども、苦しみ続けて
いるという事実を申し上げたいと思います。その理由は被爆者の定義そのものに由来す
るところで、原爆の被害にあった、特に放射線被曝を受けているということが非常に大
きな点だと思いますが、今、なお、医療を必要としている方々が多く、健康と思われる
方々の中でも突然、発症するといったケースがございます。健康上、特別の状態に置か
れているという認識を我々は持っております。それが苦しみ続けている第1の理由で、
これは国内であっても国外であっても全く同等な条件だと思います。
第2に海外に居住している被爆者の置かれている状況は国内に居住している被爆者以
上に厳しいという現実がございます。これはいろいろな理由がありますし、袖井先生の
方からもお話しいただけると思いますし、あるいはこの次の会でおそらく海外からの被
爆者の皆さんのお話があると思いますけれども、韓国の被爆者の皆さん、北朝鮮の被爆
者の皆さん、あるいはアメリカ、南米、その他の国々の被爆者の皆さんの口から直接、
こういったことは伺える話ですけれども、国、あるいは社会として原爆の後遺症に対す
る理解が不十分であるということは、これは一般論として申し上げて誤りではないと思
います。不十分どころかそういった理解は全く存在しないケースもございます。
これはどちらが鶏でどちらが卵かという議論にもなりますけれども、そのことと関連
して心の傷の治療を含めて原爆医療の専門家が少ない、あるいは放射線医療の専門家が
少ない、あるいはいない地域もございますし、仮にいたとしても広島、長崎のような蓄
積があるわけではありません。 海外ですので、これは言葉のハンディがある場合も非常に多いということですし、保
険料が高い、あるいは保険に入れない地域、これは国民皆保険ということはありません
し、アメリカの場合ですと保険の除外規定として核戦争による被害はこの保険では適用
されないという明示的な規定があって、仮に医療保険に入ったとしても被爆者には適用
されないといったような事情もございます。さらには経済的には恵まれていない海外の
被爆者が非常に多い。これは皆、現実でございます。さきほど申し上げましたように国
交のない地域もございます。
こういったことで海外に居住している被爆者の置かれている状況は日本国内と比べて
はるかに劣っていると言っても過言ではないと思います。少なくとも日本国内より良い
状態にあるということは言えないであろうと考えております。
以上、被爆者の置かれている状況ですけれども、第2番目に私が申し上げたいのは、
グローバル化が進展する中で、これは主に私たち、立法の立場に携わった視点から申し
上げることができると思いますし、現在でも地方自治の中で私たちが直面している問題
と軌を一にしております。それは海外に住む日本人の権利というふうに、ここではそれ
が関連がありますので書いておりますけれども、様々なものの考え方、これは属地主
義、地理的な基準から個人重視の方へ変化しているのではないかというふうに考えてお
ります。
例えば典型的な例が、ひとつには洋上投票、在外邦人の国政選挙における投票という
ことを挙げたいと思います。これも私は個人的に、公選特、公職選挙法等改正特別委員
会というのがありますけれども、そこでこの法律の制定に関わりました。言わば投票行
動、選挙に参加するというのは属地主義の最たるものだと思いますが、その法律が改め
られて現在では在外邦人の投票権が認められているという時代になってきております。
こうした傾向のうちで大切だと私が思いますのは、ひとつの法律を適用する、あるい
は法律を作るにあたって0%、全く適用しない、あるいは100
%、理想的な状態で適用 する、その2つの選択肢しかないという状況ではないということでございます。0から
100 までの間の様々な選択肢があって、多くの皆さんのために、多くの人の権利を守る
ために、あるいは社会の状況を良くするためにより良い選択を求めて、例えば1から99
までの間の様々な選択を行うということが可能な時代になっておりますし、それが賢明
な選択である場合が非常に多くなってきているということだと思います。
例えば在外邦人の選挙の場合でもこれは国政選挙に限られておりますし、その中でも
衆議院に関して言えば比例代表の投票は行いますけれども、小選挙区の投票は行いませ
ん。 ですから、これもどちらか全く投票させないのか、あるいは投票させるのだった
ら全部の選挙に投票させろといった0%か100
%かという議論ではなくて、少しでも投 票するという権利を行使する上で役に立つ方向で法律を作っていくという、これは立法
府の意思だったというふうに考えております。こういうふうに実態に従って、ニーズに
従って法律も変わっている。その面で立法府が非常に大きな役割を果たし始めたという
のが現在のひとつの時代の特徴ではないかと思います。
2番目の在外被爆者の支援の必要性という点に移らせていただきますけれども、ま
ず、人道的な立場から、被爆者援護法における必要性というところから、この2つの面
から申し上げたいと思いますが、人道的立場からというのはこれは長崎市さんと同じで
すけれども、被爆後の広島市の使命として人道上の立場から核兵器廃絶と世界恒久平和
の実現という人類全体の課題に対しての様々な取り組みを行ってまいりましたが、その
一環として我々はやはり広島、長崎の被爆者たちの考え方の基本にある、このような思
いを他の誰にもさせたくない、自分たちが被った被害に対して同じ被爆者であるすべて
の人が救済されるべきであると、こういう人道的な立場から在外被爆者の援護対策をこ
れまで行ってまいりました。 長崎と広島と協力して行っている事業がほとんどですけれども、例えば北米、あるい
は南米等の医師や韓国原爆養護ホーム職員の受入れ研修、あるいはここに伊藤先生もい
らっしゃいますけれども、これは厚生省にも骨を折っていただいている北米、あるいは
南米に対する健診のための医師団の派遣にも協力をしておりますし、その他、自治体の
レベルで可能な措置については人道的な立場から様々な仕事をしてきております。時間
がありませんので割愛いたしますけれども、これはまた後ほど、詳細なリストを提出し
たいというふうに思います。
2番目に被爆者援護法という観点から必要性を述べてみたいと思います。被爆者援護
法は皆さん、ご存じのように国家補償的な側面、社会保障的な側面、その2つがありま
す。この2つの側面からそれぞれ必要性を述べてみたいと思います。
まず、最初に国家補償な側面ですけれども、援護法にこういった国家補償的な側面、
あるいは考慮といったものが入っていることはもちろんですけれども、これも短絡的に
皆さんも十分、ご存じのことだと思いますので、この国家補償的配慮の根底にあるもの
は何かと言いますと、端的に言いまして医学的には原爆放射線による特異かつ深刻な被
害、その被害を受けた被爆者に対する配慮がこの国家補償的配慮であるというふうに理
解するのが通常だというふうに承っております。
そういたしますと、この国家補償という側面から考えたときにも、この原爆の被爆者
が放射線によって受けた健康上の障害は当然、海外に居住することによってなくなるも
のではありませんので、その障害がないものと同等の扱いを受けるのは不当であり、法
の下の平等という観点から妥当ではないというふうに思います。
したがいまして、広島市においては原爆被爆者援護は国家補償の精神に基づいてその
救済を図るべきであると考え、被爆者の生活実態に即した援護施策が推進されるよう、
これはずっと国に要望し続けている点でもございます。
第2番目に社会保障的な側面から考えた上でも被爆者援護法というものが明確に明示
的に適用される必要性があるというふうに考えております。特にこの点につきましては
実態を見ることが非常に重要ではないかというふうに思います。現在でも海外に居住し
ている被爆者の場合、日本に一時帰国する、あるいは永久に帰国、あるいは来日と言っ
てもいいのですけれども、そうすることによって被爆者援護法が適用されております。
したがいまして、適用される、適用されなという議論をする際に、これが0%なのか、
100 %なのか、あるいはその間のどこにあるのかというところを実態として正確に捉え
る必要があるのではないかと思います。
実態として100 %適用されるというふうには海外の被爆者の場合には言えないと思い
ますけれども、来日した場合には適用されているわけですからある一定の限度、ある一
定の範囲の中で適用されている、あるいはかなりのレベルで海外の居住者に対しても援
護法が適用されていると考えるべきだと思います。
しかも、在外邦人に対する選挙権と比べますと、例えば在外邦人が日本で選挙権を行
使するためには居住条件が必要になってまいります。在外被爆者の場合には日本に居住
するということは要件になっておりません。こういったことを考えても被爆者援護法の
方が個人の権利を担保する上でより進んだ法律になっているというふうに考えることも
可能だと思います。
敢えてこれは注釈として申し上げますけれども、この際の居住の考え方が国内と国外
において非対称的で、すみません、数学用語ですけれども、この居住を要件とする上で
の論理的な問題点をこの非対称性が提起しているというふうに私は考えております。
それはともかくとして、こうして一方においては海外に居住しながら被爆者援護法の
適用を受けている被爆者の方がいっしゃる。他方、海外に居住しているということによ
って全く法の適用を受けてない方々もたくさんいらっしゃいます。様々な理由から帰
国、あるいは来日できない人がこの適用除外という対象になっているためでございま
す。
それではこれが100 %に近く適用されるというためには頻繁に帰国、あるいは来日す
るということが必要になってくると思いますけれども、その頻繁に帰国、あるいは来日
できない理由というのは3つ、4つあると思います。ひとつはお金がないということで
す。もうひとつは時間がない。3番目には主に健康上の理由で旅行ができない。北朝鮮
の場合には国交がない。それもありますが、アメリカの場合ですと最初の3つだと思い
ます。時間がないというのもこれもほとんどの場合には働いているとか、家族の面倒を
見るということでお金があれば解決する問題ですからお金がないというところにまとめ
ることができると思います。
社会保障という観点から法律を考えますと、社会保障というのは経済的、あるいは医
療の面で困っている人を救済する制度であるという原点に戻りますと、ここで今、被爆
者援護法の適用を受けられない人、その理由は今、大きく2つに分けて申し上げました
ようにお金がない、あるいは健康上の理由で適用が受けられないということになってお
ります。まさにお金がない、あるいは健康上の理由があるということこそ、社会保障制
度の救済の対象になるべき要件ですけれども、その要件を満たしていることによって被
爆者援護法の場合には法の適用を受けることができないというのが現状でございます。
これは矛盾以外の何ものでもありません。
