今般、最高裁判所は6つの戦後補償裁判に対し、上告棄却および上告受理棄却の決定を出した。われわれ弁護団と支援団体はこの決定に対し、強い憤りと抗議の意を表明する。
3月25日、第3小法廷が棄却した関釜裁判、3月27日に第1小法廷が棄却した静岡・もと朝鮮人女子勤労挺身隊訴訟および対日民族訴訟、3月28日に第2小法廷が棄却した江原道遺族訴訟、金順吉三菱造船損害賠償請求訴訟、在日の元「慰安婦」訴訟は、いずれも戦後補償裁判の先駆けと言うべき裁判であり、この困難で貴重な問いかけを日本社会に投げかけた原告らの中には、志半ばですでに他界した者もいる。
軍人として徴兵され、シンガポールで爆撃に遭い、その爆弾破片創の、時に気絶するほどの激痛とたたかいながら解放後を生き抜いた末、その後遺症の悪化により1996年10月に亡くなった陳満述さん。三菱長崎造船所に強制連行され、劣悪な状況下で重労働を強いられる最中に被爆し、「命ある限りたたかう」と言いながら1998年2月、無念の死を遂げた金順吉さん。上海の慰安所から逃げ出して捕まった時に殴られた頭の傷の後遺症に終生苦しめられた後、自らのその苦しみを十分に語ることもできないまま2000年5月に他界した河順女さん。
この度の決定は、これら原告の文字通り命がけの訴えを無視し、今も身体の痛みに耐えながら正義と人権の回復がなされる日を待ちわびている、他の多くの原告らの最後の望みをも踏みにじる、非人道的かつ非人間的なものであった。
国を奪われ、名前を奪われ、「日本人」として、ある者は兵士に、ある者は「慰安婦」に、そして小学生の少女らが軍需工場に動員され、日本の侵略戦争遂行のため酷使された挙げ句、もはや「日本人ではない」という理由で、戦後は日本人と区別され、何らの償いも、最低限の治療も、受けられずに放り出されてきたのである。そして、その戦争に駆り出されて命を落とした者たちの遺族らもまた、日本の戦争協力者の子として白眼視される中で、親兄弟を亡くした悲しみを吐露することすらできずに、解放後の韓国でひっそりと生きてきた。
原告らは、このような不条理に対し、考えても、考えても、解消されない疑問を吐露し、人間としての尊厳の回復を求め、二度とこのような被害を生んではならないと訴え続けてきた。その訴えは、戦前戦後を通してこの国に一貫して流れるアジア蔑視の自己中心主義を鋭く告発し、われわれの歴史認識、平和意識、人権意識に一石を投じてあまりあるものであった。二重、三重の差別の中を生きてきた被害者だからこそ分かる真理を、原告らはこの国の司法に、政府に、そして市民らに示してくれていたのである。しかし、司法はこれを学び取る機会を逸してしまった。
これら戦後補償裁判で問われていたものは司法の歴史認識であり、人権感覚であった。法技術にとらわれた非人間的な裁きは、この国の歴史に禍根を残し、世界における日本の地位を損なうだけだということに、司法は気づくべきであった。司法の尊厳をこの機会に示し、被害者の命あるうちに問題を解決することが、次世代に対する責任でもあったのである。
われわれは、このように人権感覚も、歴史認識も、責任感も欠如した判断を、日本の司法の最高機関が出したということに、改めて驚愕と憤りを表明し、司法が人権の砦としての役割を自ら放棄した今、被害者らの命ある内にその被害回復措置がなされるよう、改めて政府および立法府に求めるものである。
2003年4月16日
釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪請求訴訟弁護団
対日民族訴訟弁護団(選定当事者)
静岡・もと朝鮮人女子勤労挺身隊訴訟弁護団
江原道遺族訴訟弁護団
国と三菱の戦争責任と戦後補償を問う金順吉裁判弁護団
「在日元慰安婦」謝罪補償請求訴訟弁護団
戦後責任を問う・関釜裁判を支援する会
静岡・もと朝鮮人女子勤労挺身隊訴訟を支援する会
江原道遺族訴訟を支える会
国と三菱の戦争責任と戦後補償を問う金順吉裁判を支援する会
在日の慰安婦裁判を支える会