●重たい訴え
議員のみなさんが、温かい言葉をかけ、議員懇談会をつくることを約束してくださったのは、たいへんよかったと思います。官僚的な表現で「前向きに…」ではないのです。ここまで追い込んだ、在外被爆者のみなさんはもちろん、故松井さん、市場さんなど支援者のみなさんのご努力に、改めて敬意を表します。と同時に今後、引き続き困難な道が用意されていますが、ぽくとしても可能な限り支援をし、伝える役割をさせていただきます。ただ、やはり気になることがありました。布韓被爆者の方が在外日系人に、「われわれのせいで日系人には補債が出ないと詫びた」というお話です。これを韓国人の道徳心の高さとだけとらえてよいのでしようか。日本人にとって重く受け止めねぱならないものをたくさん含んでいる気がします。犠牲者にここまでいわせてしまうのは、日本人としてたいん恥ずかしいです。
(埼玉・増井潤一郎)
●知らずに通りすぎることはできない
この集会のためにご苦労された方々に、改めて深く感謝申し上げます。
被爆者の方々の五五余年の苦痛と忍耐を、ありのままに聞かせていただきましたこと、幾冊の資料を読むことより、胸に重く、深くしみいりました。そして、韓国の被爆者の「国家と個人を分けて考えます」との、淡々とした証言に、私はどれほど救われたことでしよう。と同時に、恥ずかしさに耐えられない恩いでした。
私は、原爆体験なく、戦後生まれですが、韓国語を愛し、韓国の工芸美を愛する者として、人として、同時代を共に生きる者として、人間の尊厳が無視され続けてきた事実を、知らずに通りすぎることはできません。郭貴勲先生の陳述書の通り、被害を受けられた方々、二世、三世、恒久的に、最後の人の人に至るまで、あらゆる援護を受けられるべきだと思います。
そして、今、私は具体的に何ができるだろうか、改めて自分に、向かい合っております(東京・川合光子)
●議員の方々に願うこと
私を認めると郭先生は目を見張って手をとって下さった。十〇年前、先生と全羅道の被爆者を探し訪ねる旅をした日々が蘇った。当時留学中の私は故辛泳洙会長に頼まれ、先生と全州、光州など各地を回ったのだ。古い名簿を頼りに役場や市場、山中の農家を訪ねたが、既に亡くなったり行方不明になったり。韓国で被爆者を探す困難を痛感した。「行政の支援と機動力なくしては何もできまい」と先生は話された。
九三年に協会の会長職を辞されたとき、先生は運動の現場から離れたのだと思った。悠々自適の老後をおくれる方だ。それが、再ぴ、それも裁判という過酷な場に立たれるとは。以前と変わらぬ皮肉と機知のきいた問いかけをされる姿に、先生は協会創立当初と変わっておられないのだと思った。
かくも長くきつい闘いを強いられ、「人道支援」の欺瞞を見抜いた人々が、今、裁判という形を選ばざるを得ない絶望の深さ(決意の固さ)と精神の気高さを、議員の方々に理解して欲しいと切に願う。私たちは伝えきらねばならないと、改めて思った。
(千葉・河井章子)
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