したがいまして、こういったことを申し上げて最後に結論として私が申し上げたいこ
とは、改めて在外被爆者も原爆被爆者援護の対象から除外することなく、国内の被爆者
と同様の支援が必要であるという原則を再確認するということが急務であると考えま
す。
第2番目には、その中でも比較的容易に、例えば給付できる手当の給付と当面の対
応、実現可能な支援策はまずできるだけ早く実現をするということ、その後に一歩ず
つ、拡大をするということが適切ではないかと思います。場合によっては経済的な代替
策を採用すべきケースも多いというふうに思います。そういった緊急措置の後に在外被
爆者のニーズについての実態調査を国として、ぜひ、行っていただきたいと思います。
その上で在外被爆者の支援拡充を含む被爆者援護法の改正、あるいはその他の所要の措
置を講ずる必要があるという順序で進んでいただければ大変ありがたいというふうに思
います。
ちょっと時間をオーバーいたしましたけれども、最初の私の発言を、終わらせていた
だきます。どうもありがとうございました。
森座長
どうもありがとうございました。大変良いお話を頂戴したと存じますが、いかがでし
ょうか。委員の方々。ただいまのお話についてご質問なり、ご意見でもございました
ら、どうぞご自由にお願いしたいと思います。いかがでございますか。
一番最後のお言葉として、当面まず、実現可能なことをひとつでもふたつでもやり、
そのうち法改正を実現させて、さらに充実したものを、というような意味のご説明であ
ったと思います。今日の段階でも、単に現行法の運用を図ることによってかなりのこと
ができるのでしょうか。私などは全く素人でございますのでこんな質問をさせていただ
きます。
広島市長
例えばこれは袖井先生あたりにも説明していただけると思いますけれども、例えばア
メリカの場合ですと保険に入ることが非常に難しい。あるいは保険料が高騰するという
ようなことがございます。ですから、通常の保険料との例えば差額を被爆者の援護とし
て国がその分を持つというようなことは、これは可能だと思います。可能なことという
ことで申し上げますので重要性とは関係がありませんけれども。
この間の大阪の裁判で問題になりましたレベルの、例えば手当の支給ということは、
これまたお金の問題ですから、これも手続きとしては比較的簡単に実現できるものだと
いうふうに思います。
その他、医療の面ですとすべてがこれが経済的な問題に帰着できるわけではありませ
んけれども、例えば必要な範囲で現地での医療の提供を受けるための対価を提供すると
いうことは、これは現実的に十分可能なことだと思います。
ただ、医学的な意味ですとか、効果ですとか、そういったことはまた別の次元で考え
ていただかなくてはいけないと思いますけれども。
森座長
どうもありがとうございました。いかがでございますか。土山先生、どうぞ。
土山委員
市長さんは長いこと、国会にいらしたのでちょっと教えていただきたいのですが、一
番当初の頃は被爆者の方々というのはやはり国家の謝罪と補償をということを大変強く
求められていた時代があるわけですね。それに対して国家としてはそれはできないけれ
ども、せめてこういう特殊な放射線障害に基づく方々を医療面から支援しようというの
が一番最初のそもそも国家補償的というもののスタートだったのだろうと思うのです
ね。
ただ、途中からはむしろ社会保障的な側面が非常に表に出てきて、それが多分、在外
被爆者の健康管理手当打ち切りにも大きくつながったのだろうと思うのですが、国会の
中でこういうふうに国家補償的性格から社会保障的性格に変わったというのは何が大き
な原因とお考えでしょうか。
広島市長
第三者的な見方をすれば、やはり国会の中で多数派と少数派がいるわけですから、多
数派の意見を取り入れないと法律として通らないということで、多数派と少数派との間
の妥協として国家補償的という表現で、その解釈についてもそれなりに幅を持たせなが
ら法律ができると。その方が優先事項であるという選択を当時の幹部の皆さんがなさっ
たという経緯だと思います。
私は最後まで少数派に残ってやはりできるだけ純粋な形で法律を作った方があとで後
悔することがないだろうという立場でしたので、そういった議論にはあまり賛成ではあ
りませんでしたけれども、実際にはそういうことが起こっておりますし、現在の問題と
してはできあがった法律としてはおっしゃるように社会保障的な性格、非常に強く出て
きているということも感じております。
土山委員
ありがとうございました。
森座長
ありがとうございました。他にいかがでいらっしゃいますか。どうぞ、お願いいたし
ます。
伊藤委員
在米被爆者の件でございますけれども、市長がいらした頃は確かに保険の問題、大変
厳しかったと伺っております。今、在米被爆者の平均年齢、70歳を超しております。在
米被爆者の方が大変に心配なさったのは、63歳で定年で65歳の老人医療になるまでの2
年間、病気をした場合に大変だというふうなことを当時、聞いておりました。そういう
面ではかなりの方が老人医療ということである程度の医療は受けられる状態に、最近は
なってきていると思います。
なかには医療の給付の問題がさっき出ておりましたのでちょっと申し上げますが、健
康保険を持っていらっしゃらない在外被爆者の方が日本にいらっしゃいますと、被爆者
健康手帳で医療を100 %カバーいたします。最近の事例では、米国では1千万ぐらいか
かります心臓のバイパス手術を日本に来ておやりになったという例も承知しております
し、ある程度、さきほどからお金があればというお話でございますが、確かに市長のお
っしゃるとおり、お金があればかなりフレキシブルな選択をなさっているという実情が
ございますのでちょっと申し添えさせていただきます。
森座長
ありがとうございました。今のお言葉に対しては、広島市長から特にお答えになるこ
とはございませんね。よろしいですか。
広島市長
現状としては様々なレベルの被爆者がいらっしゃいますので、ただ、問題はアメリカ
政府が社会保障政策として取っている施策と援護法の場合には日本政府が政府の責任で
というのがもともとの政府案の言葉でしたけれども、国の責任において施策として決定
をした被爆者の援護策、アメリカの政府がやっていれば日本の政府はやらなくていいの
だという理屈にはならないと思いますので、やはり日本政府としての、この場合には被
爆者に対する援護をこれは原則として海外にいる人にもきちんと適用するのだというと
ころで改めて援護法の精神を生かすというところが大切なのではないかというふうに思
います。
森座長
はい。ありがとうございました。他にいかがでございましょうか。ご質問でも、ある
いはご意見をお述べいただいても結構です。どうぞご遠慮なく。よろしゅうございます
か。
冒頭のお言葉として、「援護ということが主であるから、その出発点は現状をもって
しなければいけない」と言われ、私は非常に印象深く伺いました。しかし他方、現状と
いいますか、その時その時の状態を考えてのいろいろな施策というのは、どちらかとい
うと対策的になりがちでございますね。すなわち、今まで国としていろいろな対策をし
てこられた、そういうものの積み重ねが今日に至っていると拝見しております。
そして今、そういったその時々の対策を振り返って、何かその中に1本、きちんと通
った背骨のようなものが求められているという反面もあろうかと思いますが、いかがで
ございましょうか。たしかに国会の方々としては本当に、いろいろと対策を講じてこら
れた。しかしそれらを振り返ってみて、今、何か中心となるべき考えなり、筋が求めら
れているのだという気持ちもいたしますが、そんなことはございませんでしょうか。
広島市長
やはり被爆者の被害ということがある意味で被爆者援護法の枠組みの中では広島、あ
るいは長崎の被爆者一人ひとりが被った被害という人間的な視点、人道的な視点がやは
り法律の考え方の基礎にあるというふうに思います。
国家補償的な配慮、あるいは考慮ですとか側面とかという言葉がありますけれども、
それはあくまでもこの法律が国の法律であるために国の立場を明確にするということが
必要だったために出てきている言葉だと思いますけれども、あくまでも対象は一人ひと
りの人間である。その人間の尊厳であり、また、原爆という非常に悲惨な運命に遭遇し
た人間の生き方そのものが関わっている法律であるというふうに思います。
その点をひとつの今、おっしゃった軸と言いますか、ひとつの中心的な考え方として
援護策が立てられ、そのことによって、ひいては世界核兵器の廃絶と世界平和の実現に
向けて我々が努力しようという、ある意味での決意がこの援護法の考え方ではないかと
思います。
その視点から考えますと、やはり国境、あるいは国家といった枠組みを超えた個人、
個人に対するやはりこれは援護の法律であるというところが、まず、基本になくてはな
らない点だと思いますし、それも今までの法律の適用の運用の仕方にあってかなりの程
度、実現されてきたというふうに私は思っております。改めてその疑義の生ずる部分に
ついて法の精神、その原点に戻った上でそれを再確認するという作業によって森座長が
今、おっしゃいましたひとつの筋を通す面が明確になってくるのではないかというふう
に思います。
森座長
はい。ありがとうございました。どうぞ。
小寺委員
今、大変興味深いお話を承ったのですが、私も市長がおっしゃるように居住ではなく
て日本にいるということで適用の有無が決まるということは筋が通らないと思います。
そこで1点、ご説明について質問をしたいのですが、さきほどのご説明にもあったわ
けですけれども、被爆者援護法における必要性ということで国家補償的側面、社会保障
的側面と、こういうご説明をいただいたのです。他方、それとは別立てで人道的立場か
らということをお話しくださったわけです。ということは被爆者援護法において人道的
な立場というものは今のところそれほど強く出ていなくて、むしろそれを正面に出すべ
きだと、こういうお考えだというように理解してよろしいのでございましょうか。
広島市長
いえ、すみません。そこは大変説明が不十分で申し訳なかったと思います。
これは どちらかと言いますと人道的な面を別立てにしたという理由は、広島市の施策の構造と
してひとつは人道的な面からの施策ということを中心的に掲げた施策がたくさんござい
ます。そういった面を、まず、広島市の考え方と言いますか、施策の構造をそのままこ
こにそれが反映されていることであって、被爆者援護法の構造、あるいは今、おっしゃ
ったような人道的な側面をより強く出すべきだという意見の反映ではございません。あ
くまでも広島市の現在の施策の体系に沿った発言になったということでご理解いただけ
れば大変ありがたいと思います。
森座長
どうもありがとうございました。さて、まだまだ、ご質問もあろうかと思いますが、
全体の時間の制約もございますので、一応、ここでご説明、あるいは質問を終わらせて
いただきましょう。次は長崎市長の伊藤様からご説明をいただけますでしょうか。どう
ぞお願いいたします。
長崎市長
ありがとうございます。長崎市長の伊藤一長でございます。本日は在外被爆者に関す
る検討会、森座長様はじめ、委員の皆様方、また、政府関係者の皆様方の温かいご配慮
でこういう場を作っていただいておりまして、厚く御礼を申し上げたいと思います。
私の進め方といたしましては先生方のお手元にお配りさせていただいております資料
の2というものがございますけれども、これに基づきまして私の方の意見陳述をさせて
いただきたいというふうに思います。 昭和20年の8月9日の午前11時2分に長崎に投下されました原子爆弾によりまして未
曾有の惨禍を経験された被爆者の方々は、今もなお、心と体に深い傷を負われ、高齢化
が進む中、ますます健康と生活につきまして不安の中で暮らしております。
そこで被爆都市長崎の市長といたしまして平成7年、私は市長に就任したわけでござ
いますが、以来、毎年8月9日の平和記念式典では平和宣言の中で国内及び海外の被爆
者に対する援護のより一層の充実を強く求めます。56年が経過した今も高齢化が進む被
爆者の心と体の不安や苦しみは薄れるどころか歳を負うごとに増大していますと訴え続
けております。
さて、被爆者と言いましても在外被爆者の場合でございますが、その背景は様々であ
ります。お手元の資料の参考1をご覧いただきたいと思います。昭和25年の7月に発表
されました原爆資料保存委員会の報告でございますが、原爆直前の長崎市の人口は当
時、21万人前後と推定されております。8月9日に投下されましたプルトニウム型の原
子爆弾によりまして死者が73,884人、重軽傷者が74,909人と推計されております。
続きまして参考の2でございますけれども、被爆されました外国人の方々の実相につ
きましてご紹介いたしますと、日本国民化されました現在の韓国、北朝鮮の方々が造船
所や兵器工場に、特に太平洋戦争の頃から徴用、その他で労働に従事させられたり、市
内の防空壕堀りなどの作業に従事をしておりました。日本の国土に、領土に編入されて
いた台湾から日本に移住されたり、また、徴用されたりしていた人たち、重労働要員と
して強制連行された中国人の方もいたと言われております。
さらに、長崎市内には捕虜収容所がありまして、これは爆心地から1.6
kmのところで ございます。そこにはアメリカの軍人、イギリス、オーストラリア、オランダの将兵が
収容されておりました。これらの方々のほとんどの方は戦後、まもなく帰国をされてい
ますし、さらに日本人で被爆後に日本を離れて外国で暮らしている方々など、在外被爆
者と言いましても様々な状況があるということを認識していただきたいというふうに思
います。
なお、長崎市は現在、被爆地域是正の問題、これも森先生が座長として大変、5回の
委員会を含めてご努力していただいておりまして心から感謝を申し上げさせていただき
たいと思いますが、この被爆地域の是正拡大の取り組みを行っておりますが、在外の
方々の中にも現在、未指定地域にあります川南造船所、これがいわゆる爆心地から8km
のところでございますが、ここで韓国、北朝鮮の方が約300
人、徴用工として働いてお られましたし、また、香焼の福岡捕虜収容所第2分所、これが爆心地から約10kmのとこ
ろでございますが、に収容されておりました外国人の捕虜、約600
人がおりました。現 行の被爆地域をそのままあてはめることは在外被爆者にとりましてもそういった意味で
は新たな差別を生じさせることになることも、この際、ご認識をしていただきたいとい
うふうに考えていただきたいと思います。これは長崎独自の問題でございます。
さて、このような被爆者の方々に対する援護施策は原子爆弾投下から14年経過した昭
和32年4月に医療給付を内容といたします原爆医療法が制定をされまして、また、昭和
43年9月に原爆医療法による医療の給付を補完する意味で特別措置法が制定をされまし
た。
さらに平成6年12月にこれらを一本化した総合的な援護対策を講じるために、いわゆ
る被爆者援護法が制定されまして、私どもは現在、この法に基づく第1号法定受託事業
を行っているところであります。
しかし、この法は皆様方、ご承知のように日本国内在住の被爆者だけに適用するとい
うことで運用されておりまして、海外に居住しておられる被爆者の方々につきましては
この法に基づく措置は講じられておりません。ただ、現在、この点を争点といたしまし
た訴訟が長崎地方裁判所におきましても係争中でありまして、私ども、被告という立場
でありますのでこの問題に関しましての発言は今の場合、差し控えさせていただきたい
というふうに考えております。
次にお手元の資料の参考3でございますが、在外被爆者の方々が来日された際の長崎
市の対応についてでありますが、まず、事務手続きの利便を図るために在外被爆者の方
が来日される際、法の適用を受けるための被爆者健康手帳が直ちに交付できるように事
前に情報をいただきまして被爆事実の確認を行い、該当者には被爆者健康手帳を交付を
いたしております。さらに、病気にかかっておられる方に対しましては来日されました
翌月以降まで滞在する場合、健康管理手当が受給できることを説明するとともに、帰国
された場合に被爆者健康手帳、さらには健康管理手当が失権することも併せて説明はし
ているところでございます。
次に参考の4でございますが、長崎市における短期滞在者の数であります。これは参
考の5に韓国、北朝鮮の方々に長崎市が新規で被爆者健康手帳を交付した実数を掲げて
おります。
次に在外被爆者に対する事業といたしましては、まず、参考の6に示しておりますよ
うに在韓被爆者に対しましては大韓赤十字社が発行いたします登録証の審査を行う韓国
原爆被害者協会での長崎被爆者の登録審査事務が的確に行われますように平成5年度か
ら情報提供の事務、あるいは事務用品援助を行うとともに、医師の交流事業、医師の研
修等を行ってきたところであります。
さらに参考の7、参考の8に示しておりますが、原爆の後遺症に苦しむ日本での専門
の医療機関に治療を望んでおられます被爆者に対しまして、これは昭和57年度からでご
ざいますけれども、長崎市の単独事業といたしまして平成5年度からは長崎・ヒバクシ
ャ医療国際協力会、通称、私ども、NASHIMと言っておりますが、で、在北米、在
南米被爆者の渡日治療を実施しておりまして、昨年までに北米59人、南米19人の被爆者
の方々を招聘をしているところであります。
このNASHIMでありますが、長崎が有します被爆者医療の実績、あるいは放射線
障害に関します調査研究の成果を被爆者の医療に有効に生かしていきたいという思いで
設立をいたしまして、この渡日治療だけでなく研修生の受入れ、あるいは専門医師の派
遣、情報の発信等の事業を展開しております。
このような事業を、ぜひ、国の事業として、例えば現在、長崎でも建設されておりま
す、これは広島でも建設されておりますが、長崎でもそうでありますけれども、建設さ
れております国立長崎原爆死没者追悼平和記念館で実施をする国際協力及び医療交流の
事業として位置づけることができればいいのではないかなと。特に長崎の場合には国際
協力というものが、いわゆる追悼平和記念館の性格として大きく国の方のご指導等もい
ただきまして出ておりますので、こういうふうな形で長崎大学の医療機関等も体制が整
っておりますので、相協力して、ぜひ、国等の連携を取らせていただければありがたい
のではないかなというふうに考えております。
このような事業を通しまして感じますことは、在外被爆者の問題はその背景を踏まえ
まして国として果たすべき役割の問題も含めて国と国との関係など、解決しなければな
らない問題が多く含まれているということであります。在外被爆者の方々も高齢化が進
んでおります。私どもが行っております渡日治療の被爆者の方々の声を伺いますと、健
康に対する強い不安や地域的な問題、あるいは医療制度の問題等から医療機関への受診
ができにくいこと、被爆者同士の情報交換が容易にできないという声を聞いておりま
す。そこで国の責任におきまして、まず、在外被爆者の実態を把握するための調査を実
施していただきたいと思います。
在外被爆者に対する必要な措置といたしましては、例えばひとつは実態調査の結果か
ら出てきた課題の解決を図っていただきたい。2つめは専門医の治療を受けるための渡
日の治療のための方策を講じていただきたい。3番目は被爆者医療に携わる医師の交流
及び研修の問題であります。4番目は在外被爆者で被爆者健康手帳を取得されている方
へ現行の保健手当のような診断書を必要としない、例えば在外被爆者手帳手当というよ
うな手当の支給及び手帳を取得されていない方へは制度の周知と在外被爆者へ必要な措
置を講じていただきたい。
これはさきほど秋葉市長さんの発言等を踏まえて森座長さんとのやりとりがございま
したけれども、このこともある意味ではあるひとつの提案としての意味も含めて私の方
からも、ぜひ、お願いさせていただきたいというふうに思います。
ちなみに、先生方、ご案内のように保健手当が、今、17,220円、これは爆心地から2
kmの場合、支給されていますので、こういうものをいわゆる一律に私どもはこれは勝手
につけた名前でございますが在外被爆者手当というふうな形で支給していただければ海
外の方も相当助かるのではないかなというふうなことも含めた提案でございます。
続きまして次には現在、日本国の領域を超えまして居住地を移した被爆者には同法の
適用がないわけでありますので、このないとした、いわゆる昭和49年7月の厚生省の公
衆衛生局長通達、これを見直しをしていただきたい。そうすることによってこれがさき
ほど申し上げたことが実現ができるのではないかということであります。
最後でございますけれども、現行の被爆者援護法に支障があるのであれば、改正する
ことも当然、視野に入れていただきますことを要望いたしまして、まず、私の意見の陳
述とさせていただきたいと思います。以上でございます。
森座長
どうありがとうございました。いろいろな方面に渡り、資料なども交えて、有益なお
話をいただいたと思います。いかがでございましょうか。ご質問でもございませんか。
どうぞご遠慮なく。はい。どうぞ。
伊藤委員
1点、お伺いしたいと思いますが、被爆者手帳の返還の問題でございます。例えば死
亡したとか、そういう確認についてはどのように、今、例えば保健手当のようなもの
を、一律にというお話がございましたけれども、そういった確認はどのようにお考えで
ございますか。
ですから、手帳を取得しまして、日本でしたらこれは当然、被爆者が死亡した場合に
は都道府県知事とか広島・長崎市長に手帳を返還しなければいけません。葬祭料もござ
います。海外ではそれのチェックが非常に難しいと思います。戸籍もあるところ、ない
ところございますので、その場合に一律に、もし、支給した場合手帳の返還、本当に失
権でございますね。これをどのようにお考えでございますか。
長崎市長
正確なお答えになるかどうかわかりませんが、日本に来られましたときには当然、権
利が発生するわけでありますので、診断をされたり、各種手当の問題も含めて権利があ
る意味で発生するわけでありますけれども、海外に出られましたら現行法ではこれはあ
る意味では持っていても宝の持ち腐れと言ってはおかしいのですけれども、何も適用さ
れないということでありますので、その方が特に長崎の場合、ブラジルにおられる方が
かなり多ございますけれども、その方が大変残念なことですが、お亡くなりになったと
いう場合には当然、今の現行法では権利がもうほとんど日本を離れたらありませんか
ら、その方の追跡調査と言いますか、実態調査と言いますか、それは私どもの長崎市の
体制ではちょっと無理ではないかなと。ちょっと答弁が若干、食い違っているかもしれ
ませんが、そういうふうに私は認識しております。
森座長
よろしゅうございますか。どうぞ。
広島市長
ただいまの点、ちょっと補足してよろしいでしょうか。アメリカの場合、南米の場
合、韓国の場合ともども被爆者の作っている、これは言わば親睦団体ですけれども、例
えば米国被爆者協会ですとか韓国人被爆者協会といった組織がございます。ひとつには
こういった組織を通じてそういった身分上の変更の大きなものについては報告をしてい
ただく。この組織との連携でこれまで例えば広島、こういった組織との連携で広島市も
長崎市も渡日治療ですとか、あるいは医師の派遣といったことをしてきておりますの
で、その協力関係を生かした形で報告をしていただくということは可能だと思います。
これまた、ある程度の貧富の差も影響してきますけれども、全く身寄りのない方の場
合、こういった協会のメンバーでもないような場合、例えばアメリカの場合でそれなり
の社会的な地位にある人の場合には財産処理についてはきちんと法的な手続きがござい
ます。ですから、債務、債権等についてはそういった法的手続きに従って地方政府が行
うという仕組みになっておりますので、その仕組みを生かす形で日本政府に対して報告
をしてもらうということは可能だと思います。
森座長
はい。どうもありがとうございました。他にご質問はございませんか。どうぞ。
土山委員
長崎から来ておりまして長崎市長にご質問するというのは決してこれはやらせではご
ざいませんので、先週いっぱい、私は国連軍縮会議で不在しておりまして、一度もこの
問題で市長さんとお話したことがないものですからお訊ねしたいのですが、最後の方で
おっしゃいました手当の問題なのですが、健康管理手当を在外被爆者へとおっしゃらな
くて、例えば在外被爆者手当というふうに敢えておっしゃったのは何か理由がおありで
したら教えていただきたいのですけれども。
長崎市長
その点はだいぶ、私ども、実は中身に対しましては正直申し上げまして苦慮いたしま
した。健康管理手当が34,330円でございますし、保健手当が17,220円でございまして、
在外被爆者の方もこれは保健手当の場合にはおそらくある意味では政治的判断も含めて
私は予算等も含めて可能ではないかなと。と言いますのは国情によりまして貨幣価値が
相当違っておりますので、これはいろいろな議論が実は正直申し上げまして、私もこの
度、こういう機会を与えていただくにつきましてご意見等をいろいろな方のご意見をお
伺いいたしましたけれども、やはり相手の国の実情と、その方がお住まいの相手の国の
実情等もやはり考慮しなければいけないのではないかなと。
当面、まず、日本国政府として人道上の問題も含めてどうするのかということを考え
たときには、当面、できることはやはりせめて保健手当だけでも支給するという形をし
た方がやはり、ある意味では検討会のスタートを含めて意義も含めてすっきりするので
はないかなということも含めた実は発言でございまして、本当はもう健康管理手当まで
一気にさせていただくのが一番いいのですが、さきほど秋葉市長の発言もちょっとそう
いう含みが、何段階のというのはそういう含みがあったのかなというふうに私なりに判
断したのですけれども、そのあたりが私どもとしての苦しい、熟慮した上での判断だと
いうふうにご理解いただければありがたいというふうに思います。
森座長
ありがとうございました。よろしゅうございますか、これで。
土山委員
はい。
森座長
他に。はい。どうぞお願いいたします。
岸委員
私も関連して以前からちょっとお伺いしたいと思っていたのですが、今、伊藤市長が
おっしゃったように貨幣価値が違うということで、実際問題、この額が、これは当局に
も聞きたいのですが、決まった一定程度の積算根拠はあったと思うのですね。その積算
根拠に基づいて、例えば韓国であるとか北朝鮮であるとか、あるいはブラジルであると
か、積算していくとかなり額は違うと思うのですね。本来、どういう意味合いの金だっ
たかもどうもいまひとつ、私ども、あとで説明していただけるようですが、問題だろう
と思うのです。 ですから、この金はこういう趣旨の金であって、こういう根拠でもってこういう額に
なっていると。そうすると自ずから各国によってそれぞれ額が違っていいのかどうなの
か。それは広島市長さん、長崎市長さん、どのようにお考えでしょうか。
長崎市長
岸先生のご質問でございますが、私ども、知れる範囲の額というのは保健手当の額と
健康管理手当の額と2つしかないわけでありまして、国の事情とか、いろいろなものを
考えたときには保健手当の額で当面、何とか国の方、国も今、こういう状況でございま
すから、そういうことも含めながら当面の着地点と言いますか、というものはいかがな
ものなのかなと。
他で額の判断の基準があればいいのですけれども、幅が実はない、今のところないも
のですから、そういう形で私の場合はいわゆる名称を在外被爆者手当という形で勝手に
つけさせていただいて金額は保健手当の金額という形で、そうしていただければまずい
ろいろなご不満はあったりしても今までなかった制度でございますので、海外のおられ
る方々も同じ手帳を持っておられる方々もまず何とか今までの苦しい思いも含めて、毎
月、支給される金額でございますので、総額と言ってはそんなに私は低い額ではないの
ではないかなというふうなことも含めた私なりの提案でございますので、よろしくお願
い申し上げたいと思います。
森座長
はい。ありがとうございました。どうぞ。
広島市長
手短に申し上げます。おっしゃるように積算根拠が明確に示されるのであれば当然、
その積算根拠に基づいた地域毎、あるいは国毎の差というのは私は当然、議論されるべ
き問題だろうと思います。
ただ、現実問題としてその議論に要する時間、労力、それがどのぐらいかかるのか。
そのことによって節約できる費用がどのくらいになるのかということを考えますとおそ
らく今の時点でそれを改めて議論するだけのメリットがあるかどうか。まず、それを考
えなければいけないと思います。
もうひとつ考えなくてはいけないのは、そういう措置を取ることになった場合に過去
に遡及するかどうかという問題ですね。それについてもそれなりの現実的な結論を出さ
なくてはいけないと思います。ひとつの可能性としてはこれから始めて、それで国内と
全く同額で対応するというのがひとつの妥協案として両方のバランスを考えた上でのひ
とつの妥協案としてはあり得ると思いますけれども、いや、そうではないのだ、過去に
遡って全額支給しろという議論になるとより原理原則的な話に立ち戻らなければいけな
いと思いますけれども、そうするその間の為替変動を全部考慮に入れて積算しなおさな
ければいけませんから、コンピューターでやればそれはできないことはありませんけれ
ども、その考慮に値するだけの節約ができるかどうか。これは現実問題として検討され
るべき問題だと思います。
森座長
どうもありがとうございました。では先ず、こちらから。
長崎市長
もうひとつは、私が申し上げる発言ではないかもしれませんが、韓国におきましては
先生方、ご案内のように40億円を拠出されまして、我が国政府が。ああいった形で赤十
字社の方で施設を作られて被爆者の方々がそこで生活されておられるわけですけれど
も、現実的にはその原資自体、もうなくなってきているという差し迫った問題もおそら
くあるのではなかろうかなと。
そうなりましたらこの問題をいつまでも、大臣は大臣で別途の発言をされているよう
で、これは私も受け止めたいと思いますけれども、やはりそういう問題も差し迫った問
題として私はあるのではなかろうかなというふうに思います。
森座長
はい。ありがとうございました。岸先生、よろしゅうございますか。それでは次、ど
うぞ。
堀委員
今の問題に関連してなのですが、在外被爆者手当という名称で保健手当に類するもの
を支給すると、こういうご提案だったと思うのですが、こういう手当の趣旨について、
まだ、私、よくわかっていないこともあるのですが、保健手当について見ると、これは
2km以内で直接被爆した人に支給するということになっています。身体障害者の場合に
は高い額で、そうでない場合には低い額が支給されると、こういうふうに資料に載って
います。被爆者援護法の法的性格として、さきほど秋葉市長の方からありましたように
国家補償的な性格と社会保障的な性格があるとされています。
そうしますとどうも保健手当というのは障害もない、あるいは疾病にもかかっていな
い人にも支給される。そうするとどうも一般戦災者との間に非常にマージナルなものと
なるのではないか。国家補償というよりも社会保障的なものに関わってくるのかなと思
います。在外被爆者に対する手当をどういう性格のものにするのか。それはやはり一般
戦災者との関係で原爆の放射能による特別な健康障害にある人に限るのか。それとの関
連で手当についてどういう性格づけをするのか。その辺、ご説明をお願いしたいと思い
ます。
森座長
どうぞお願いいたします。
長崎市長
堀先生のお訊ねでございますけれども、一般の戦災者との問題につきましては、これ
は被爆三法、被爆者援護法も含めて原爆医療法、あるいは特別措置法を含めてこのこと
ではその法律の中である程度、私はもう整理されているのではなかろうかなというふう
に私は理解をしております。やはり原子爆弾特有の、放射線特有のそういう問題という
ものを十分に国の方でも、あるいは政治関係でもご配慮いただいた形でこういう立法措
置をしていただいているのではなかろうかなというふうに思います。
ただ、私の知識の範囲内でございますけれども、これらの中では実は日本人だからど
うしなければいけない、いわゆる外国人だからどうだという国籍条項が実はこの中には
ありませんで、ただ、被爆者に対しては特別措置をしなければいけないということの条
項でございまして、それ自体は私はいいと思いますけれども、ただ、国籍条項がないま
まに、さきほど申し上げましたように、これは先生方のお手元にも渡っていると思いま
すが、厚生省の局長通達が出されましてそれで国籍をある程度、日本にお住まいの方だ
けですよという形で歯止めがかかってきて今日に至っているということでございますか
ら、これだけを撤廃して外していただければだいたい現行法でも私はできるのではない
かなという判断も含めて、さきほど発言をさせていただているところでございます。
堀委員
舌足らずだったかもわかりませんけれども、在外被爆者手当と言うと在外被爆者全部
に支給するみたいな印象を受けました。保健手当みたいな2km以内で被爆したと、そう
いうふうな要件を付けないとすると一般戦災者とのバランスというものが関わってくる
のではないかと、そういう趣旨なのです。
森座長
それでよろしゅうございますね。何かお答えになりますか。
長崎市長
いえ、結構です。
森座長
いいですか。それでは、どうぞ。
小寺委員
伊藤市長さんは在外被爆者の場合は日本にいらっしゃる被爆者の方たちと違ってやは
り国情等が違うので国際協力ということが必要だろうということをおっしゃった。私も
全く同感で、国情が違うといろいろな難しい問題が出てくるのだろうと思うのですが、
そこで1点、お訊ねしたいのは、さきほどから手当の問題ともうひとつやはり日本にい
らっしゃる被爆者の方と同じレベルの医療を受けられると、こういう問題を指摘されて
いるのだろうかと思うのです。
アメリカのような国、これはちょっと想像でございますけれども、アメリカのような
国であれば一定のレベルの治療を確かに手当を差し上げれば受けられるかもわからな
い。他方で途上国などのように医療が進んでいないような場所の場合、手当を差し上げ
ただけでは何もできなくて、むしろ医療をどのような形で整備していくのか、そのため
に日本政府が協力をしていくことの方がむしろ何か重要な、もしくは手当と同様に重要
なのではないかとも思えます。何かお金だけを差し上げて、それで打ち切りというよう
な感じが持たれるのが人道的な趣旨からは何かやるせない気がするのでございます。
長崎市長
小寺先生、おっしゃるのは私は尤もだと思います。広島市さんもそうですし、私ども
もそうですけれども、別に政府の方にどうだこうだということではないのですが、原爆
展の開催にいたしましても、こういうNASHIMの事業にいたしましても本来なら私
はもうこういう性格ですから総理とか関係者の方にしょっちゅう言っているのは、国が
すべき仕事ではないのですかと。被爆地の限られた乏しい財源の中でこの種の事業をや
るのはおかしいですよと、今までも申し上げでますし、これからも申し上げたいと思い
ます。
残念ながら、しかし、現実には原爆展もそうでありますし、そういうふうに海外にい
わゆる私ども、特に南米、北米が主でございますけれども、そういう方々の渡日の費用
とか、あるいは治療とか滞在費とかそういうものも含めて、あるいは医療の研修とか、
そういうのは自前である意味ではさせていただいている。これはもちろん長崎の場合は
県とか医師会とかいろいろな協力をいただいてやっているわけですけれども、こういう
ことも含めてやはり私はそういうソフト面と言いますか、そういうものをお金だけの問
題ではなくて、そういうものは私は当然、必要だと思います。
そういうことも含めてさきほどの意見陳述の中で提案ばかりさせていただいていて恐
縮ですけれども、せっかく国のお力で平和慰霊施設を作らせていただいて、作っていた
だいているわけですし、しかも、これは国有の施設でございますし、長崎の場合は国際
交流というふうな大きな柱がございますので、そういう中でできればある意味ではイン
ターネットとかテレビ電話とか、そういうものが可能な時代にもうなっていますし、そ
ういうことも含めて、ぜひ、長崎でもお手伝いできるのではないでしょうかねという提
案をさせていただいているところでございますので、よろしくお願いいたしたいと思い
ます。
森座長
はい。どうもありがとうございました。では、手短かにどうぞ。
広島市長
そのこと、全くおっしゃるとおりで、医療面での様々な形での広島、あるいは長崎の
専門的な知見をそれほどの専門的な知見をお持ちでない国々、あるいは地域の皆さん
に、例えば研修医として来ていただく、あるいは看護婦さんに広島、長崎に来ていただ
いて研修をするというようなこともやっています。
例えば韓国のハンプチョンというところとはそういう交流が続いておりますし、広島
ではハイケアー、長崎ではNASHIMですけれども、そういう組織を作って専門家の
皆さんにその知見を世界に非常に広い範囲で広島、長崎の知見を基にした科学的な支援
というのはやっております。ただ、国が関与しているものも幾分ございますけれども、
伊藤市長がおっしゃったようにこれはほとんど自治体の仕事、あるいは医師会の仕事と
して行われているのが現状ですから、そういったところも肩代わりをしていただきた
い。
その中には例えば東海村で原発の事故がありました。そういうときでも広島、長崎か
らやはりこの知見を基にした応援を送っております。ですから、そういった形で貢献は
非常に大きいわけですので、その面も併せて国からの支援という形に、それが援護法の
枠組みの中で行われるべきことかどうか。ものによっては枠組みから外れるものもあろ
うかと思いますけれども、ぜひ、この検討会からそういった積極的な方針を出していた
だければ大変ありがたいと思います。
森座長
はい。どうもありがとうございました。まだまだご質問がありそうでございますが、
時間の関係上、一応、これで打ち切らせていただきましょう。もし幸いにして最後に時
間が残れば、またさらなるご質問をお二方に差し上げるかと思います。それでは、今の
ところは2つのお話を伺って次ぎ、3番目になりましたが、袖井先生からご説明いただ
きましょうか。
袖井名誉教授
袖井です。こういう場所で先生方を前にしてものを申し上げるというのは大変な名誉
でございまして、ご推薦いただいた秋葉市長に深くお礼を申し上げます。
20年以上も前になりますか、在米被爆者のことが非常に気にかかりまして、かなり時
間をかけて『私たちは敵だったのか』という本を書いたことがございます。在米被爆者
について未だに唯一の総合的に書かれた本だと自負しておりますが、当時、アメリカの
大学でまだ教えておられた、ここにおられる秋葉市長のグループのお力でこれが英語に
なりまして、やっと5年程前にアメリカで出版されました。その際、岩波書店から増補
改訂版を出していただきました。
こういうところまで来て自分の本の宣伝をするというのは物書きの悪い癖であります
けれども、お許し願いたいと思います。日本語版も英語版もどちらもまだ手に入ります
が、増補改訂版を出したときに改めてこの問題、10数年も、放っておいた問題を振り返
って考える機会を与えられました。ここで在外被爆者の問題について何かものが言える
とすれば、その経験がある、その程度のことだろうと思います。
あとは私は医学も不案内でございますし、法学部の教授であったこともありますが、
法律にも不案内な一介の歴史家と言っていいのでしょうか、歴史家と言っておこがまし
ければ歴史を学ぶ者という、そういう存在をもって自任しております。歴史家というの
はおかしな種属でありまして、一見、辻褄の合わない大雑把なことを言うし、言ってい
ることは10年ぐらい経たないとわかってもらえないという、そういう存在であります。
長い視野を持ってお聞きいただければ幸いに存じます。
まず今日、ここで問題になっている在外被爆者の「在外」という言葉の意味を、私は
改めて考えてみたいのです。さっき確か堀先生の方からいったい在外の被爆者というの
はどう違うのだという、そういう御質問があったと思いますけれども、外国で自分の生
まれ育った国でないところで被爆のハンディキャップを背負って生きるということが、
どんなに大変なことであるか。
私自身、若いとき、アメリカで長い間留学をしておりました。これはいわば三重苦の
留学でありまして、お金はない、言葉はよくわからない、成績は悪いという、私は秋葉
市長と違いましてできない留学生だったものですから。しかし、在米被爆者の方からい
ろいろ聞き取りをしますとかなり似ているのですね、置かれた環境が。もちろん被爆者
の方の負われた重荷とは比べものになりませんけれども、その経験に基づいて「在外」
ということについて、何か言えるのではないかという気がいたします。
これは韓国、北朝鮮、つまり朝鮮半島の被爆者についてさえもある意味で言えること
だと思うのですが、つまり自分の存在が一旦、根こそぎにされ、そして別の文化に再適
応しなければならない。その際の心理的な圧力というものは、ちょうど2つの違った文
化の間に挟まれて万力にかけられたような、そういう感じです。これを学者はクロス・
カルチュラル・ストレスと言うんです。つまり違ったカルチャーの間に挟まれたことに
よって生じるストレスという意味でそう言うのでありますけれども、このクロス・カル
チュラル・ストレスの問題を、韓国の被爆者の場合は、ちょっと違いますけれども、在
外被爆者一般の問題を考える場合に、ぜひ、考慮に入れていただきたい。つまり「在
外」であるということだけで実に大変なのだということです。被爆者であることプラス
在外ということの意味をやはり考えていただきたい。
歴史を志す者といたしまして、私は被爆者という存在が大変に気にかかって、だか
ら、本を一冊書くようなことにもなったわけであります。今更、言うまでもなく、原爆
投下ということは、20世紀が生み出したナチスのホロコースト、つまり皆殺しに等し
い。被爆者の存在はユダヤ人皆殺しの生き残りと比べられるほどの人間的な悲惨の生き
証人である。そういう意味を持っているわけです。
大江健三郎さんは『ヒロシマノート』の中で、核の廃絶を絶対に諦めないで生きてい
る、そういう被爆者を「モラリスト」と呼んでいます。私はこれは、「気高き人々」と
でも訳すべきだと思います。この気高き人々を、核のない、核兵器のない世界を作るた
めの言わば手掛かりとして、私たちは被爆者をもっともっと大切にしなければいけな
い。彼らが国の内にいようが、あるいは日本の外にいようが我々はできるだけの援助を
しなければならないのではないだろうか。そう思うわけであります。
在外被爆者と一口に括って言いますが、共通性と特性とレジュメには書いてあります
けれども、共通性と言うことについてはこれは言うまでもないことですけれども、自分
で好んで被爆者になった人はおりません。自ら選んで被爆者になった人もおりません。
また、俺はもう被爆者が辛いから被爆者をやめると、そういうこともできません。誰か
がある日、お前はもう被爆者ではないのだと、そう言ったとしても、被爆者でなくなる
わけではない。
ですから、さきほど来、問題になっている被爆者援護法の適用を在外被爆者に関して
は失権だとした−確か失権という言葉を使っておりますが−あの1974年の公衆衛生局長
通達−私は悪名高いと敢えて申し上げたいのですが−その通達は立法の手続きを経ない
で法の一部を無効とする越権行為ではないのか。法の精神に違反するものではないのか
と。そう思っています。
被爆者は1945年8月から現在まで、いや人生最後の日を迎えるまで、世界のどこにい
ようと一貫して被爆者なのです。どうしたらその人々を一人でも多く救えるのか。今日
の問題は在外の被爆者の方をどうしたら一刻も早く救えるのか、それが私たちに突きつ
けられた問題だろうと思うのです。
在外被爆者の場合は、なぜ、そのときに、原爆投下のとき、広島、あるいは長崎にい
たのか、そういう問題が問われます。もうひとつ、戦後、どのようにしてアメリカな
り、ブラジルなり、あるいは世界のいろいろな国に到達したのか。現在地に達したのか
という、そういう2つの問題がここで立てられるべきだろうと思います。
役所からいただいた資料によりますと、政府の規定する在外被爆者、つまり、「日本
に滞在し、被爆者健康手帳の交付を受けた後に出国した者」は、平成8年、1996年から
12年までで総計2,411 名、これは重複が当然にございます。国の数にして25か国となっ
ております。私は在外被爆者の数はむしろ少ないなという印象を禁じえないのですが、
これはおそらく96年以前の統計が入っておりませんし、日本まで来て手帳を取る経済的
な、また、健康上のそういう余裕がないという事情があるのでしょう。
したがって悶々として、あるアメリカの雑誌が−『ニューズウィーク』でしたか−が
書きましたように「静かなる絶望の生活」を送っておられる。そういう方を推計すれば
ゆうに万の数を超すだろうと思うのです。国の数の多さ、その意味については後で申し
上げます。 政府の定義による在外被爆者の数から言って、圧倒的に多いのが韓国の1,555
人。私 はこれも印象として非常に少ないと思いますが、実は韓国には現在、原爆病を患ってい
る方が2万人いるという、ある韓国被爆者の証言がございます。これは決して根拠のな
い数字ではないのではないか。いわゆる北朝鮮については公式の数字がありませんけれ
ども、ある資料には推定2千人。しかし、これも実数をはるかに超すと私は信じており
ます。 この南北朝鮮の被爆者は−おそらく中国、台湾を含めて−この被爆者すべては原爆の
被害者であると同時に、日本による植民地支配の犠牲者であることは言うまでもないわ
けであります。戦時下の強制連行、徴兵、その他で広島、長崎に連れられてこなけれ
ば、この人々は原爆にあうはずもなかったし、被爆者にならずに済んだわけでありま
す。ですから、戦後、この人々の大半が自分の祖国に帰ったのは当然であります。
しかし、朝鮮半島に帰った後の生活の悲惨は様々な証言から知られております。私も
韓国の被爆者の集落を訪れたビデオを大分前に見たこともありますし、あるいは証言集
が出ております。大変に悲惨な生活を送っている方が多い。被爆者としての健康上の理
由に加えて様々なマイナスな要因を負って生きておられるということです。
さきほど申し上げましたカルチャーの問題も、2点あります。まず、日本に連れて行か
れたときに日本という異文化に−やはりいくら隣の国と言っても日本とは文化が違う、
ましては日本は支配国です−その異文化に強制的に同化させられ、しかも被爆して、帰
ってみれば自分たちの被爆に同情する人はあまりいない。なぜかと言うと、朝鮮を解放
したのは原爆であったというのが世論の圧倒的な主流だったわけです。そういう社会通
念の中で生きるということがいかに大変なことであるか。それを在韓被爆者、朝鮮半島
の被爆者のことを考慮する場合には特に考えていただきたいと思うわけであります。
さきほどから出ておりますように、在韓の被爆者に対して日本政府が行った訪問治療
とか、あるいは40億円の一時金、私もそれを評価しないではありませんけれども、日本
が植民地支配で犯した罪、それにプラスされる原爆の被害を償うには足りない。しか
も、まだ、発見されていないひっそりと生きておられる方々を助けるには、とてもそれ
では足りないと私は信じております。
日本政府の手で被爆者をさらに捜し出して健康管理手当を払うとか、もし、許される
なら韓国に原爆障害治療の専門病院を建てるとか、さきほどセンターがあるのだという
お話もありましたし、秋葉市長のお話では医療技術の交換もやっているということでし
た。それをもっと国家的なレベルで、国家の責任を償うという意味でやれないものだろ
うかと。そういう思い切った援護が行われない限り、日韓関係というものはいつまでも
ノドにトゲが刺さった、太いトゲが刺さったような状況で推移するでしょうし、友好な
どということはとても考えられない。そういう気がいたします。
次にアメリカでございますけれども、658
人という数字があります。アメリカの場合 は大変に事情が違いまして多くがアメリカ生まれで、小さいとき日本に送られ、太平洋
戦争の勃発で帰国できなくなり、自分の国が落した原爆で傷つくという、何とも皮肉な
運命に晒された人々であります。最もこの人々がアメリカに、もし、残っていたとした
ら、パールハーバーの奇襲でアメリカの世論がヒステリー化して、それがついに大統領
を動かし、12万という日系人が砂漠の中の収容所に4年近くも閉じ込められた、おそら
くそのうちの1人になったことでしょう。どっちにしろ、これは救いようのない立場に
置かれただろうと思います。
しかし、戦後、アメリカ政府はこの強制収容の過ちを認めまして、大統領が公式謝罪
をするとともに、生存者1人当たりに2万ドルの補償金を払って、それはもう払い終わ
っております。しかし、日本に送られて被爆した人々の場合はどうか。気がついてみた
ら自分はアメリカ人であった。そのアメリカの原爆で自分自身も含めて友人、家族が傷
つき、また、死んでいる、その心の責め苦に耐えられない。それと当時の日本の経済的
な厳しさを考えると、この人々のほとんどがアメリカに帰ることを選んだのは当然だっ
たと思います。しかし、この人々にとっては帰った祖国は実は異国だったのですね。外
国だったのです。
何しろ人生の一番大事な形成期、フォーマティブ・イヤーと言いますが、その形成期
を日本で過ごしておりますから、ほとんど日本人と同じなのですね。英語ができない。
言葉ができない人間はやはり満足な生活ができません。言葉ができないから当然にいい
学校に行けない。あまりいい仕事にもつけない。更にさきほど申し上げましたクロス・
カルチュラル・ストレスというのが、自分を毎日、毎日、締めつけるわけです。
しかも、原爆体験の辛さを家族に訴えようにも、収容所に入ってそこからふつうの生
活に戻ってきた家族の語る収容体験とは、全く違うのですね。どっちも大変なのです。
どっちも大変ですけれども、原爆の体験を地獄の体験だとすれば、収容所体験というの
は煉獄の体験だろうと思います。だから家族の中で話が通じないのですね。これも大変
な悲劇だと思います。
これは補償の問題になりますが、ご存じの方が多いと思いますが、アメリカ政府は原
爆投下が正当な戦時行為であったということを今日まで絶対に譲っておりません。しか
も、原爆だけではなくて戦争によって民間人に生じた損害の補償要求には一切、例え恩
恵の形でも応じないというのが、政府の立場であります。 ですから、被爆者の方が議
会にささやかな原爆医療法の立法を働きかけましたとき、議員の中から「お前たちはエ
ネミーだったのだ」と。戦争中は敵だったのだという、そういう声が出てくる有り様で
あります。
戦争中、敵の国にいたという、そういう負い目もさることながら、自分の生まれた国
に、原爆投下の責任を取ってもらえないだけでなくて、原爆投下を批判することさえで
きない。原爆が悪いと言えないのです。アメリカの被爆者は。そういう言わば自分の生
まれた国で異邦人の生活を送らざるを得なかった在米被爆者の立場を、やはり委員の先
生方に改めて考えていただきたいと思います。
さきほどからアメリカには国民健康保険がないということは、再三、議論されました
ので、私から特に申し上げる必要もございませんけれども、伊藤先生がおっしゃいます
ように確かに65歳になればメディケアが適用されて一般の医療は無料になると。ただ
し、これは伊藤先生が再三、団長でいらっしゃった訪米健診でご経験のように、やはり
アメリカの医には被爆ということが医学的にどういう意味を持つのか、精神医学的にも
医学的にもどういう意味を持つのかがもうひとつわかってもらえない。言葉の問題もも
ちろんあります。だから、アメリカの医師に頼ってもお金だけ取られて、あるいは保険
にも入れられない。金だけ取られて結局、問題は解決しない。そういう状況というもの
は変わらないわけで、ですから、問題は肉体的なものであると同時に、心理的なもので
あるわけであります。
これは話が重複しますが、アメリカでは65歳以上の人をシニア・シチズンと申しま
す。シチズンというのは、これは今更、先生方を前にして英語の講義でもないのです
が、市民権を持った、100 %、憲法に権利を保障されたアメリカ国民です。日本人は国
民と言いますが、アメリカでは市民と言います。シチズンです。在米被爆者の不安と言
いますか、心理的な問題というのは、自分たちはアメリカにシチズンとして受け入れら
れていないのではないかという不安です。どうやら初めて65歳になってメディケアが適
用されてシニア・シチズンになって、初めてシチズンになったのかなという思いをして
いる人は多いはずです。
そういう意味でアメリカの被爆者の場合は多少、救われた面がございますけれども、
やはり今まで申し上げたような様々なハンディキャップというのは、これはどうしよう
もない。ですから2年に1度の医師団の派遣に従事される方は大変だと思いますけれど
も、ぜひ、被爆者の生きている間、それを続けていただきたいし、健康保健手当も被爆
者にそれが与えられればかなりの役に立つと私は思います。
アメリカ合衆国にはアメリカ市民権を持っている人と結婚した日本人の被爆者がおり
ます。これはほとんど女性です。だから女性の被爆者がたくさんおります。この人たち
はある意味では被爆以後に自分でアメリカに住むという、運命を選び取ったわけですけ
れども、彼女らが在米被爆者として今日まで置かれてきた条件というものは、他のいわ
ゆる帰米2世被爆者と変わるところは私はほとんどないだろうと経験上、申し上げま
す。
それから私は不案内なのですが、ブラジルなど南米大陸の被爆者は戦後、日本の国策
に協力して移民した、そういう人々がほとんどだと聞いております。こ々にも原爆の後
遺症の影に怯えながら、異邦人として外国で自分の生活を再建することに半生を捧げた
人々がおります。移民として外国に住みつくまでの辛さは外交官や商社員、あるいは私
は「定年貴族」と言うのですが、外国は日本より住みやすいから住みましょう、年金を
使って住みましょうなどと、気楽なことを言っていらっしゃる定年貴族と私の呼ぶそう
いう人々とは、全然異質なものがあると思います。アメリカで昔、1世と呼ばれた移民
も大変な苦労をしたと言われております。しかし、この人々には被爆体験だけはなかっ
たわけであります。
さて、さきほど在外被爆者は世界の25か国にわたると申し上げました。これは考えて
みると大変な数字であります。大変ということは2つの意味です。ひとつは、援護法の
解釈を本来の正しいものに引き戻す。長崎の市長さんがおっしゃいましたが、要するに
局長通達を外すと言いますか、ないものにすればいいのだと。私に言わせれば援護法の
解釈を本来の正しいものに引き戻すとことを当然にやらなければいけない。そうなりま
すと海外にいる約2,500人ぐらいの人々に対して健康保険手当を払うという問題が出て
きます。あるいはそれがきっかけでますます、多くの被爆者が発見されることもあり得
るだろうと思いますが、この人々に手当を給付するのが大変なのではありません。他の
恩給とか、あるいは障害年金などは外国にいても手当を本人に直接、送付、あるいは銀
行振込ができるわけであります。しかも、この在外被爆者は政府が全部、住所まで確認
しているわけでありますから、そこへ同じようなことをやればいいわけです。そのよう
にして与えられる在外被爆者への手当の総額は、財政難の今日ではありますけれども、
私は国家予算のほんのひとかけらに過ぎないだろうと思っております。
さきほどこれは役所の仕組みからすれば当然に厚生労働省のお仕事になるだろうと思
いますけれども、最近、いろいろ悪名高い日本の在外公館も、まだ発見されないでそれ
こそ、静かな絶望の日々を送っている世界の被爆者を捜し出す、そういう努力をしても
いいのではないだろうかと。被爆者にこちらからリーチアウトするということは確か長
崎市長もおっしゃいましたけれども、そういうことをやってもいいだろうと。
私が実は大変と言う意味はもっと積極的な意味で大変なのでありまして、世界に25か
国に、多くはもちろん韓国とアメリカでありますけれども、その他、本当にこの国に被
爆者がいるのかというようなところに被爆者がおります。世界に散らばっている被爆者
の持っている潜在的な力のことを最後に申し上げたい。
被爆者という存在は何度も申し上げますように、人類の犯した原爆投下という犯罪の
生き証人です。あの悲惨を56年も耐えて生き抜いてきた尊敬すべき人々であります。人
類が生き延びるためには核兵器の廃絶が絶対に必要だと、そういうことを日本政府は毎
年8月が来ると口にしますが、涼しくなるとどうも忘れてしまう。
しかし、世界の被爆者はその存在を以て核廃絶のスポークスマンに、発言者になり得
るわけであります。健康管理手当はその平和のためのPRの費用と思えば私は決して高
いものではないだろう。核のない恒久の平和と世界との親善のためのささやかな投資だ
と言ってもいいだろうと。そうすることによって日本という、これはドイツのシュミッ
ト首相の言葉ですが、世界に友人のない国−哀れな言葉ですね−世界に友人のない日本
という国のイメージも少しは上がるというものではないでしょうか。
被爆者は年々、歳を取っております。もうあまり時間は残されておりません。被爆者
は被爆2世を除い
て直接に被爆した人がもう死に絶えてしまえば、ある意味では問題は
なくなるのかもしれません。それを待っている人が政府部内にいると私は決して思いた
くはありませんけれども、時間が経てば直接の被爆者は死に絶えます。しかし、それで
問題は解決しません。この人々の恨みは私は永遠に残ると思います。
被爆者の恨みは、これは石牟礼道子さんという物書きの方の言葉を借りれば、最も恨
みの深い者はとっくに死んでしまったと。そうかもしれません。しかし、まだ間に合
う。しかし、現にまだ生きていらっしゃる被爆者の方々、この人々をここで見殺しにし
たならば、この人々の恨みは永遠に残ります。日本が国の品性を高めるという数少ない
機会は永遠に失われてしまうだろうと、私はそのように思います。ご静聴、ありがとう
ございました。 森座長 はい。どうもありがとうございました。さて、今のお話について何かご質問なり、ご
意見はございませんか。いかがでしょうか。どうぞ、ご遠慮なく。
伊藤委員
では、私からお伺いしたいと思いますが、今、おっしゃいました在外被爆者にもいろ
いろな理由があるということをおっしゃいました。もちろんそうでございますけれど
も、先生は理由によっていろいろな条件を変えるべきだとお考えでしょうか。
もう1点はアメリカの在米被爆者の問題でございますが、新聞報道、8月10日でござ
いましたか、新聞報道によりますと、8日でございますね。8月8日に核実験や長崎・
広島で被爆した退役軍人でがんと白血病になった人たちには月々25万支給する。そし
て、もし、亡くなれば家族に半額ぐらいを支給するという報道がございましたが、ちょ
っと拝見しますとこの中で退役軍人は長崎、広島で被爆した人ですから、言わば早期入
市というふうなことになるかと思います。そういたしますと米国の被爆者はアメリカ国
籍が60%でございますので、同じような扱いの可能性があるのかどうかということをど
のようにお考えになるか、お話しいただきたいと思います。
袖井名誉教授
第1の問題ですが、被爆者によっていろいろと程度が違うだろうと思うのですが、言
ってみれば共通の分母はやはり海外にいることの辛さと言いますか、厳しさと言います
か、それが共通分母にあって、それに後は被害の状況によって、これはお医者さんが判
断すべきことだと思いますけれども、将来に何かが起きた場合にはそれは追加して補償
する、そういうことである程度の区別はできないことはないだろうと私は思います。
2番目の原爆実験で放射能障害を浴びた軍人に対する補償問題は、これは私もちょっ
と調べたことがりますし、私の本の中にもありますけれども、ひとつにはこれは戦闘
行為ではなかったということですね。演習であるということ。数がもう何万という数な
のです。それに、補償額が大きい。となりますと、これは弁護士にとっては大変にやり
がいのある仕事になるという、そういうわけで有力な弁護士がついて片っ端から訴訟を
起こし、勝訴を勝ち取っております。ですから、この間、この本を書くときに同僚にコ
ンピューターで訴訟の現状を調べてもらったのですが、本に書きようがないぐらいいろ
いろな数多くのケースが出てきて、それがどんどん片づいているのが現状であります。
先生のご質問に対する直接の答えとしては、戦後、長崎に入った、広島も多少あるわ
けですが、長崎に入った軍人を被爆者扱いするかどうかという問題でありますが、詳し
く調べてないのですが、戦争は正式には9月の2日までは続いたことになっております
から、9月の2日以前と以後でやはり区別があるのかどうか。もし、以後だとすれば、
それは戦争による障害とは見なされないかもしれません。しかし、相手は軍人ですから
政府は軍人に対しては補償の義務がありますので、理論的に言えばその人たちはアメリ
カ政府の補償の対象にはなるだろうと思います。
現にこれは先生がいらっしゃったときではなかったでしょうか。ハワイで健診のとき
にエニウェトクかビキニかどこかの水爆実験のときに立ち会って放射能を浴びたのでは
ないかという、そういう心配があるので診てくれないかという、2世が1人、健診を求
めて現れたということを、私、ロサンゼルスのドクター入江に聞いた覚えがあるのです
が、いわゆるアメリカ国籍の被爆者の場合には平均年齢がだいたい70歳ぐらいだと思い
ますので、しかも、それまで戦争中に日本におりますから、日本の兵役にかかった人は
あり得ても、アメリカの兵役、アメリカの軍人になった人は(後でなった人はいますけ
れども)、いないのではないだろうか。ですから、戦後の核実験の際に生じた放射能障
害の補償対象になる在米被爆者というのは、私たちがここで問題にしている人は入らな
いのではないかという、気がいたします。
森座長
はい。ありがとうございました。それではよろしゅうございますね。
こうして3人の方々よりそれぞれ、やや異なった観点からの、たいへん良いお話を頂
戴して、まことにありがとうございました。
ただ、ひとつ残念なのは時間の制約で、十分ご質問申し上げたり、お答えいただくた
めのゆとりが必ずしもなかったことでございます。お三方、本当にありがとうございま
した。今後ともよろしくお願いいたします。
なかんずく、秋葉広島市長、伊藤長崎市長のお二方におかれましては行政の第一線に
おられ、被爆者の方々ともいろいろご縁がおありのように承っておりますので、今後と
も折にふれてご意見を賜りたいと存じますので、どうぞよろしくお願いいたします。
どうか、もし、お差し支えなければお三方とも、そのまま最後までその席にお残り下
さい。私どもとしては歓迎でございますから、どうぞ。
このような次第で申し訳ありません。会議を進行する責任上、大変駆け足のようなお
願いをいたしましたがお許しください。ところで実は、前回の委員会で提起された若干
の疑問点なども含めて事務局でいくつかの取りまとめをしてくれたと聞いております。
またもうひとつは、さきほど局長のご挨拶の中でしたか、大臣が訪韓されたということ
に触れられました。それらについてごくごく簡単にご報告いただければありがたいと思
いますが、事務局にお願いしていいですか。
青柳総務課長
承知いたしました。私の方から今の点について簡単にご説明を差し上げます。
まず、お手元の資料の4に被爆者援護法の基本的な性格について国家補償との関係と
いう資料をつけさせていただきました。これは第1回の検討会で岸委員、あるいは堀委
員の方からご質問の出た点について、さらに当時の議論を少しさらってみたものでござ
います。
まず、国家補償の文言についてということで平成6年11月25日、衆議院厚生委員会の
岩佐委員と当時の井出厚生大臣とのやりとり、国家補償という観点については井出大臣
の方から詳しいご答弁がございますのでご参照いただきたいと思います。国家補償の用
語については、どのような概念を指すものか確立した定義がないということ、被爆者に
対する給付を内容とするこの新法において、この表現を用いた場合に、国の戦争責任に
基づく補償を意味するものに受け取られる可能性が懸念されたこと、また、その場合に
は、被爆者に対して国の戦争責任を認めるのであれば、一般戦災者の皆さんとの均衡上
の問題が生じること。こういった理由を考慮した結果、今回の新法には「国家補償」の
お話を盛り込むことは適当でないと主として連立与党のプロジェクトチームでも合意を
されたということを理由として述べておられます。
また、同年の11月29日、衆議院厚生省委員会における「国の責任において」という被
爆者援護法の前文の表現をめぐるやりとりにつきましては、当時、野党に属しておられ
た、改革であったと記憶しておりますが、枡屋委員、現在、実は厚生労働副大臣になっ
ておられますが、の「国の責任において」という言葉が最高裁の判決、あるいは基本
懇、こういったものとどういう関係になっているのかというお訊ねでございます。2頁
目にございますけれども、同様に井出国務大臣の方から国の事業の実施主体としての役
割を明確にし、原爆放射能という他の戦争被害とは異なる特殊な被害に関して、その実
情に即応した施策を講ずるという国の姿勢を基本原則として明らかにしたものであると
いうことをお答えをいたしました。
また、同様に枡屋委員の方からこれは基本懇の考え方からの後退ではないだろうかと
いうお訊ねがあったことに対しまして、当時の保健医療局長、政府委員の谷局長の方か
らは、結論だけ申し上げれば基本懇の答申、あるいは意見書に沿った全体の被爆者対策
というものは従来からやってきたものであったけれども、与党プロジェクトの中でいろ
いろな議論の結果として国家補償という言葉を書かないということで意見の一致が見ら
れたわけだと。したがって、広い意味での国家補償の見地、あるいは基本懇が言ってい
る考え方そのものについて否定するものはないけれども、言葉として国家補償という言
葉は使わなかったというふうにお答えをさせていただいております。
なお、3頁目に本日、ご出席をいただいております兼子仁先生のご本の中から国家補
償という言葉を講学上、どういうふうに整理するかという部分を引用させていただいた
ものをつけさせていただきましたのでご参照をいただければと存じます。
続きまして資料の5、「社会保障」における居住地要件についてということで、これ
は前回、岸委員の方からいったい、この居住地要件というのをどういうふうに考えたら
いいのだろうかというお訊ねがあったものにつきまして、いくつかの文献を参照して整
理をしたものでございます。
まず、社会保障の効力の及ぶ範囲についてということでございますけれども、言葉の
上で地域的に限界を有するということで、これは堀先生がご本の中で書かれた言葉を引
用させていただきまして、それを属地法主義、あるいは属人法主義という考え方で整理
をしたものとして他の先生方の『国際法概説』という文献の中から引用したものを整理
をさせていただいております。 また、同様のことを人的限界という言葉で表したものといたしまして我が国の構成員
一般に対して適用されると。これは我が国の主権の及ぶ領土内において居住する者のこ
とであるということで、人という観点から捉えた場合の表現ぶりとして小西先生の『社
会保障法』の表現を引用させていただいております。
また、他の社会保障制度における取扱いとの関係におきましては、アンダーラインを
引いておるところでございますけれども、全額国家負担による給付はその費用が国民の
税負担に依存することや、その適用範囲が立法府の広い裁量に委ねられていることか
ら、海外居住者に対する給付を制限しているということで、これは一部、河野先生のご
本を引用させていただいたものでございます。
なお、参考といたしまして日本の各社会福祉制度におきましてかつては国籍条件が付
置されておったものが、児童手当法、その他の法律でございます。これらが昭和56年に
難民認定法のときの整備法の関係で日本国籍を有するか有しないかという要件が削除さ
れた。その経緯について参考で触れさせていただいております。
続きまして資料の6でございますが、岸先生の方から被爆者に対する各種手当の生活
保護、収入認定の取り扱いがどのようになっているかということでお訊ねをいただいた
点でございます。生活保護の方の考え方がそこに生活保護手帳別冊問答集よりというこ
とで引用させていただいておりますけれども、原爆被爆者に係る原子爆弾小頭症手当、
その他の手当につきまして特定の障害等を負っている者を対象にそれに基づく様々な不
安の解消、慰安、あるいはその障害を克服して社会生活に適応するよう慰謝激励するこ
とを目的とするものである点に着目して収入認定除外とされているものであるという共
通の考え方が示されております。
それを個々の手当に照らしたものが参考にあるものでございまして、収入認定が一
部、外されているものについてはそれぞれの性格上、一部を外しておるということであ
りまして、また、これとの関連で生活保護法の方で各種の加算が支給されているものが
あるということがご覧いただけようかと存じます。
また、前回、お訊ねにありました葬祭料につきましては全額収入認定除外でございま
すが、これは葬祭扶助を行うということが目的なのではなくて、被爆者の精神的不安を
和らげる、つまり亡くなられたときに国がこういう形で葬祭をするということを主たる
目的とするものであることから、収入認定除外をされているというふうに、私ども、理
解をしております。
続きましてさきほど局長の方からのご挨拶でも触れさせていただきましたし、今、ま
た、森先生の方から触れさせていただきました坂口大臣の訪韓についてでございます。
8月の30日、31日、1日と韓国の方へ、私もお供いたして参っておりました。大臣はそ
の後、シンガポールの方に行かれ、シンガポールの厚生大臣との意見交換を行い、本
日、帰国をする予定になっております。
韓国でのこの問題についてのやりとりは、韓国の大韓赤十字社のソ・ヨンフン総裁と
の会見が30日にございました。また、31日の午前中には韓国保健福祉部、これは向こう
の厚生省にあたる組織でございますが、この長官のキム・ウォンギル長官と会見をして
おります。
坂口大臣の方からは、両総裁、長官にお会いをした際に、今回、韓国にお邪魔をした
目的の大事なひとつが在韓被爆者の問題であると。これはこれまで被爆者援護法上、明
確な位置づけが必ずしもなかったと。それについて日本国内で、今、その扱いについて
の議論をやり直していると。これについてこれまで韓国内の被爆者支援を進めてきた大
韓赤十字社、あるいは韓国内でこの行政を行っておられる保健福祉部のこの問題につい
ての意見を、ぜひ、聞かせていただきたいということでご挨拶をさせていただきまし
た。
これにつきまして、まず、大韓赤十字社のソ・ヨンフン総裁の方からは日本国内に住
む被爆者が種々、被爆者援護法により手厚く救済されているということは我々もよく承
知をしていると。しかし、一方で在外被爆者が救済されていないということは大変寂し
く思っていると。日本からはこれまで40億円という形での基金を貰い、これでいろいろ
被爆者援護行政、韓国国内でやってきたけれども、現在、資金が苦しい状態にあると。
しかしながら、この問題については政府間で、ぜひ、議論をしていただきたいと。こう
いった趣旨の発言がございました。
一方、翌日の韓国保健福祉部のキム・ウォンギル長官とのやりとりにおきましては、
キム長官よりは在外被爆者の扱いについて日本が見直し検討を行っておられることは大
変歓迎したいと。自国でない国で被爆をしたという在外被爆者の方々のことは大変嘆か
わしく思うし、この点をより考慮していただければと思うと。この問題は韓国の側が権
利を主張したり、あるいは債権者の立場で要求をするというものではなくて、むしろ経
済大国となった日本が率先していろいろ解決策を考えていただくべき話ではないだろう
かと。大きな方向や方針が日韓両国で相互に確認できれば、日本の立場も十分に理解で
きるし、この問題については現実的でバランスの取れた日本の方針があればその理解に
努めたい。韓国側が無闇な要求をしても解決するものではないと。この問題が被爆者の
ためということだけではなくて、両国の友好関係の改善につながるようにということを
思っているというお話がございました。
それを受けて坂口大臣の方からは事務的にこれを日韓両国の間では話を詰めていきた
いと考えると。また、この問題を考える上での原則として自分が考えている問題という
のは、平等の精神というものが重要だと考えていると。その平等の精神という点では在
外の被爆者として韓国、北朝鮮に住む方と米国、ブラジルなどに住む方とおられるけれ
ども、それがいろいろな事情でそこに被爆をされた事情が違うということはもちろん経
緯として踏まえなければならないけれども、一方、国によって異なる支援を行うという
ことは難しいかもしれず、どの国であれ同じ支援をする方が筋が通っているのではない
かという意見もあることも自分は承知をしておるというご発言がございました。
一部のマスコミにおいて坂口大臣が何か具体的な提案なり、改革の問題をご発言され
たかのような報道もございましたが、こうして検討会の先生方にどういう方向で検討す
るかということを、今、お願いをしている段階でございますので、大臣の方からそうい
う失礼なご発言は私は同席している場では全くなかったということを最後に付け加えさ
せていただきたいと思います。
森座長
以上ですか。
青柳総務課長
はい。
森座長
では、どうもありがとうございました。これで前回のご議論のときに生まれた、ある
意味での宿題に対する答え、ならびに坂口大臣の訪韓についてのご報告を終わります。
いかがでございましょう。やや時間を超過しておりますが、どうしてもというご質問が
あれば承りますが、よろしゅうございますか。
土山委員
今のご説明でよくわかったのですが、一部のマスコミが報道の仕方がおかしいという
ことをおっしゃったのですが、これもその中に入るのかどうかちょっとお訊ねしたいの
ですが、韓国の連合ニュースというところが「坂口大臣が日本政府は居住国に関係な
く、被爆者たちが同等な待遇を受けるべきであるという原則を持っている」として、
「今年中に被爆者に対する新しい支援対策を打ち立てることを目標に関係法の改正を推
進中だと述べた」と、こうあるのですが、これもそれでは誤報でしょうか。ちょっと教
えてください。
青柳総務課長
今、土山先生がおっしゃったものの中にいくつか要素があると思います。まず、今年
中に云々という点につきましては、この検討会での結論を今年中におまとめいただきた
いということで、前回の検討会でも大臣が申し上げましたので、それはただ、その結論
が具体的に法改正になるのかどうかという点についてはまさにこの検討会の結論をいた
だいた上での判断ということだろうと思いますので、やや書きすぎではないかという気
が私はいたします。
居住国に関係なく平等云々という点につきましては、さきほど、私がご紹介を一部い
たしましたように、むしろ日本と外国が一緒という言い方は明確にはしておられませ
ん。むしろ外国の中で国によって支援のやり方が違うということについては逆に問題も
あるのではないかという、こういうご表現の中で平等の精神という言葉を使われたとい
うふうに私は同席をしていて承りました。
森座長
ありがとうございました。本日のところはこれでよろしゅうございますでしょうか。
それでは最後に、事務局から何か連絡事項があればおっしゃっていただきましょう
か。
事務局
次回は10月4日15時から省議室、この場所でございますけれども、この場所で開催い
たします。次回のヒアリングですが、現在、在外の被爆者関係者の方からお話を伺うべ
く、関係団体との調整をしているところでございます。次々回以降の日程等につきまし
ては事務局で調整させていただきまして、追って連絡させていただきます。
本日は大変ありがとうございました。事務局からは以上でございます。
森座長
これでは本日の会を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
青柳総務課長
ありがとうございました。
(閉会・19時40分)
照会先:健康局総務課
担 当:金山
電 話:内線2317